第16話
「お待たせしました」
ヤミーが戻ってきて大無の前に座った。それが彼を担当している165番のヤミーだとわかる目印はなかった。
「さて、どこまで審査したかな?」
彼女が大無の目を覗き込む。心を読もうとしているのだ。
「……」大無は心を閉ざしてみた。
「ヌシは、私を笑ったように隣の中年男を笑ったね。それに、復讐心に燃えている。隣の美女も笑ったね。それに嫉妬した。彼女が成功者だから……。いや、美しいから欲望を燃やしたのかな。……図星だろう?……瞳孔が収縮しましたよ。やっぱり、地獄行きですかね……」
彼女もまた、左右のヤミーのように微笑んだ。
「勝手にしてくれ」
大無は心の中で泣いていた。事故にあったわけじゃない。大病を患ったわけでもない。誰かに刺されたわけでもない。それなのに死ぬなんて理不尽の極みだ。
哀しかったが、涙はこぼれなかった。肉体がないからだと思った。
「さてさて、困りましたね……」
ヤミーが再び立ち上がり、「付いてきなさい」と命じて歩き出した。
彼女の身長は大無の肩ほどまでしかなく、階段を上る時でも、その頭が善春より高くなることはなかった。
階段の先に何があるのか、わかっている。その先には閻魔大王がいる。
大無は、ほどなく彼の前に立った。
閻魔大王は巨大で大無の背丈は腰ほどまでしかなかった。とても見上げる勇気は起きない。膝が震えていた。振動が脚を伝わって胃袋を締め付け、目の焦点を狂わせる。
「座れ」
声が降ってくる。
閻魔大王の前に石の椅子が2脚あって、一つにはヤミーが、もう一つには大無が座った。
「
大無は、チラッと閻魔大王を見上げた。真っ黒な顔についている金色の瞳ばかりが目を引いた。それは教科書で見た達磨大師のものに似ていた。
「は、はい。アプリのシヴァによって死んだなど、合理的にありえないと思うからです。……ま、万が一、そうした呪があったとして、どうして中国人の誰かに間違われて、僕が死ななければならないのでしょう」
「なるほどのう。汝の意見はもっともだが、世の中には理屈に合わないことが多い。そうは思わないか?」
閻魔大王の口調は、思いのほか柔らかかった。
「もちろん、そう思います」
「それでは、シヴァによる死も、そのうちの一つだと考えられぬか?」
閻魔大王の言葉に、大無はめまいを覚えた。現世ならともかく、ここ冥界でも理不尽がまかり通るのか……。
大無は閻魔大王の顔を睨み続けていた。抗議ではない。ただ、視線が動かせなかった。
「どうなのだ?」
どれだけ
「……もし、アプリの呪いによって裁かれるというシステムを受け入れるとしても、どうして他人の罪で死ななければならないのでしょう。他人の行為で有無大無という人格を評価されるのは心外です。悪行も善行も、自分の行為をもって評価されたいと思います」
堂々と陳述しても、閻魔大王の表情は変わらない。何か言わなければ!……大無は焦った。
「……現世では、嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれて地獄に落とされると教わりました。他人の罪を受け入れるのは、嘘をつくのと同じではないでしょうか?」
その時、閻魔大王の結ばれた唇が〝へ〟の字にゆがんだ。何かしら感情が動いたのに違いない。……イケル! そう感じた。
閻魔大王が大きな口を開く。
「人の行為によって裁く。それは閻魔として、ワシが人を裁く場合の基準じゃ。シヴァが汝を裁いた基準はそれと違う」
「どう違うとおっしゃるのですか?」
「人は、英雄をほめたたえる。人を殺して国をまとめた者、人をだまして富を築いた者、人を陥れてゲームに勝利した者。そういった成功者に
「閻魔大王様は、人が作った基準をそのまま受け入れるとおっしゃるのですか? 私は中国人ではありません。それなのに、中国のシヴァによって裁かれろというのですか?」
それは
「これ、口が過ぎる」
ヤミーが、大無の無礼な言葉を
「良い。若者は率直なもの。それを否定することはない……」
閻魔大王が許した。
「大王様がよろしければ……」
ヤミーはそう応じて唇を結んだ。
「……で、有無大無よ、聞け。……500年前、ヤミーは20人しかいなかった。それだけで死者を裁くには十分だったのだ。それが今は、200人を超えておる。……人が増えたのは、人類に知恵の実を与えた神の意思によるものでもあったが、食べた人類の暴走でもある。早まったことをしたと、天上の神も後悔されておる。日本人の汝が他国のシヴァで裁かれたのも、未熟な人間の
閻魔大王の顔から人を裁く威厳が後退し、憂いが満ちた。
「……さて、有無大無。汝に一度だけチャンスを与えよう。己が納得するように生きてみよ。期間は3年。その間に、シヴァの過ちを正すのだ。さすれば
閻魔大王がそう言ってわずかに微笑んだ。その瞬間、意識が遠のいた。
――光はなかった。大無が目覚めたのは静寂に包まれた暗闇の中だった。肉体はあおむけで横たわっている。暗闇の中でも重力を感じることはできた。
ここは、どこだ?……身体を起こそうとすると額に何かがぶつかった。――ゴッ……、鈍い音がして痛みが額を襲った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます