第26話

 日本政府が密かに立ち上げたシヴァ対策室は、M市M駅前のHANAシティビル内に設置された。8階が大会議室と機械室で、9階がエンジニアたちの作業スペースだ。そこにはドリーム・ピンク通販といういつわりの看板が掲げられた。


 ドリーム・ピンク通販がHANAシティビルに置かれたのは、そこにはホテルやコンビニ、格安日常品ショップ、古着店、コレクターズショップ、カラオケ店といったテナントが入っていて、エンジニアたちがビルを出ることなく業務に専念できるからだ。ていのいい軟禁である。


 組織のトップ、室長にはデジタル庁の川野壮太かわのそうた事務次官が当てられ、自衛隊サイバー防衛隊の山本一二三やまもとひふみと公安調査庁の海野七海うんのななみが次長としてわきを固めた。IT企業のマイクロ・サイバー・ビジネス社、通称MSBのシステム開発責任者である藤堂大輔が技術アドバイザーに就任し、デジタル庁、自衛隊、公安調査庁、警察庁、MSBから総勢100名のエンジニアが集められた。


 山本はエンジニアを20の班に分けた。第1班は電子機器の管理を行う技術班なので、シヴァの解析を行うのは第2班から20班の19のグループだった。


 沙也加は、財務省から派遣された事務官、井上刀祢いのうえとうやのもとでエンジニアたちに要求された備品や日常品を用意し、弁当を手配し、ホテルへ要望を伝えるなど、まさに雑用係として忙しい日々を過ごすことになった。


 その日は週に1回の全体会議で、メンバーは大会議室に集まった。正面に室長と次長、藤堂アドバイザーが座り、100名のエンジニアたちが学校形式の席に並んでいる。


 会議は班を超えて誰でも自由に発言できる場だ。自由ではあるけれど、その発言によって力量が見透かされるのだから、実力を見せつけようとする者と、見透かされることを恐れて小さくなる者とがいて、一種独特な緊張感があった。沙也加にも発言する権利はあるが、これまでそうしたことはない。シヴァにまつわる議論はあまりにも難しすぎた。


「第3回全体会議を始める。ではいつものように、1班から状況報告してもらおう」


 議長は山本次長。


「1班、金田かねだです……」機器の稼働状況は良好で、彼が報告すべきことは何もなかった。1班に対する質問や要望もなかった。


「2班、智頭ちづです。我々はシヴァ日本版の分布を調査しています。現在、圧縮されたそれが置かれた裏サイトのダウンロード用サイトは5か所、他に個人管轄下のクラウドが22か所、それらに誘導するSNSが1359アカウントです。他にダウンロード用ファイルは海外にもあって、中国、北朝鮮、ロシア、イスラエル、エストニアで確認されています」


 正面のモニターと全ての参加者の端末に日本地図や世界地図が映され、ダウンロード用の圧縮ファイルが存在するエリアと施設が表示された。


 へー。……沙也加のタブレットにも同じものが映った。日本版のそれが海外にもあることに驚いた。


「3班、塩原しおばら。自分たちは被害者のスマホにあったシヴァの解析に当たり、複数のバージョンがあることを突き止めた。それぞれのバージョンよって、ファイルサイズ、ファイル名が異なっている。現在確認できているのは資料にある7種類。もちろん、外見上、それらのシヴァは同じもので、同じ機能を果たしている」


「ほー……」


 一部のエンジニアから感嘆の息が漏れた。


 タブレットに表が現れる。横軸にバージョン1,バージョン2と続き、バージョン7まであった。縦軸はそれぞれのバージョンに含まれるファイル名とファイルサイズ、タイムスタンプなどがファイルのアルファベット順に表示されていた。タイムスタンプはコピーされた時期で変わるから違っていても不思議ではないが、塩原が言うように、バージョンによって特定のファイルの場所が空白だったり、同じファイル名なのにファイルの大きさが違ったりしている。


 データファイルなら、使用状況によってサイズが異なる可能性がある。しかし、プログラムの中核にある実行ファイルは、通常変化しないものだ。プログラムの知識が少ない沙也加にもそれぐらいはわかっていた。おまけに全く異なるファイル構成のアプリが、同じように動くというのは信じ難かった。


「ダミーファイルがあるということか?」


 質問が上がる。


「それについては……」4列目に座っていた男性が手を挙げた。「……4班、垂加じょうかです。我々はsvrvs252647exeファイルを解析しました。3班が作った表によれば、バージョン6にそのファイルは欠けている。が、我々が解析したsvrvs252647exeは、明らかに稼働している……」


 タブレットに機械語に使用される記号が並ぶ。もはや沙也加にはちんぷんかんぷん。脳が泡を吹きそうだった。


 そうした報告が20班まで順に行われた。そうしてわかったのは、シヴァには複数のバージョンがあって、含まれるファイルが異なるものの、同等に動く非常識なアプリだということと、シヴァを創った者は自らをアートマンと名乗っているということだった。


 アートマン、芸術家?……沙也加は首をひねった。

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