第48話48 毒か、蜜か③

 手枷は、一見可愛らしいブレスレットにしか見えず、鎖で壁と繋げられているわけではない。部屋からも、家からも外へと自由に出入りできる。ただ、魔塔グランジュールがあるこの街の外には出られない特殊な魔道具らしい。

 オフェリアが街の境界から出ようとしたら、強制的にブレスレットが魔塔まで腕を引っ張っていくというのだ。魔塔に侵入したスパイを捕まえる魔道具を改造したもので、正研究員は自らの研究が外部に漏れるのを防ぐために与えられるとのこと。

 ユーグは立ったまま、ソファに座るオフェリアに感情のこもらない声色で淡々と説明していく。



「ユ、ユーグ……っ」



 オフェリアは恐る恐る顔をあげて、息を呑んだ。

 表情は声色と同じく、感情を堪えるような冷たい無表情。一方でいつも温かさに満ちていた瞳は憤怒の炎を宿して、オフェリアを鋭く見下ろしていた。

 これほどまで怒るユーグを見たのは初めてだ。オフェリアは次の言葉を紡げず、戸惑いの眼差ししか返せない。



「オフェリアは……僕が呪いを解くと、信じられないのでしょうか?」

「そんなことは……」

「だったら、どうしてここから何度も離れるんですか? いつ決定的な解呪方法が判明するか分からないし、その時限りのタイミングがあるかもしれません。それを逃さないために、可能な限り早く呪いが解けるように、すぐにオフェリアを呼べるように、魔塔の近くの家を選んだのに……肝心の本人が、そばにいないなんて!」



 我慢できなくなったユーグは怒りを爆ぜさせた。肩で息をし、体の横で作った拳を小さく震わせ、じわりと瞳に涙の幕を張った。

 だが怒りの表情は一瞬だけで、ゆっくりと顔を悲しみで歪める。



「お願いです。頑張りますから……もっと頑張りますから、僕を信じてください。僕から離れないでください……っ」



 ユーグは膝をつき、ブレスレットの上からオフェリアの手首を握った。

 そう懇願する彼の目の下に濃い隈ができているのを知り、オフェリアは胸を突かれる。

 老いるように死んでいきたいと、百年以上も解呪方法を探していたのに、いつの間にか諦めたまま生きていたことに気付いてしまった。

 目の前の青年は毎日必死になって解呪の研究を重ねているというのに、期待しているという言葉だけ与えて、本心は違ったなんてあまりにも非情ではないか。

 罪悪感が一気に這い上がってくる。



「ごめん……ユーグごめん。百年以上も生きているのに、至らないことが多くて迷惑かけちゃっていたね……ごめんね。本当にごめん……怖かったの……ごめん。逃げて、ごめん。私……私……っ」



 解呪できると期待し、たくさん失敗してきた。得られたヒントを片っ端から試しても、改善されない。ようやく次こそ期待できると思った方法も空振りに終わる。何度も、何度も、何度も期待して、全部駄目だった。

 新しいヒントを見つけても、どこかまた失敗するだろうと思っている自分がいた。期待した分だけ、また失望するに違いない。また期待して、駄目だったときに心が折れてしまいそうで怖かった。



「ごめん……ごめん……」



 ただでさえ怖いのに、恋を自覚して、結局解呪されずにまた置いてかれてしまったら――と想像するだけで体がすくむ。ユーグが先に逝ってしまったらと思うと、胸が張り裂けそうだ。これまでのように、悲しみ耐えられる自信がない。彼だけには置いてかれたくはない。

 そう強く思った途端、自覚してしまう。



(あぁ……私はとっくにユーグのことが好きだったんだわ)



 目を背けていた気持ちをもう無視することはできない。本人の意思を無視するように、ずっと我慢していた分だけユーグへの愛しさが溢れてくる。それは同時に、願いが叶わなかったときの恐怖が増すということ。

 青い瞳からは、堰を切ったように涙が落ちる。



「オフェリア!」



 ユーグは慌てて両手でオフェリアの頬を包み、親指で涙を拭っていく。



「ごめんなさい。オフェリアのこれまでの人生を考えたら、呪いが解けないかもという不安や、期待することへの恐怖は当然なのに……僕の成果不足なのに、焦りをぶつけてしまいごめんなさい。泣かないでください……オフェリア、ごめんなさい」



 ユーグは、涙の本当の理由には気付いていない。何度も許しを乞うように謝罪の言葉を繰り返し、懸命に涙を受け止める。

 相手の好意の類いは師匠愛が重いだけと分かっていても、その健気な姿が愛おしい。そっと黒髪に手を伸ばし、久々にユーグの頭を撫でた。



「悪いのは私の方。もう謝らないで、ね?」

「いいえ、すでに呪いに捕らわれているのに、さらにオフェリアを鎖で繋ぐようなことをした僕が愚かでした。今、その手枷を外しますね」



 ユーグが魔法を解除するため触れようとするが、オフェリアは手を引っ込めて背に隠した。



「オフェリア?」

「着けたままが良い……きっと私はまた逃げてしまう。でも、ユーグが一生懸命頑張っているから、そんなことはしたくないというのも本心なの。これは自戒のためにも、このまま着けさせてくれないかしら? ちょうどデザインも素敵だし」



 弱々しいながらも、笑みを浮かべてみせる。

 ユーグは戸惑いの表情を浮かべるが、オフェリアの譲る気のない笑みを前に頷いた。



「分かりました。早く手枷が外せるよう、解呪の研究を急ぎますね」

「ありがとう。お願いするわ」



 今度こそユーグを信じたい。自分の弱さからこれ以上逃げたくない。そんな思いでオフェリアは、手枷を着け続けることにした。

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