第40話

 シヴァ対策室によるアドオンプログラムの組み込み作業は順調に続いていた。山本次長までが端末の前に座り、必死の形相でコードの書き換えに挑んでいる。


 大無は、シヴァの修正を漏らしても、シヴァが自己修復の際に必ずエンジェルを組み込むプログラムを創った。それを要所、要所に配置すれば、いずれ、諸外国の全てのシヴァは自動的にエンジェルを組み込むようになる。それを完成させ、テストをする前に仮眠を取った。眠るのは一昨日以来だ。


「ン……!」突然、強い不安を覚えて目覚めた。眠れたのは10分ほどだった。


 不安の元はすぐにわかった。世界中に分散したシヴァの中で、政府によって推進されている中国のそれだけが、他と異なるファイル構成になっていることを思い出したのだ。マニュアル通りに修正を加えたら、シヴァの、いや中国政府のセキュリティーに触れる可能性がある。


 まずい!……飛び起き、山本次長に電話を入れた。


「中国のシヴァは、どの班が修正しているのでしょうか?」


 そこへ駆けつけなければならないと思った。


『それは、今私が終わらせたところだよ。君が作ったマニュアルのお陰で、楽勝、楽勝……』


 そう応じた彼の笑い声が引きつっていた。


「大丈夫ですかっ!」


 ――グッ、と喉が鳴った。山本のものではない。大無の喉だった。心臓が激しく収縮して引き裂かれるような痛みを覚えた。が、それもわずかな時間だった。


 シヴァ対策室のエンジニアたちが次々と倒れていく。みな、心筋梗塞だった。川野も井上も死んだ。最後に倒れたのは沙也加だった。


§


 大無はセメントの粉のような灰色の大地に立ち、紫色の空を見上げていた。空気はシンとして動かず、生臭い臭いが鼻孔に張り付いた。その臭いは大地のあちらこちらでうごめく小豆色の餓鬼から広がっていた。


「有無さん、ここは?」


 声をかけてきたのは沙也加だった。彼女はシヴァ対策室で働いていた時のグレーのスーツ姿だった。


「水卜さんまで、どうして?」


 シヴァのプログラムを書き換えていたエンジニアが死ぬのはわかる。なぜ、事務員の彼女にまで影響が及んだのか……。


「ここはどこなの?」


「冥界だよ。僕らは死んだんだ」


 彼女が目をパチクリさせる。


「どうして……。エンジェルは上手くいっていたのよね?」


「シヴァのコードの書き換えに、誰かが失敗したんだ」


「それで、どうして私が?」


 彼女の顔が曇った。泣きそうだ。


「わからない」


「でもほら、みんないる。智頭さんも、井上さんも、碧木さんも、小林さんも、鮎川さんも……」


 彼女は気丈に、少し離れた場所でぼんやりと立ち尽くしている人々の中に混じった知人を指さした。大無にわかるのは、大きなリボンを頭に乗せた鮎川レオだけだった。


 何が間違っていたのだろう?……エンジェルのプログラム、あるいはそれをシヴァに組み込むやり方に問題があったのだろう。ふと、山本が中国版のシヴァにエンジェルを組み込んだことを思い出した。……原因はそれかもしれない。一瞬、彼に責任をなすり付けようと思った。


 いや違う。彼が失敗したのなら、沙也加がここにいるはずがない。見たところ、シヴァ対策室の全員が冥界にいる。


 周囲をぐるりと見まわし、古代インドの衣装をまとった小さな少女を見つけて走った。


「ヤミー!」


「おや、ヌシは有無大無では……。戻ってくるには少し早いのでは?」


 彼女が微笑んだ。


「閻魔大王に会いたい」


「それはまた、とんでもない希望ですこと」


 彼女はクスクス笑い、「私はこれから仕事なのですよ」と言って、ある一点を指した。そこには小山のような壇があって、最上段には象のような巨体の閻魔大王が座っていた。金色の冠が美しく輝いている。


「会いたいのなら、おひとりでどうぞ。あなたにガイダンスは不要でしょう」


「ありがとう」


 大無は、戸惑う死者の魂の間を駆け抜けて、閻魔大王に向かって走った。魂だけだとわかっているからか、長い階段を上っても息切れすることがなかった。


「閻魔大王様!」


 閻魔大王の足元に立ち、彼を見上げた。


「有無大無ではないか。何をしに来た?」


「何をもなにも、シヴァの過ちを正したら、仲間、いえ、協力者ともども、ここに来てしまったのです。理由を教えてください」


「シヴァの過ち……」そこまで言った時、閻魔大王の首が静かに回り出した。それが180度回転し、本来、後頭部のある部分が大無に向いた。そこにあるのは額に第3の眼と真っ赤な唇、そこからわずかに突き出た牙を持つ凛々しい青年の顔だった。


「今回のけは、私の勝ちだ」


 賭けだって? この神様は何を言っているのだ?


「あなたは、どなたです?」


 大無は精一杯の尊敬の念を込めて尋ねた。


「私はシヴァ、知っておろう。もしや、女神だと考えていたのか?」


 神はそう言って薄っすらと笑みを作った。


 そうだったのか。……ゴクンと大無の喉が鳴る。


「誰と、どういう賭けをしていたのですか?」


「閻魔と、汝が私に勝てるかどうかをな」


「エッ……」息をのんだ。「……私は人間、神に勝てるはずがありません?」


 勝てる人間がいるなら教えてほしいものだ。


「ホレ見ろ。私の勝ちだ。そのような根性で私に挑むから、仲間を道連れにしてしまうのだ」


 シヴァは赤い口を大きくあけてアハハと哄笑した。その状態のまま、首が回り出す。


 シヴァの過ちを正せというのは、そういうことだったのか。……狐に鼻をつままれたような気持ちでいると、裏側にあった閻魔大王の顔が目の前にあった。


「現世のことではあったが、汝はシヴァに戦いを挑んだ。それは認めよう。しかし、ここではどうだ。何故、仲間の魂を返せと食い下がらない。とんだ腰抜けだ。失望したぞ」


 閻魔大王の目が怒っていた。


「そういうことでしたか……」


 全身から力が抜けて石の椅子にへなへなと座り込んだ。


「神とて万能ではない。神には神の、人間には人間の生き方がある」


 閻魔大王の声はここにはない鼓膜こまくを震わせた。彼の言葉の意味は理解できたが、返答する力はなかった。


「私とシヴァは、もうひとつ賭けをしている……」


 どれだけ賭けが好きなんだ?……納得できない思いで、閻魔大王の顔を見上げた。


「……人が作った〝シヴァ〟というアプリによって人類は滅びるか、という賭けよ。シヴァは滅びる方、私は滅びない方に賭けている。……汝が創ったエンジェルによって人類の運命が変わったのか、それが今の楽しみだ。そのことは誉めてやろう……」


 再び首が回り始める。


「有無、余計なことをしてくれたな。汝のために、人類の滅亡までの時が延びた。まぁ、無限の時を飽きずに過ごせはするが……」


 シヴァがわずかに前傾して口角を上げた。


「楽しみを増やしてくれた礼に、何か褒美をやろう。希望を言え」


 意外な申し出だった。


「それならば、エンジェルの作成に関わった者たち、全員の復活を!」


 シヴァがほくそ笑む。


「それは無理だ。お前は一度死に、閻魔の手によって復活している。他の者と違って復活に要するエネルギーが違う。汝を生かすには代わりに1万の命が必要なのだ。……汝一人の命か、汝以外の104名の命か、どちらかを選べ」


 もてあそばれている。……大無は感じた。


「では……」


 大無が答えると、シヴァが第3の眼をカッと見開いた。


§


 ――冷たい――


 沙也加は、リノニウムの床の冷たさに震えて目を覚ました。頭がひどく重い。風邪をひいたのだと思った。それが間違いだと気づいたのは、隣で井上が頭を抱えていたからだ。


「井上さん、私たちどうしていたんでしょう?」


「僕も何が起きたのかわからないよ」


 彼が事務室を見回す。沙也加も彼を真似た。特に何も変わったことはない。いつものシヴァ対策室の事務所の風景だった。しかし、どこか違和感を覚えた。直前まで見ていた景色と違って感じるのだ。


 2人は立ち上がり、監視カメラのモニターに向かった。エンジニアたちの個室が映っている。彼らもちょうどふらふらと起き上がるところだった。


 ――ルルルルル――


 沙也加のスマホが鳴った。妹の未悠みゆからだ。


『あっ、やっとつながった。どうしたのよ、1時間もかけ続けていたのよ』


「ごめん、いろいろあって……」


 そんなに長い間、気を失っていたのか。……頭を振って脳内の灰色の雲を追い払った。


『お姉ちゃん、なに、これ?』


「え?」


『エンジェル、……善行を映したり映されたら悪徳ポイントが減るって。シヴァからメッセージが届いたんだけど、安全なものなの?』


「エンジェル?……アッ!……ちょっと待って」


 スマホの画面を切り替える。シヴァのアイコンとエンジェルのそれが並んでいた。


「有無さん……」彼の存在が沙也加の脳内ではじけ広がる。スマホを耳に当てる。「……大丈夫よ。友人が作ってくれたの。これで、私たちは少し長生きできる」


「有無?……あいつは」沙也加の話を聞いていた井上が、防犯カメラの映像を切り替える。ルーム【101】だ。


 そこにはピクリとも動かない大無の肉体があった。その顔は穏やかに微笑んでいた。


                              ( 了 )

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正義はシヴァの眼差しの前に ――エンドレスゲーム―― 明日乃たまご @tamago-asuno

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