第47話 毒か、蜜か②

 

 珍しい客が、ユーグには内緒でオフェリアを訪ねに家にやってきた。真っ白な長い髪を三つ編みし、歴戦の風格を見せつける老齢の男性魔術師――魔塔グランジュールの主ブリス・オドランは、困ったようにたっぷり蓄えた髭を撫でた。



「オフェリア先生が家出するたびに、ユーグ君の研究が止まってしまいます。どうも彼はオフェリア先生がそばにいないと心配になり、集中できないようで。研究に携わっており、管理者である私としてもそろそろ黙認するのが難しい状況でしてなぁ」

「それは……大変申し訳ありません」

「何か理由があるのでしょうか? ユーグ君は非常に真面目な好青年だと思っていたのですが……もし暴力的な二面性があって逃げ出したいということであれば」

「断じてそのようなことは! ユーグは本当にいい子です。私が至らないだけです」



 オフェリアは深々と頭を下げた。

 危うく優等生ユーグが、ドメスティックでヴァイオレンスな疑惑を持たれてしまうところだった。

 過去にオフェリアは、陰謀に巻き込まれたブリスの師匠の冤罪を魔法で晴らしたことがあるらしい。もし師匠が罪人になっていれば、弟子のブリスも連帯で投獄されるところだったようだ。

 そんなブリスは彼の師匠を倣い、敬意をもって「オフェリアのことを先生」と呼ぶため、先生らしく毅然としていられない自分がますます恥ずかしくなる。


 オフェリアはユーグが魅力的な異性に見え、心臓の鼓動がおかしくなり、ある感情を自覚しそうになるたびに家を飛び出していた。いったん理性を取り戻すための冷却期間として「食べ歩きの旅に出ます。〇日後には戻るので、気にせず待っていて」という期限を約束した置き手紙を、きちんと魔塔の受付に預けてから街を出る。


 だけど、いざ約束の日を迎えると数日間で落ち着いたはずの鼓動はまた逸り出す。もう一日……いえ、もう二日だけ帰宅の期限を延長したい。そう悩んでいる間に、ユーグは約束の日の翌日に迎えに来てしまうのだ。

 ユーグは前回とは別の街であっても、初めて使う宿やレストランであっても、オフェリアがわざと羅針盤を家に置いてきても関係なく見つけ出していた。仕組みを尋ねても「オフェリアのことですから」と圧力を感じる笑みを浮かべられ、自分は約束を破ろうとした手前、それ以上ユーグを問い詰めることができてない。

 でも、どこにいても見つけ出してくれることに嬉しい自分もいて……。ズキンと胸の奥に痛みが走ったオフェリアは、膝の上に載せた両手に拳を作った。



「ふむ、深入りしない方がよろしいようですね。今しばらく、オフェリア先生のことは見守ることにしましょう」

「……お気遣いありがとうございます」

「ただ、最後にひとつだけ申し上げたいことがあるのですが、よろしいかな?」



 そっと顔をあげたオフェリアの視線の先には、皺が多い目元を柔らかく細めたブリスがいた。寄り添うような、慈しみの眼差しが送られてくる。



「オフェリア先生が覚えていなくても、あなたに救われた人間は、あなたが思っている以上にいます。そして恩を返したい、力になりたい、支えたいと思う私の様な魔術師も少なくないのですよ。バラバラに動いていたプライドの高い魔術師たちが今、手を取り合い始めています。その中心にいるのがユーグ君なのは間違いないでしょう」

「……っ」

「きっと、今度こそ不老の呪いは解ける。私や他の研究仲間もそう信じています。先生はどうですか?」



 そう問いかけたブリスは、応えられないオフェリアに笑みだけ残して魔塔へと戻っていった。



『いよいよ花が咲くと、私は信じています』



 卒業式の日、クラークが言った言葉が脳裏にこだまする。名高い魔術師が、ひとりのみならず何人も解呪を信じている。

 呪いを持っている間は、誰かを愛してはいけない――そう自身を戒めていた気持ちが揺らぎそうになってしまう。

 約百二十年のオフェリアの人生で、恋人ができたことはない。自分が不老でいる限り、誰もが自分より先に死ぬことをよく知っていたからだ。

 大切な相手ほど、見送りは悲しく辛い。

 特にユーグは拾ってもう十三年。大切に育ててきた子どもで、唯一の弟子。ユーグを危機から救えるのなら、命をかけられるほど愛しい。今でさえ強い愛情を彼に抱いているというのに、『恋』なんてものを上乗せしたら抱えきれないだろう。

 呪いが重くオフェリアにのしかかり、息が苦しい。



「呪い、早く解けたら良いのに」



 この願いを叶えるためにも、家出をしてユーグの研究を邪魔するようなことはしてはいけないだろう。オフェリアは「まだよ」と自分に言い聞かせるように呟いき、ぐっと気持ちを抑えつけた。

 それからしばらく、オフェリアが急に家を飛び出すことはなくなったのだが……約一年ぶり、八度目の家出したオフェリアの両手首には、ユーグが用意した美しいブレスレット型の手枷がつけられてしまっていた。

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