第38話

 大無の前を行く刑事は鋼鉄製の大きなドアの前で足を止めた。セキュリティーを解除してドアを開けると、その先には長い通路がまっすぐ伸びていて、左右に同じデザインのドアがたくさん並んでいた。その様子は2000年代に流行ったネットカフェに似ていた。


「エンジニアたちの作業室だ。今日はここで休んでもらう」


 刑事は【101】と表示のあるドアを開けた。その中は十分な広さがあって、机と情報端末、横になって休むことができるカウチが設置されていた。


 大無はカウチに腰を下ろした。全身から疲労が滲み出した。


 彼を見下ろす刑事は満足そうだ。


「あのう……」沙也加の声はドアの外側からした。「……夕食は済んだのでしょうか?」


「ああ、済ませたよ」


 刑事が答えた。


「いえ、有無さんのほうです」


 彼女の配慮に大無はグッときた。それまで彼女に感じたことのなかった好意が胸を震わせる。


「僕はまだ……」


「ナニッ」


 刑事が不快そうな表情をつくった。


「コンビニで簡単なものを用意して持ってきますね」


 彼女はそう言うと踵を返し、パタパタと急ぎ足で行った。


「ふむ……」


 人間の刑事は、大無の様子を窺う。


 大無はじっとしていた。もはや逃げようなどとは思わなかった。それよりも横になりたい。いや、その前に空腹を満たしたい。


「大丈夫そうだな。それじゃ、俺は帰るわ。後は頼む」


 人間の刑事は、後をアンドロイドに託して部屋を出て行った。残されたアンドロイドの刑事がどこか恨めしそうな表情で大無を見下ろした。


「刑事さん、座ったら」


 大無がカウチの開いた場所を指すと、彼は首を振った。


「ここは有無さんのプライベートスペースです。私は外で待ちます」


 そう言って彼はドアを開けた。


「常識があるんだね。刑事にしておくには惜しい」


 そう言うと、彼は振り返り、ニヤッと笑って見せた。


 ほどなくノックがあり、沙也加がサンドイッチとコーラを手にして入ってきた。


「ごめんなさい。大変なことになっちゃったわね。これ、食べて。お金はいらないわよ。経費だから」


「ありがとう……」サンドイッチとコーラを受け取って机に置いた。「……水卜さんが悪いんじゃないよ」


 椅子に座り、サンドイッチの封を切る。マヨネーズの甘い匂いがした。


「私なのよ。上司に新宿駅で会った時のことを話してしまったから」


「ああ、痴漢の……」


 サンドイッチを頬張りながら話した。


「有無さん、殺し合いゲームが始まった、みたいなことを言ったでしょ。それを話してしまったの」


「いや、僕が呼ばれたのは中国版のシヴァにアクセスしていたからさ」


「それでシヴァのことに詳しかったのね」


 彼女はさりげなくカウチに掛けた。


「ここは総務省なのかい? 自衛隊の人もいたけど」


 名乗らなかった川野や山本たちのことを思い浮かべた。ただ、会話の端々に名前を呼びあっていたから、3人の名字は見当がついた。


「外の人には教えられないのよ。家族にも伝えてない」


「シヴァ対策に作られた政府機関ということだな。で、水卜さんは、どんな仕事をしているの?」


 どうしても知りたいわけではない。ただ彼女のことに興味がわいていた。


「まあ、そういうところです。私は総務スタッフ。雑用係よ」


 彼女は少し寂しげに微笑んだ。大無の胸がキュンとした。


 サンドイッチを二つ食べ、コーラを半分飲んだ。


「どうして中国版のシヴァにアクセスしていたの?」


 質問は仕事のためではなく、彼女の中のとても純粋なものに聞こえた。その瞳を見つめ、大無は答えるべきかどうか考えた。


「ねえ、どうして?」


 答えることに決めた。


「生き残るためだよ」


「どういうこと?」


「僕は中国版のシヴァに殺されたんだ。中国政府のボンボンの代わりだった」


 彼女は目を見開き、そのまま固まった。


「日本版が出回る前だよ」


「……ホント? スゴイ!」


 彼女の目がウルウルしていた。


「え?……でも、代わりだなんて、おかしくないですか?」


 首を傾げ、身を乗り出してくる。


 大無はドギマギしていた。誰かに、こんなに関心を持たれたことはないし、まして女性が、こんなに近くにいた経験がなかった。


「……おかしいさ。でも、実際、僕は死んで冥界に行った」


「冥界?」


 大無は、餓鬼が働いていた灰色の冥界の様子を語り、ヤミーについて語り、そこで閻魔大王からシヴァの過ちを正すという使命を帯びて生き返ったことを説明した。


 それに失敗したら、再び死ぬ。その期日が数カ月後に迫っていることは話さなかった。実際にそうなるかわからないし、同情を誘っているように思われたくなかった。


「ほぇー」彼女は呆然としていた。


「まぁ、そういうわけで、シヴァに手を加えた。だけど、日本語版を作ったのは僕じゃない。おそらくシンだろう。USA版を定着させるためにアメリカに住んだほどだ。日本語版も彼が創ったと考えるのが自然だ。……シヴァのAIは優れている。それに任せれば、どこの国のバージョンだろうと簡単に創れるさ」


「すごいわ、有無さん。よく知っているのね。それならシヴァの削除だって……」


「それは無理だ」


「どうして……」


「ここの連中だってわかっているんじゃないのか?……シヴァの防御は鉄壁だ。何よりも世界中に本体を分散し、一部が欠けてもすぐに再生できる。まるでアメーバのようなアプリだ」


「……確かにそんなことを話していました」


「だろう……」


「嫌ですね。アプリで人間が殺し合い続けるなんて……。妹には何とかしろと言われているのだけれど……」


 彼女がホッとため息をこぼした。


 彼女のために、温めていたアイディアを試してみようかと思った。


「削除は無理だけど、ひとつ考えがある。これ、使えるのかな?」


 机の上の端末を指す。生体認証を必要としないタイプだ。物理的なセキュリティーは廊下の鋼鉄製のドアがはたしているのだろう。その内部のセキュリティーはゆるゆるなのだ。


「何に使うの?」


「アドオンプログラムを創る」


「アドオン?」


「シヴァの機能を拡張するソフトだよ」


「そんな、ダメよ。これ以上シヴァが強くなったら……」


「シヴァのAIにを学習させるんだ。それを悪徳ポイントに反映させる。……僕を信じてくれ」


 大無は返事を待たずに端末のスイッチを入れた。無機質なモニターにアカウントとパスワードの入力画面が現れる。


「水卜さんのアカウントは?」


「ダメです。私のアカウントでは研究部門には入れません」


「そうか、……誰かのアカウント、使えないかな?」


「まだ、みんな仕事をしていると思うし……」


 彼女がまるでエンジニアたちの仕事ぶりを見るように、何もない壁に目をむけた。まもなく日付が変わるというのに、日本人は良く働く。いや、働くのはエンジニアだからか……。


「今日、僕が会った3人のは、どうかな? 川野さんとか、藤堂さんとか……。帰ると話していたよ」


「藤堂さんのは無理です。すごくコンピュータを使うから、きっと自宅からでも使うと思う」


「それなら川野さんのを……」


 言いながら【kawano】と打ち込む。


「続きは? 名前」


「壮太です。……でも、室長のアカウントはさすがに……」


「室長なのか。それなら尚更このアカウントが使われることはないだろう。で、パスワードは? 知っているだろう? 総務スタッフなら一元管理しているはずだ」


「そんなこと、どうして知っているの?」


「日本人はそうするものだ。僕は色々な企業に派遣されてきたからわかる。本人が忘れたり、欠席したりした時のために、どこでも総務や情報システム部みたいな部署がパスワードを一元管理している。個人と集団の境界が曖昧あいまいだから、企業はパスワードの提出を当然のように要求するし、社員もそれを普通に受け入れる……」


 大無は彼女からパスワードを聞きだして、シヴァ対策室のシステムに入った。

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