第2話

「シヴァだ」


 沙也加の頭の上で懐かしい声がした。そこに目を向けると有無大無うぶたいむの顔があった。高校の同級生だ。天才といわれていたのに、何故か影の薄い人物だった。6年ぶりに見る顔は昔のままで穏やかな表情をしている。ただ、肌に血の気がない。まるでゾンビの様に……。ゾンビを見たことなどないけれど、そんな気がした。あのころより身長はずいぶん伸びたようだ。沙也加より頭一つ分背が高かった。


「有無君?」


「うん、久しぶり」


 卒業後の彼の進路が思い出せない。同級生たちはみんな受験に汲々としていて、お互いをライバル視していた。彼がどこに進学したのか、話題にならなかったはずがないのだけれど。……無意識のうちに、彼の進路を必死に思い出そうとしていた。


「これが、シヴァの仕業だというの?」


「知らないのかい?」


 その声は馬鹿にしているように聞こえた。つい、ムキになって応じる。


「知っているわよ。シヴァはインドで開発されたスマホアプリよ。とはいっても作成者不詳だけど。……誰かが罪を犯した現場を写真や動画にとってアップすることで、違反者に制裁を加えることができる。その制裁は〝死〟のみ。撮影者から贈られる悪徳ポイントが1万を超えると死に至る。一方、無実の罪で制裁を課そうとしたものは、そのポイントが自分に跳ね返ってくる。悪徳はインドの法律や倫理に準拠しており、GPSによる位置情報も明確なためにインド国外では作用しない」


「へー、詳しいんだね。IT関係の仕事をしているのかい?」


「いいえ。総務省よ」


「官僚なんだ」


 見おろしてくる彼の視線が痛い。


「世界一の人工を誇るインドは、強盗殺人、レイプ、汚職と、犯罪で混沌としているでしょ? それらを正すために誰かがアプリを開発したのだろうということは容易に想像できる。でも、アプリの仕様やプログラムソースが非公開なために人々の理解はすすまず、インド国内では普及しなかった。……ところが、中国政府がその機能に着目し、中国国内の治安維持と不正行為の摘発、治安維持費用削減のためにシヴァを採用した」


「ああ、その先ならボクにもわかる。中国では、凶悪犯罪者や反政府主義者だけでなく、ブラック企業の経営者や悪徳商店主、売春婦にいたるまで数千万人という国民が葬られた。シヴァによる制裁を恐れた人々は委縮いしゅくし、少なくとも人目につく場所では品行方正を装う。政府の目的は達成され、万々歳。日本政府は羨ましいと思っているんじゃないかな?」


 彼の口調に、日本政府に対する否定的なものを感じた。


「まあ、そうね。中国がシヴァを公式アプリにした時、世界中の国々が注目していたわ。治安維持とその費用の削減は全ての国家にとって関心の的だもの。もちろん、日本政府にとってもね」


 昨年、沙也加が属する自治行政局国民情報管理課でも他の省庁同様、シヴァの有効性やリスクについて議論が持たれた。結果、日本政府がその導入に踏み切れず議論自体がうやむやになったのは、シヴァのシステムそのものが理解できなかったからだ。中国政府のように、理屈はわからなくても結果が出ればいいということにはならなかった。そうしたことは彼には話さなかった。


「中国の状況からシヴァの有効性は証明された。すでに数十の国家がシヴァを導入しているね」


「ええ、でも日本では導入していないわよ」


 沙也加は思わず左手首を右手で抑えた。そこにマイナンバーチップが埋め込まれている。日本人は皆、産まれるとすぐにチップを埋め込まれ、所在地から健康状態、学業成績、資産に至るまで、様々な面で管理されていた。多くの国民にとっても有益なシステムだ。シヴァは、そうした人体に埋め込まれたマイクロチップに何らかの作用を及ぼして人間を殺害すると推測されていた。


「そうかな……」大無が目を細める。「……それなら、アプリを見るといい。彼の名前がリストに上がっているはずだ」


「まさか!……日本版はないはずよ」


 半信半疑でスマホを手に取った。シヴァの検討に際し、省内の大多数がオリジナルのインド版をダウンロードしていた。当然、ダウンロードしてみただけで、一度も使ったことはない。


「エッ……」息をのんだ。


 シヴァの表示内容が日本語化していた。


「……日本語バージョン。……日本政府は、運用を開始していないわよ。私、総務省にいるから間違いない」


「日本政府が導入しなくても、シヴァは動いた」


 彼が、倒れた痴漢を目で指した。そこには懸命に処置を施す医師の姿があった。AEDはアンドロイド駅員に内蔵されているものが使われていた。


 しかし、あの痴漢はピクリとも動いていない。完全にこと切れているのだ。

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