第10話

 ――冥界めいかい、……そこには日々、大量の人間が送り込まれる。その中のひとりが有無大無だった。


 大無はセメントの粉のような灰色の大地に立ち、紫色の空を見上げた。空気はシンとして動かず、生臭い臭いが鼻孔に張り付いた。その臭いは大地のあちらこちらでうごめく小豆色あずきいろの生き物の方角から広がっていた。


 その生き物は、餓鬼がきと呼ばれる小鬼……。幼稚園児ほどの体格のそれには脂肪がなく骨ばっていて、肌は古木の様にがさついていた。頭に毛があるものもあれば、ないものもいる。あまりにもせこけてしわが深いので、外見から性別を見分けるのは不可能だった。


 いや、もともと性別があるのか?……大無は記憶をまさぐった。書物や絵画で餓鬼に触れたことはあったが、それに性別があるのかどうかわからない。


 大地にあふれる彼らは、無為むいに動いているのではなかった。働いているのだ。機械的に、無感動に……。


「彼らは何をしているのですか?」


 餓鬼を恐れた金髪のスコットランド人が震える声で訊いた。冥界に送られた人々の気持ちを代弁しているようだ。


 大無はスコットランド人から、視線を右回りに360度振った。数千、あるいは数万人、……そこには様々な人種や民族がいた。それは髪や肌、瞳の色、衣装や態度でわかる。ただ、言語では区別がつかなかった。何故か、彼らが何語で話そうが、意味が通じた。


 圧倒的に多いのが東洋人だった。シヴァのせいだ。ひと月前、中国政府がシヴァを導入したために死者が増えた。その被害者が灰色の大地にひしめいている。


「彼らは何をしているのですか?」


 スコットランド人が再び声を発した。どうしても答えを知りたいらしい。


 しかし、誰も返事をしなかった。大無も同じだ。有効な答えを持っていない。


「豆を植えているのですよ」


 声は、大無の腰のあたりから聞こえた。


 視線を下げると、インドの民族衣装をまとった小柄の少女と視線が合った。


 彼女は緑色の長い髪と、赤いルビーのような瞳を持っていた。髪はソフトクリームのように結い上げ、瞳には無邪気むじゃきな光をたたえている。


「豆?」


 子供があてずっぽうで言っているのに違いないと思った。しかし、多くの者がうなずいた。彼らは、正しくなくても答えがあればよかったのだ。


「不毛の大地を豊かにするには、豆を植えるのが一番なのです。しかし、ここは冥界。不毛の台地は与えられた前提条件なのです。いくら豆を植えようと、大地が豊かになることはありません。それでも餓鬼たちは大地に豆を植える。そうやって、肉体と心の渇望に応えようとしているのです」


 少女は笑みを浮かべた。


 不毛な大地は変わらないと知りつつ耕す。……大無は、そして多くの人々が、それを己の人生と重ね見た。


「まぁ、豆が実ってビールのあてになれば、私は嬉しいのですが」


 そう言った少女の足もとの地面が持ち上がり、小さなステージに変化した。同時に彼女の背丈が伸び、色気の漂う大人の女性に変身した。


「冥界におこしの皆さん。私がガイドのヤミーと申します……」


 彼女は高圧的に話し出す。


 群衆はあっけにとられる。大無も同じだった。


「……この通り背丈は小さいのですが、年齢は4千歳ほど。魔力を持っておりますのでヌシらよりは強い。決して逆らわず、尊敬の念を持って対応くださいまし」


 老若男女、人種も民族も多様な群衆を前に、インドの民族衣装をまとい神の名を名乗った小柄の美女が口角を少し上げた。


「ハイ!」


 群衆の中、1人の女性が手を挙げた。


「何か質問でも?」


 話の腰を折った女性にヤミーが冷たい視線を向けた。


 手を挙げた女性はまだ若かったが、髪は短く化粧っ気はゼロ。胸は平らで男物の白いワイシャツとジーンズを身に着けており、まるで少年のようだった。


「ボクは、どうしてここにいるのでしょうか?」


 その疑問は、その場の人間の共通のものだった。誰もが小さな神と少年のような女性の会話に注目した。


「ヌシは中国のおうヨシハルさんね」


 ヤミーは、メモも見ずに女性の名前を呼んだ。その態度には、ヌシのことは全て掌握している、という自信が見えた。


 すると彼女が首を横に振った。


「善春と書いて、ゼンシュンと読みます」


 訂正されて気分を害したのか、ヤミーが尖った鼻をむずむずと動かし、ルビーのような瞳が暗転、酸化した血液の固まりに変わって見えた。


 彼女は、歌舞伎で髪を回すように頭を大きく振る。一瞬ではあったが緑色の髪が解けた。


 ヤミーを取り巻く人々は、彼女の髪が蜘蛛の糸のように伸びて自分の首に巻きついたのを感じた。


 なんだ?……大無はその細い毛を握った。しかし、手のひらに物的な感触はなかった。代わりに背筋に電気が走り、肛門がキュンと締まった。


「知りたいのなら教えましょう。ヌシらは、みーんな、死んだのですよ。今、ここにあるのは魂のみ。肉体がちてやってくるのを待っているのです」


 彼女は両腕を左右に広げて宣告した。


えぇ!」「なんでやねん」「ガッデム!」「真的假的うそだろう


 人々の反応は様々だった。その集合は津波のように群衆をざわつかせたが、あっという間に冥界の闇にのまれた。


「ヌシらの運命は、私のこの手の中に握られているのです!」


 ヤミーが両手を正面にのばし、広げていた手のひらを握った。その時、大無の心臓がチリチリと痛みを覚えた。

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