第39話

 大無はシヴァ対策室のAIを使用し、一夜でシヴァのアドオンプログラムを完成させた。ちょうどその時、一旦、帰宅していた沙也加が姿を見せた。


 ドアが開いたとき、アンドロイドの刑事の横顔もあった。彼は大無が逃げ出さないよう、寝ずの番をしていたのだ。その体力は羨ましい限りだ。


「おはよう。朝食を持って来たわ。お弁当」


 彼女は朗らかに言ったが、その顔にも疲れが見えた。寝不足なのに違いない。


 彼女が広げたのは手作り弁当だった。卵焼きや煮物の香に懐かしいものを覚えた。母親の顔を思い出す。


「ありがとう、手作りの料理なんて、何年ぶりだろう?」


 両親の事故死以後、育った施設の料理が手作りだとしても5年ぶりだ。考えただけで涙がこぼれそうだ。


「作ったのは母だけどね」


 彼女が恥ずかしそうに言った。


「……それで、できたの、アドオンプログラム」


 彼女は魔法瓶まほうびんから暖かいをマグカップに注いだ。


「一応ね。後はシヴァに接続させるだけだ」


「室長が出勤する前に終わらせられる? さすがにそれまでにはログアウトしてもらわないと」


「ああ、そうするよ」


 そう答えたものの、無理だと考えていた。日本語版だけなら簡単だが、シヴァは世界中に分散している。その圧縮ファイル全てにアドオンプログラムを受け入れるよう、設定し直さなければならない。それには莫大な時間を要する。


「何という名前なの?」


 彼女が訊いた。


「名前?」


「ダウンロードしてもらうのでしょ? アプリの名前が要るわ」


「ああ、それなら……」口にするのが少し恥ずかしい。「……エンジェル」


「エンジェル?」


 沙也加が一瞬固まった。


「クサイかな?」


「いいえ、素敵だと思うわ。救ってもらえそう」


 彼女が笑ったのでホッとした。


 朝食を終えると、彼女が空き箱を片付ける。


 大無は、エンジェルを受け入れるよう、シヴァ日本語版のアップデートに取り掛かる。難しいのはその作業なのだ。下手をすればシヴァの祟りで、九十九元つくもはじめのようになるだろう。


 幸いなことにここは〝シヴァ対策室〟。シヴァに関するデータはすべてそろっている。圧縮ファイルは展開され、通常暗号化されているコードも機械語化されたものがあった。何よりも、シヴァの圧縮ファイルが存在する場所がわかっているのは助かった。取りこぼしなく新しいシヴァに置き換えることができる。


 作業をはじめて1時間、彼女がやって来てモニターを覗きこんだ。その顔がすぐ隣にあってくっつきそうだ。驚いて、キーを打ち間違った。


「順調? もうすぐ8時よ」


 上司の出勤時間が迫っているので案じているのに違いない。彼女のささやく熱い息が大無の初心な耳たぶを燃やした。


「あ、うん。何とかするよ」


 そう応じると、「頑張って」と言葉を残して彼女が出ていく。そして15分後、彼女はまたやって来て「どう?」と訊くのだった。


 シヴァの改造作業を始めて2時間ほど、間もなく日本語版の作業の終わりが見えてきた時、突然ドアが開いた。


 アンドロイドの刑事の制止をかいくぐり、ロリータファッションの鮎川あゆかわレオが室内にもぐりこんだ。刑事とのもみ合いで、頭の大きなリボンがゆがんでいた。


「あなた、誰? 何をしているの?」


「あ、いや……」


 大無は席を立ち、モニターを隠した。


「誰かがシヴァのコードを書き換えていると思ったら、室長のアカウントじゃない。驚いたわ。あの人にそんな能力はないもの」


 レオは失礼なことをさらりと言いながら、ズンズンと大無に近づき、そして彼を押しのけ、モニター上のコードを読んだ。


「邪魔をしないでくれ。もう少しで終わるんだ」


 大無はようやくまともな口が利けた。


「これはなに? エンジェルって……」


「何を騒いでいる?」


「お前か、ウチの量子コンピュータを使っているのは?」


 新たな邪魔者が入ってくる。2班の智頭ちづ本郷ほんごう、4班の垂加すいか美川みかわなどだ。


「シヴァに何をしたんだ?」


 モニターを覗いた本郷が振り返る。


「アドオンプログラムを作った。稿


「理屈ではそうだが、シヴァが受け付けると思うのか?」


「今、その作業中だ……」


 話をしている間にも、7班の碧木あおき小林こばやし、16班の岡本おかもと石橋いしばしなど、多くの闖入者ちんにゅうしゃがやってきて室内は鮨詰め状態。おかげで大無の存在感が薄まった。


「だからって……」


 多くのエンジニアが不快そうな表情を作った。その目に嫉妬の炎がらいでいる。


「ごめんなさい、私が悪いんです! でも、こうするしかないって……」


 ドア付近で沙也加が叫んだ。


「誰だか知らないが、お前、死ぬぞ」


 智頭が予言者のように言った。


「でも、何とかなるならいいんじゃないかなぁ。……うん、私はアリだと思う」


 モニターの前で押しつぶされそうになりながら、レオが声をあげた。


「とにかく、室長のアカウントで入るなど犯罪行為だ。即座に作業を中断しろ」


「最後までやらせてくれ」


「犯罪を見逃すわけにはいかない。目の前でシヴァの餌食になるのも見たくはない」


「室長のアカウントで入っているんだから、死ぬのは室長よね」


 レオの声に大無を非難する声が静まった。大無も、万が一、自分のミスで川野が死んだら寝覚めが悪いだろうと思った。


「おはよう、朝から騒々しいな。なんの騒ぎだね?」


「あっ、室長、おはようございます」


 声がすると鮨詰め状態だった人垣が割れて、野川が現れた。


「おはようございます」


 大無に厳しい視線を向けていた智頭や本郷も借りてきた猫のように矛先ほこさきを納めた。


「室長、面白いよ。これ」


 レオが友達にでも話すような口調でモニターを指した。


「何だね?」


 野川が首を傾げる。機械語のコードを読めるはずがなかった。


「この人がシヴァのコードを書き換えているのよ」


 彼女が大無に目線を向ける。


「やっぱり君か」


 野川が目を細めた。


「有無さん、君が日本語版を……」


 彼の口から大無の名前がこぼれ、その場にいたエンジニアたちが感嘆の声をあげた。


「それは違います。僕は以前、中国版の精度を上げるために、シヴァの解析をしただけです」


「中国版の精度を上げただと?」


 野川の眉間に縦皴が浮く。


「中国の手先?」


 レオが声をあげ、その場がざわついた。


「違います。彼は被害者なのです」


 野川の後について室内に入っていた沙也加が声をあげた。


「被害者だと? 馬鹿を言え」


 智頭が唇の端を持ち上げる。


「有無さんは……」沙也加が、大無から聞いた話を手短に話した。彼が中国版のシヴァに殺され、閻魔大王にシヴァの過ちを正せと命じられ、そうして生き返った後にシヴァの解析とプログラムの修正を行った話だ。「……だから、彼が日本版を創ったわけではないのです」


 彼女が唇を結ぶとほどなく、エンジニアたちは声をあげて笑った。誰もその話を信じなかった。


「嘘も、そこまで大風呂敷を広げられると気持ちがいい……」


 野川は声こそあげなかったが、顔は笑っていた。


「いいだろう」


 彼が真顔に戻る。


「エンジェルとかいったアドオン、完成させてみなさい。だが、時間は今日の昼までだ。それまで私のアカウントは貸してやる。それで私がシヴァの手にかかるようなら、……彼らが証人だ」


 彼は周囲のエンジニアに目をやる。


「その時、君は業務上過失致死罪で裁かれる。いいね?」


 彼の目が真っすぐ大無を見ていた。


「時間をもう少しいただけないでしょうか?」


「なんだ、嘘がばれるのが怖くて、引き伸ばし作戦か」


 侮蔑ぶべつの声が廊下からした。


「違う! どうせやるなら完璧なものにしたい」


 大無は言い返した。


「完璧なもの?」


「シヴァがネットワーク型アプリだということは理解しているのでしょう? そのネットワークは一国で完結しているわけではない。世界中につながっている。日本のシヴァにアドオンを組み込んでも、損傷があればそれは海外のファイルを参照、吸収に行く。そうしていつか、アドオン機能は止まってしまう。そうしないためには、世界中のシヴァに手を加えておく方がいい」


「世界中の、……そんなの無理な話だ」


「時間があればできる」


 大無は確信していた。


 その時だ。人垣をかき分けて井上刀祢いのうえとうやが顔を見せた。


「室長、藤堂アドバイザーが亡くなりました。シヴァです」


「ナニ、藤堂君が……」


 室内に沈黙が走った。


「私、手伝う。作業が早く終われば、被害者も減るんでしょ」


 レオが精いっぱい小さな身体を伸ばして、手を挙げていた。


「私もやります」「僕も……」


 MSBから派遣されているエンジニアたちが一斉に名乗りを上げた。


「仕方がないな。私たちもやりましょう」


 三上の声で、公安調査庁や警察庁出身のエンジニアたちも大無の手伝いをすることになった。


「それでは、シヴァ対策室としてエンジェルの導入に踏み切る。藤堂アドバイザーのとむらい合戦だ。……で、なにをすればいい?」


 野川が真っすぐ大無を見ていた。


「いま、マニュアルを作ります」


大無は、シヴァのセキュリティーを回避してコードを書き換える方法、書き換える場所をまとめて配布した。


シヴァ対策室は班ごとに国々を分担し、シヴァの修正にとりかかった。

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