第40話 不安定な距離感④
ユーグはカウンター内の事務員に「少し外出します」と伝えると、カウンターテーブルの端からロビーに出ようとする。
だが、職場まで突撃してくる令嬢たちがこの機会を逃すはずはない。「お待ちになって!」と黄色い声をあげて、あっという間に目的の人物を囲んでしまった。
受付嬢は両手を合わせ「ごめん」と、ユーグに無言の謝罪を送っている。
察したユーグは、微笑みながらも眉を下げて困惑を示しつつ、「お嬢様方、僕に何か御用ですか?」と努めて紳士的に令嬢たちと向き合った。
明らかにユーグは迷惑そうにしているのに、令嬢たちは頬を赤らめる。
「わたくし、ロロット子爵家の娘アリアーヌでございます! 先日は、我が領地がお世話になりました。改めて御礼のお茶会に誘いたく、招待状をお持ちしましたの」
ツインテールの令嬢アリアーヌに続くように、他の令嬢も受付嬢の手から招待状を取り戻して「わたくしも!」とユーグに差し出した。
しかしユーグはどれも受け取ろうとしない。
「僕はあくまで補助の立場で、どの問題も解決まで主導したのは先輩の魔術師たちです。御礼の茶会なら、それぞれ担当した先輩にお渡しください。それでは、僕は所用があるので」
「後日、その魔術師様にも招待状を送りますからどうかこちらを」
「申し訳ありませんが、僕は依頼主からの報酬以外のお礼は受け取らないと決めておりまして――――!」
ユーグが微笑みを引き攣らながら逃亡ルートを探そうと周囲を見渡そうとしたとき……バチっと、オフェリアと視線がぶつかった。彼は目を見開き、やや強引に令嬢たちの間を抜け出す。
「オ――お師匠様! どうして魔塔に!?」
出かかった名前を引っ込め、懐かしい呼び方をしながら真っすぐにユーグはオフェリアに駆け寄った。驚きを含みつつ彼の表情は輝く笑顔で、令嬢たちに向けていたものとは全く違う。
オフェリアの訪問に関しては歓迎してくれているようだ。
弟子離れをしなければと思いつつ、まだ師匠離れしていなさそうなユーグに嬉しくなってしまう。オフェリアも笑みを浮かべた。
「これを届けに来たの。余計だったかしら?」
鞄から魔法陣攻略本を差し出せば、ユーグは目を輝かせて素早く受け取った。
「ありがとうございます! 実は今からこれを取りに行こうとしていたところなんです。やっぱりこの本がないと、計算式があっているか確認に時間がかかり、検証の進みが遅くなってしまって。本当に助かりました」
「ふふ、それは良かったわ」
令嬢たちが怪訝な視線を送ってくるが、受け流す。幻覚が使える魔術師がいる世の中だ。明らかにユーグの年下に見えるオフェリアが、本当に師匠なのかどうか確信できないのだろう。
ただ、もしユーグがいつも通りオフェリアと言っていたら無駄な憶測を呼び、怪訝な視線では収まっていなかったのは予想に容易い。
できの良い弟子の配慮を汲むように、いかにも師匠らしい態度を見せる。なにせ、オフェリアは本物の師匠なのだから難しいことじゃない。
「じゃあ、午後からも頑張りなさいよ。これからも私に弟子自慢させてね。見送りはここで良いわ」
「もちろんです。お師匠様の期待に応えてみせます。お気をつけてお帰りください」
「ええ、またね」
恭しく頭を下げるユーグの肩を偉そうに叩いてから、オフェリアは魔塔を立ち去った。
***
二週間ぶりの昼下がり。
オフェリアが魔塔を訪れると、取次ぎカウンターで見覚えのある蜂蜜色の髪をツインテールにした令嬢――アリアーヌ・ロロットが再び受付嬢に迫っていた。
「ユーグ様への差し入れが受け付けられないとは、どうしてですの?」
「ですから、手紙や招待状と同様に贈り物も検閲して、安全が確認できてからお渡しする規則なのです。特に食品となりますと、安全の確認が難しいことからお断りさせていただいております」
「我が屋敷の料理人に作らせた、自慢の焼き菓子ですのよ。あなた、ロロット子爵家を疑いますの? いつもお忙しそうにしているユーグ様のために用意しましたのに。あなたは頑張っている研究員を労わりたいと思いませんの?」
アリアーヌは大きな瞳を潤ませ、華やかにラッピングされた箱を胸の高さにあげてアピールした。
言っていることだけ切り抜けば健気な令嬢なのだが、受付嬢の遠い目を見たら、迷惑な訪問者以外の何ものでもない。
大変そうな受付嬢に同情しつつ、オフェリアは開いている方のカウンターに予約カードを出した。
今日は解呪に向けて、不老の原理を分析するデータをとる予定だ。魔塔から持ち出せない貴重な魔道具を使用するため、オフェリアから足を運んでいる。
足止めを食らっているアリアーヌに対し、オフェリアは難なく魔塔の中に入っていった。
そして二時間後、分析はユーグに任せて、オフェリアは夕食の準備をしようと先に魔塔から出たのだが――
「ユーグ様の師匠オフェリア様でございますね。お時間、今からいただけまして?」
住宅街の細い道に入った直後、オフェリアはアリアーヌに呼び止められた。
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