第49話 毒か、蜜か④
さらに一年が経ち、オフェリアは百三十三歳、ユーグは二十四歳になった。まだ不老の呪いは解けていない。
しかし確実に研究は進展しており、今は可能性の高い解呪方法を選ぶ検証の段階にある。クラークをはじめ、オフェリアにこれまで協力してきた外部の魔術師も魔塔を訪れるようになり、解呪への期待は自然と高まっている。
オフェリアも期待で芽生える恐怖から逃げることなく、あれから家を飛び出すようなことはしていない。これも、ブレスレット型の手枷のお陰だろう。なければ、きっと家出したに違いない。
なぜなら、昨年焦りをぶちまけてしまった後悔からか、ユーグの態度がとても余裕のある紳士そのもので、オフェリアの恋心を刺激してくるのだ。
無邪気さが消え、大人な態度でひらすらオフェリアを慈しんでくる。
オフェリアのあれこれが好きと言うことも、不用意に頭を撫でられることもなくなったのに、どうしてか今の方がドキドキしてしまうことが多い。
これはオフェリアが恋を自覚したせいなのか、ユーグが単純に誰から見ても魅力的な男性になったからなのか。
確実に言えることは、オフェリアは好きな人との同居生活に理性をすり減らしているということだ。
思わずトキメキのツボを押され、衝動で胸の中の「好き!」が暴れ出す。そのたびに逃げたくなり、ブレスレットで我に返り、ひっそり私室で悶絶するのだ。
「う……思い出したらまたドキドキしてきちゃった」
心臓の熱が全身を巡ってしまい、興奮で眠気が飛んでいってしまう。オフェリアは落ち着くために薬草茶の力を借りようと一階に下りた。
まだそこは灯りが残っていて、ソファではユーグが資料を手にしたまま寝てしまっていた。数枚ほど手から落ちて、床に広がっている。
「まだ頑張っていたのね」
研究が大詰めの段階に入り、どれだけ忙しくてもユーグは必ず家に帰ってくる。オフェリアが起きている時間に間に合えば、彼女の顔を見て小さく肩の力を抜くのだ。
(私が家出を繰り返したせいで、なかなか不安を忘れられないのかしら)
罪悪感を抱きながら落ちた紙たちを拾う。
時間に干渉する魔法陣の計算方法や、魔法を補助する魔道具や素材の種類がみっちりと書かれていた。中にはオフェリアが提供した情報や提唱した理論もしっかり組み込まれていて、百年の努力が無駄ではなかったと証明されている。
それは亡きウォーレス師匠や家族、協力してくれた魔術師たちも報われるということだ。
(みんな、あと少しだよ)
以前とは違い、今のオフェリアは、ユーグならの希望を叶えてくれると心から信じている。
自然と期待することへの恐怖が薄れた彼女は顔を緩ませた。
しかし、集めた紙をテーブルに載せようとしたとき、資料の一文に表情を強張らせる。
不老から完全に解放されるためには、ユーグがオフェリアの魔力を一度乗っ取らなければいけない。紙には効率の良い方法が順番に並んでいたのだが、最も上に書かれていた方法が『対象者に魔力を口移しで注ぐ』だったのだ。
「口移し……つまり、キス!?」
驚きのあまり、思わず悲鳴を上げてしまう。
「ん……? オフェ……リア?」
ソファで寝ていたユーグの瞼がひらき、とろんとした眼差しをオフェリアに向けた。
その色香を避けるようにオフェリアは目線をずらすが、無意識に向けた先はユーグの口元だ。
薄く形の良い唇は寝ぼけて絶妙に開かれてしまっているせいで、とんでもなく艶めかしい。
慌てて一歩後ろに下がって、ユーグから距離を取った。
「こんなところで寝ていたら疲れが取れないわ! 短くてもベッドで一度寝なさい」
「そうですね。心配してくれてありがとうございます」
誰のせいで疲れているのか、オフェリアが自分のことを棚に上げて強めに言ってしまったのに……それはそれはとても嬉しそうにユーグは顔を綻ばせた。
この寛容さと、柔らかい笑みがオフェリアの心臓を射貫く。
「し、心配するのは当たり前じゃない!」
「はい、嬉しいです。でもオフェリアの方が早く休んだ方が良いのでは? 顔が赤い」
ユーグの手の甲がオフェリアの額に触れる。手のひらではなく、手の甲でそっと触れるという遠慮が感じられるところが紳士的で、憎たらしい。
「ちょうど水を飲んだら寝るところよ!」
照れを隠すこともできないままオフェリアはキッチンへと走り、コップの水を一気に飲み干した。そして捨て台詞のように「おやすみ!」とユーグに言ってから、階段を駆け上がっていった。
けれど宣言した通りに寝ることは困難で……口移しについて意識してしまったオフェリアは、結局一睡もできず悶絶していたのだった。
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