第25話
湯河原好夫議員の死を受けて、日本政府が、いや、多くの政治家が慌てだした。湯河原の死は、他の政治家にとって他人事ではなかった。
政府の困惑は総務省をも津波のように襲った。係長会議から戻った彩川雛乃が、沙也加の前で嘆息する。まるで牢獄に繫がれでもしたかのようだ。
「係長、どんな話だったのですか?」
いつもと違った様子を不思議に思い、沙也加は尋ねた。
「早急にシヴァを日本から
「駆逐って、国民のスマホからシヴァをアンインストールしろということですか?」
江東が2人の話に割って入った。
「まあね。国会でシヴァのインストール並びに使用を禁止する法案を出すつもりらしいわ。そのための部会が設置される」
「国民の自由を制限するということですか?」
国民のスマホ内に政府が汚れた手を突っ込もうというのか?……沙也加は目を丸くした江東に共感を覚えた。
「そんなに驚くことではないでしょう。児童ポルノ関連ソフトだって発売は禁止されている。その所持もね」
「それはそうですが、なんだか今更って感じですね」
納得できないようで、彼は口を尖らせた。
「それでもアンインストールしない国民がいたら、どうするのでしょう?」
未悠に何とかしろと非難されている手前、シヴァ禁止法案が出されるというのはありがたい。しかし、政治家の都合で法律が作られるのには納得がいかなかった。
「当然、処罰されるわね。どの程度の罪になるのか、それは部会次第ね」
「いままでシヴァと国民の死に科学的因果関係が認められていないと答弁してきた政府は、ここにきてシヴァの使用を禁止することについて、国民にどういう説明をするのでしょうか? デジタル庁は、まだシヴァの解析に成功していないと聞いていますが……」
「そこは政治家だもの、適当に誤魔化すでしょう」
雛乃が再び嘆息した。
「危険ではありませんか?……」沙也加の頭の中で疑念が膨らんでいた。「……政治家たちが自分の身の安全のためにシヴァ禁止法案を出したと国民が解釈、いえ、理解したら。……そうした
「なるほど!……それが不道徳な行為だということになったら、1万人の国民が賛同しただけで、政治家はあの世行きだ。1万人なんて、すぐだ。そうしたら政治家だけじゃない。法案を作る官僚だって……」
江東が雛乃に目をやった。
「わ、私は関係ありませんよ」
彼女は席を立ち、課長のもとに走っていった。
「今や、司法権も国家から国民の手に返されたということかな」
江東が雛乃の背中を目で追いながら言った。
「父もそんなことを言っていたけれど、……司法権もって、他にも何かあるのですか?」
「情報発信だよ。もうずいぶん昔の話だけど、インターネットの普及でマスメディアが持っていた情報発信の特権は全ての国民のものになった。誰でもその気がなれば発信できる」
「でも精度は違うでしょ」
「それなら司法権もそうだ。AIが介在しているとはいえ、賛同者が多ければ僅かな罪で死の
「裁判だって、事件や加害者の社会的影響力が加味されるじゃないですか」
「それはそうだけど、やっぱりシヴァのそれは緩い気がするな。こないだも不倫の罪でアイドルと不倫相手があの世に逝っただろう?……不倫相手は一般人だぞ。それで死刑はおかしくないか?」
「ひとつの不倫事件なのに、アイドルを制裁しようとした人と、不倫相手をそうした人たちと、全く異なる種類の人たちのようでしたね」
「女性ファンはアイドルを擁護し、不倫相手の方の写真ばかり撮りまくっていたからな。あれを見ると死刑の〝し〟の字が〝私〟って漢字を当てはめるべきだと思うよ」
「ハァ……」論点が逸れていった気がする。「……江東さんはシヴァの存在に賛成なのですか?」
「まさか。俺は公務員だよ。司法権は国家が持つべきだと思う。それを国民に渡してしまったら、……俺たちは失業してしまう」
彼がため息交じりに笑った。
雛乃が席に戻ったのは午後になってからだった。彼女の進言で、シヴァ禁止法の立案は保留になり、別の対策を検討することになった。
翌日、局長級のメンバーで検討会が開かれ、デジタル庁、警察庁、自衛隊といった部署からIT技術に優れたメンバーを選抜し、官房長官の指揮下に〝シヴァ対策室〟通称STRを設置することが決まった。極秘裏にシヴァの無力化技術を開発するのが目的だ。
もう一つ決まったことがあった。
「エッ、私がSTR? 私のIT技術なんて、表計算ソフトのマクロを組むのが精一杯ですけど」
沙也加は異動の辞令を受け、思わず声をあげた。
「水卜さんは総務省代表で庶務係としていくのよ。まあ、雑用担当と考えておいてください。対外的な立場は総務省自治行政局情報管理課国民情報係のままだから、友人知人と話す時には間違わないように気をつけてください。もちろん、家族にも内緒ですよ」
雛乃が言い含めるように命じた。
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