第37話 不安定な距離感①
「なんか違う」
オフェリアは、ぐつぐつと鍋で煮込まれているシチューを見つめながら呟いた。
卒業式が終わって翌日、ユーグに案内されたのは魔塔グランジュール近くの小さな二階建ての一軒家だった。半年前から契約して物件を押さえていたらしい。その上、オフェリアが家に入った時点で、昔ふたりで使っていた家具まで配置されているという用意周到さには驚いた。
魔塔グランジュールとルシアス魔法学園は隣町同士で近いからといって、ひとりで準備するのは大変だったはず。
でもそのお陰で、オフェリアは労を要することなく、以前と同じような生活をスムーズに再開させられ……たと思っていたのだが、なんだか変だ。
「違う? 味付け失敗しました?」
ユーグがオフェリアの隣に立ち、麗しい顔を寄せるように鍋を覗き込んだ。
その顔の近さに、オフェリアの鼓動が加速する。密かに横にずれて距離を開けようとするが、「ん?」と不思議そうにしてユーグが空いた距離を詰めてくる。
同居生活をはじめて早一か月。ユーグの距離の近さと、どことなく醸し出される甘い空気にオフェリアはタジタジだった。
数年前はなんとも思っていなかった距離なのに、妙に緊張してしまう。
オフェリアとしては昔と同じく家族のような気安い雰囲気をイメージしていただけに、想定外のことに今も新生活に慣れずにいた。
「……失敗はしていないはずよ。味見したら、いつもと少し違うような気がしただけ」
「オフェリアの料理はどれも美味しいですから、いつもと違っても全部食べるので安心してください。作ってくれてありがとうございます」
そう言いながら、ユーグはオフェリアの頭を撫でた。
蕩けるような目線までもらってしまったオフェリアは、耳を真っ赤にして堪らず問いかけた。
「最近、な、なんで撫でるの!?」
同居してからのユーグは、ふいにオフェリアの頭を撫でることが多い。よしよし、あるいはポンポンと軽くではあるが頻繁すぎる。最低一日一回は撫でられているのではないだろうか。
抗議するように睨んでみた。
しかしユーグの笑みは綺麗に保たれたまま。
「だって良いことをしたら、思い切り褒めるのがお師匠様でしょう? その弟子が真似るのは当然ではありませんか。それともオフェリアがやってくれたように、僕から抱き締める方が良いでしょうか?」
「抱き締め……」
ユーグに抱き締められることを想像して、オフェリアは顔まで真っ赤にした。
抱擁に関しても、数か月前の卒業式のときだって躊躇うようなことはなかったのに、これ如何に。
自分からユーグにしていたスキンシップを返されるだけなのに、平静でいられない。
ここで『弟子は師匠を真似る』ことを容認してしまったら、ユーグは積極的に実行に移そうとする気配もある。今だって軽く両腕を広げ、いつでも動けるよう万端。
危険だ。芽生えさせてはいけない気持ちが顔を出そうとする。
「抱き締めちゃ駄目よ。もう大人なんだから簡単にすることじゃないわ」
「それは、もう僕を子どもとしてみていないということでしょうか?」
「当たり前じゃない。こんなに背の高い子どもがいるものですか!」
「なるほど。身長が伸びて良かった。嬉しいです」
速くなった鼓動を落ち着かせるのに必死なオフェリアに対し、ユーグは上機嫌で食器の準備を始める。
(ユーグは平気で、私だけ妙に意識しちゃうなんて……あぁ、もうっ)
自分より年下の青年の方が余裕そうなのが、少しばかり悔しい。
腹いせに、肉より野菜を多めにしてシチューを器によそった。しかし――
「やった! おかわりしたらお肉が多い」
となり、結局ユーグを喜ばせるという結果に終わってしまったのだった。
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