第15話

 相変わらず死んだことが納得できない大無だったが、どうにもならないというのなら天国に行きたいと思った。それは、人間としての自然な欲望、いや感情だろう。


「あのう、天国はどういうところなのですか?」


「さあ、我は行ったことがないのでわかりません。音楽が流れ、心豊かに過ごせる場所だと聞いていますが、そういった場所を良い場所と考えるかどうか、それは人によって違うでしょうからね」


「主観的なもの、ということですか?」


「先日、地獄に行った男は、人が殺し放題だと張りきっていましたよ。彼にとっては地獄が天国だった。おかしな話ですが……。その男は最後まで自分が処分される側だと気づかなかった。笑えますね。あんな人物が天国に行ったら、きっと苦痛を感じるでしょう。適材適所、住めば都ですよ」


 ヤミーは独特の表現をした。


「現世よりも良いところでしょうか?」


「さあ?」


 ――プププ――


 鳴ったのはヤミーのタブレットだった。


「えっと、はい、165番」


 彼女がそれに向かって応答する。


 順番があるじゃないか!……胸の内で突っ込んだ。


トランスミッション伝達、……特異事例……』


 そんな音声がかすかに聞こえた。


「はい、はい、すぐに」


 ヤミーは立ち上がると歩きかけ、足を止めて大無を振り返った。


「緊急招集です。しばし、くつろいでお待ちください」


 大無が返事をするより早く、165番のヤミーは閻魔大王に向かって長い階段を駆け上って行った。


 タブレットで指示すればいいじゃないか。……小さくなるヤミーの背中を見ながら考えた。


 手持無沙汰になった大無は、隣の席の会話に耳を傾ける。


「では、ヌシの現世での行状について確認し、審査しましょう」


 おそらく166番のヤミーが、グレーのスーツをだらしなく着た中年男性に向かって言った。


「私は、まじめだったがゆえに、上司に辛く当たられた。どんなに悔しく、彼を呪ったか……」


 彼は心情を吐露とろする。それが真実なのかどうか、大無にはわからない。


 ヤミーがうなずいて共感を示した後に口を開く。


「左様。ヌシが頑張ったおかげで上司は出世したね。もっともヌシが完璧であったわけではないはず……。ヌシを信用し、愛し、不幸になった女がいたはず……」


「妻ですか?」


「よく考えなさい」


「部下の……」


 中年男性の表情が曇る。


「……彼女には、すまないことをしてしまいました」


 不倫だな。これは地獄行きだ。……大無は同じ男性として同情し、同じ文明人としてさげすみ、同じ死者として彼を笑った。


「反省しているならいいでしょう。早く忘れることです」


 ヤミーが言う。


「いいのか?」


 思わず大無の声が漏れる。ヤミーに対する反発を抑えられなかった。


 166番のヤミーが大無をギロリとにらんだが、すぐに自分の担当する男性に視線を戻した。


「5千万の住宅ローンに、子供の私学受験。いじめ問題もあったのですね」


 ヤミーは、辛かっただろうと同情する。


「家庭では妻と子供に厳しく当たられたが、家族には感謝しています」


 中年男性は頭を垂れ、涙を流した。


「ヌシはお人よしなのだな。……ヌシの死の理由を教えよう。ヌシの妻は不倫をしていて、不倫相手と結婚するためにヌシを毒殺した。どうやら、ヌシの妻は妊娠しているようだ」


 彼は驚きのあまりに言葉を失った。大無もだ。彼も彼の妻も不倫していたというのだから、これは似た者同士、いや似たもの夫婦ではないか。声を上げて笑いそうになるのを懸命にこらえた。


「ヌシのようなのを、知らぬが仏というのだよ。本当に仏になってしまったわけだから笑えないけどねぇ」


 彼女が口角を上げた。それに気づいても中年男性は真顔。愛想笑いのひとつも浮かべない。妻の不倫が許せないのだろう。


「ふ、不倫の相手は、誰なのですか?」


「それは個人情報なので教えられない。……とはいえ今、ヌシの妻は感謝している。ヌシが死に、住宅ローンは保険で完済された。勤め先から多額の退職金も支払われた。感謝し、笑っている。誰かの役に立って一生を終えたのです。喜ばしいことではありませんか」


 166番のヤミーはサディストなのか、妻の裏切りを根掘り葉掘り語って中年男性を弄んだ。


「こんな気持ちで、成仏できるだろうか……?」


 彼が頭を抱えた。


「死の原因が何であれ、……殺されようと、事故死だろうと、死んだことには変わりがない。それは、生きている者たちが心配することで、ヌシが気に病むことではないのですよ」


「俺がこんなに苦しんでいるのに、あいつは……」


 彼がカウンターに両手を置き、額をガンガンと打ち付けた。


「死は、素直に受け入れるものですよ」


 166番のヤミーが再び微笑んだ。


 死を素直に受け入れるなんて、僕には無理だ。誰か知らない中国人の身代わりで死ぬなんて馬鹿げている。……大無は、シヴァを作った製作者と、それを導入した中国政府を恨んだ。化けてやる!……そう誓った。


 その時、反対側から「沢山投稿されていたようですね」と、164番目のヤミーの声が聞こえた。


 目を向ければ、そこに善春の姿はなく、知的な顔の中国人女性がいた。美しく編み上げられた黒髪、スッと天に向かって伸びた細い鼻、今も愛を含んでいるようなオレンジ色の唇、露出したすべすべの肌、それを飾る金の宝飾品、ラベンダー色の高価そうなドレス……。ただ、瞳はくぼんだ場所にあって見えない。


「ヌシは、金で金を生んだ。金が金を生んで生きていけるのなら、だれも汗水たらして働くわけがない。それとも、なに?……ヌシは金を食える?」


 隣の女性は金融業界にいたのだろう。……大無は推理した。その結果があの容貌ようぼう、あのよそおいなのに違いない。


「交換手段のはずだった金を、目的にしてしまったからいけないのですよ。幻の中で、ヌシは金銭欲に侵され、富の快楽に汚染された……」


 ああ、彼女は地獄行きだ。そう思った。


「ヌシは、豊かさと、美しさと、狡猾こうかつさを、ねたまれ、恨まれ、恐れられて、シヴァの餌食えじきになったのですよ」


 164番のヤミーもまた微笑んだ。


 彼女もシヴァに殺されたのか。……大無は中国人女性が何を考えているのか知りたかった。自分たちの政府に、言いたいことがあるはずだ。しかし、それを知るすべはなかった。

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