第38話 不安定な距離感②
「百年以上も不老の力が弱まっていないところを見るに、どこからか悪魔が影響を及ぼせるようオフェリアに印をつけているはずなのですが、探る手段に覚えがありますか?」
「悪魔は獲物を狙うために、人間の世界に釣り糸のように魔力の針を垂らしているらしいわ。引っかかった人間は悪魔の魔力を強制的に与えられ、悪魔召喚に誘惑される。呪いとは少し違うけど、悪魔の影響を受けている状況は同じ。実験について書かれたノートがどこかに……あったわ」
オフェリアは棚から分厚いノートを手に取ると、ソファに座って該当ページを開いて見せた。
ユーグはオフェリアの隣に立ち、ノートを受け取ることなく、そのままオフェリアと顔を並べて手元を覗き込む。
(やっぱり……近いっ)
同居を再開させて一年が経った。今日はユーグの休みで、オフェリアと一緒に解呪について議論する日。
相変わらずユーグの距離感は普通の師弟関係より近い。
普段もソファは膝がぶつかりそうなほどの近さで隣に座るし、一緒に買い物に行ったら「危ないですよ」と言いながら守るように、ときどき肩を引き寄せる。まるで、常にそばに置いておきたい宝物のようにオフェリアを扱っていた。
(相変わらず師匠愛が強いのよね。こんな老婆を大切にしてくれる姿勢は心優しく育った証拠なのだろうけど、老婆にこの若々しい青年の雰囲気は刺激が強いわ)
今日もますます端整になった横顔を近づけ、オフェリアの心を揺らそうとするユーグに頭を悩ます。
しかし解呪について議論しているときのユーグは真剣な面持ちを浮かべており、甘い雰囲気を漂わせないのが救いだろう。すっかり誰よりも頼りがいのある魔術師だ。
「呪いを打ち消す、あるいは封印による強制停止の他に、オフェリアに絡まった悪魔の糸を切断する方法も解呪として有効かもしれません。問題はどうやって糸を見つけ出し、支配権を得るか――……このノート魔塔に持って行っても?」
「良いわよ。関連しそうな他の文献もピックアップしておくわ」
「助かります。もう少しで何か掴めそうな気がするんですよね」
ユーグはソファに腰掛けると、彼が用意していた別の文献と照らし合わせ始める。その文献をちらっと覗いてみるが、もはやオフェリアでは理解できない次元の計算がびっちり書かれていた。ユーグが理解できるのは、クラークの教えの賜物だろう。
今はなんとかユーグの相談相手になれているが、あと何年できるか……オフェリアは密かに苦笑しながら、有用そうな悪魔の資料を精査していく。
理想の魔術師を育てるつもりで拾った孤児だったユーグは、理想以上の魔術師になった。知識や魔法の技量は一流で、その才能を持って不老の解呪の研究に打ち込んでくれている。過去と比べても、確実に前進している手応えを感じていた。
『いよいよ花が咲くと、私は信じています』
卒業式の日に告げられたクラークの言葉が脳裏に響く。今回こそ、本当に解呪方法が見つかるかもしれない――という期待は自然と大きくなっていく。
しかし、オフェリアはユーグに知られないよう頭を振って気を引き締めた。
(まだ……早い)
何度も読み直したせいで角がなくなっているノートを棚に戻し、別のノートを手に取った。
***
「あら、この本は確か……」
まもなく昼の時間に差し掛かろうという頃、オフェリアが共有の研究部屋の資料を整理していると、ユーグの愛読書が他の本に混ざってテーブルに置かれているのを見つけた。
クラークお手製の世界で一冊だけの魔法陣攻略本だとして、ユーグが相棒にしていた貴重な分厚い本。
文献に夢中で夜更かししていたユーグは珍しく遅刻ギリギリで、今朝は慌てて家を出たから置き忘れてしまったのだろう。魔塔の研究室で困っている彼の姿が頭に浮かぶ。
「届けに行かないとね」
些細なことでも、ユーグの役に立てることがあることが嬉しい。オフェリアは魔法陣攻略本を携えて、軽快な足取りで家を出た。
魔塔グランジュールは、大陸一の魔塔だけあって建物は巨大で、尖塔は王城に負けないほど高い。一階は一般人も自由に出入りできるロビーになっており、フリーの魔術師に仕事を紹介する窓口が右、魔術師に助力を求める依頼者の窓口が左にある。
他の魔塔で解決できない依頼は最終的にグランジュールに舞い込むこともあって、窓口には依頼者が長い列をなしていた。仕事をもらいに来るフリーの魔術師も、一目見ただけで手練れだとわかる者が多い。その手練れすら就職できないのが魔塔グランジュールだ。
改めてユーグの素晴らしさを実感しつつオフェリアは、奥にある研究員に取次ぎをしてもらう連絡カウンターに向かう。
いつもは共同研究者である外部の魔術師や、重要案件を持ち込む貴族当主がしか並ばない少々重々しい雰囲気漂うカウンター。
だが、今日は様子が違った。
「ユーグ様にお取次ぎしていただけませんか? わたくしたち、ユーグ様をお茶会にお誘いしたく、招待状をお持ちしましたの!」
いかにも育ちの良さそうな、華やかな装いの十代後半くらいの女の子――令嬢と思われる五人組がカウンターの半分を塞いでいた。
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