第9話

 大無が全自動医療ロボットのシステムに取り組んでいると、背後に片岡の第1助手の円谷つぶらやが立った。


「有無さんはすごいね。1人でカテーテル手術をフルオートで行うロボットシステムを完成させるんだから……」


 モニターを覗き込み感嘆の声をあげる彼を大無は無視した。繊細な作業なのだ。たとえ人間関係が壊れても、目の前の作業に集中したい。


「でも、大丈夫なの。プログラムにミスがあったら、人の命に係わるでしょ?」


 人の良い二宮が、患者の命ではなく、責任を負うことになるかもしれない大無の身を案じた。だからか、その声は大無の感情をゆすぶった。


 フゥー、……作業を中断して長い息を吐いた。


「ハードだけを見れば、天才医師並みの手術を行えるアームもセンサーもそろっています。後は、それをコントロールするソフトだけ。……これが完成すれば、無医村でも動脈瘤や静脈瘤の手術が可能になり、たくさんの命を救うことができるようになります」


 大無は、モニターに映る制御誤差率0.001%という数字を見つめながら応じた。


「それはそうだが、そんなロボットを買う金は、無医村にはないぞ」


 円谷が言った。


「実用化には、技術だけじゃなく運用も大切だ。法律上の問題もある。たとえロボットが瘤の位置を判別したり、ステント手術を行う装備を供えたりしたとしても、厚生省は認可を出さないだろう」


 第2助手の加藤が言った。


「そのためのロボットです。大型の救急車に搭載することも可能でしょうし、手術後の自己診断やメンテの機能を供えれば、連続運用が可能です。法律の方は、政治家と医師会に任せましょう。……治療は、データとロボットによる治療案を医師に送り、AIの判断を追認してもらうようにするのです。医師の見立てで問題があると思われたなら、その時、止めてもらえればいい」


「そこまで考えているなんて、有無さん、すごいわ」


 里琴がモニターを覗きこんだ。


「メンテシステムまで作るつもりなのか?」


 円谷が不安げな声を上げる。


「時間はかかりますが、そこまでしないと全自動とは言えないと思います」


「片岡教授は知っているのか?」


「いいえ。まだ話していません」


「メーカーやハードとの関係もある。早く話したほうがいいな。誰か呼んできてくれ」


 円谷が頼んでも、誰も立とうとしなかった。


 いつも通りとはいえ、怒るようにして出て行った片岡は近寄り難い。


「あ……、ダメかもしれない」


 加藤がスマホを見ていた。


「なら、俺が呼びに行く」


 円谷が歩き出す。


「だから、円谷さん、ダメですよ。片岡教授は死んだみたいです」


 加藤がスマホを差し出した。


 シヴァの被制裁者リストに片岡厚朗の名前があった。


「なんてことだ……」


 円谷が研究室内の助手や学生たちの顔を見回した。


「僕らじゃないですよ……」


 二宮が、学生を代表するように首を振った。実際、誰もスマホを手にはしていない。


 大無はカバンからスマホを取ってシヴァを開いた。


 片岡厚朗の名前を探し、投稿された写真を確認する。他の助手や学生たちも、同じようにスマホを手にした。


「古い写真みたいですね」


 直近に投稿された写真は、ここ数年間の間に片岡が抱いた女子大生や取引先の女子社員と一緒に写ったものだった。それらの中には、裸の写真もある。告発理由は不倫だったりアカハラだったり、ひどいものはレイプだった。


「嫌だ……」


 里琴が声をあげ、誰よりも忙しくページをスクロールした。それは目的の何かを探しているような仕草だった。


「どうするよ……」


 加藤が狼狽うろたえていた。


「まさか、加藤……」


 円谷が疑うように目を細める。


「俺じゃないよ。それは、ちょっと反省させてやろうと何度か投稿したけど、こんなに沢山は送っちゃいない。教授が死んだら、俺だって無職になる可能性があるんだからな」


「こんな写真をまとめて持っているとしたら、本人でしょう。ものにした女性の痴態ちたい写真が多いです」


 学生の十倉とくらが写真を一枚一枚、丹念にチェックしながら言った。


「自分でシヴァにアップするかな?」


「片岡教授が、自殺をするような人間に見えますか?」


 二宮は加藤に質問を返した。


「教授のパソコンがハッキングされたのだろうな。それで画像をごっそりと盗まれたんだ」


 円谷がスリープ状態の片岡のパソコンに目をやる。


「研究室に、そんなヤバイファイルを置くか?」


 加藤は懐疑的だった。


「なら、誰か、そのパソコンに触れたことがあるか?」


 円谷が親指で片岡のパソコンを指し、研究室内の人間の顔に目をやった。


 研究室には3人の助手と4人の学生、そして大無の8人がいた。学生に比べ、助手たちは真剣だ。それはそうだ。教授が亡くなった今、彼らの立場は風前の灯火ともしび、失業しかねない。大無の場合は契約先が大学なので、すぐに失業というわけではないが、やはり宙ぶらりんな立場に追い込まれたことになる。


「どうなんだ?」


 円谷が回答を催促した。


「もしも教授のPCに触ったとわかったら、何をされるかわからない。そんなことは研究室の者ならみんなわかっている。誰もそれの中を覗いたりしないさ」


 加藤が全員の意見を代弁した。


「だからだ。教授も、加藤のように考えていたはずだ。秘密にしたいファイルを置くなら、そこほど安全な場所はない」


 円谷が肩を落とす。


「……でも少しほっとした」


 里琴がささやく。二宮が小さくうなずき返した。


「おい、お前ら。教授が死んだんだぞ。それはないだろう」


 円谷が声を荒げた。


 たとえ悪人でも、その死を笑うなということか。……大無は3年前に冥界めいかいに落ちた時のことを思い出した。そして胸中、笑った。笑ったのが円谷のことか、片岡教授のことか、それとも生き返った自分のことか、シヴァが人を殺すという喜劇のことか、……それは不明だ。


 脳裏を、エキゾチックな美貌のヤミーと巨体の閻魔大王の顔が過る。今になってみれば夢のような出来事だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る