第45話 宝物の守り方③

 

 少し前まで美しい親子愛を育んでいた姿が幻のようだ。

 アリアーヌは父親に謝罪しつつ苦しい言い訳を並べるばかりで、保身のことしか頭にない。

 ロロット子爵もアリアーヌに騙された被害者とアピールし、血のつながった娘を捨てることで助かろうとしている。娘が愚かに育ってしまった自らの責任には目を向けずに。



(どちらもオフェリア本人に謝る気が微塵もないらしい。まぁ、謝罪したいと言われても、オフェリアには絶対に会わせないけど……手紙も渡すものか)



 アリアーヌを思い出したら、きっとオフェリアは投げつけられた侮辱の言葉まで思い出して心沈めることだろう。保身のための、意味のない謝罪でオフェリアの心を煩わすのは望んでいない。

 ユーグはソファから立ち上がり、喚くアリアーヌと父親を冷めた目で見下ろした。

 ロロット親子はハッとなって、黒髪の魔術師を見上げた。



「ユーグ、殿……その……」

「どう責任をとるか決まりましたら、魔塔主宛に報告書を提出してください。なお、アリアーヌ様のように事前の約束もなしに、身分を笠に着て何度も魔塔に押しかけることもしないでください。あれ、魔塔にとって非常に迷惑なんですよ。直接お会いしたいときは、必ず規則通りの手続きをお願いします」

「アリアーヌはそんなことまで……!」



 ロロット子爵がキッと娘を睨む。アリアーヌは「だって……」とまた言い訳しようとするが、ユーグは隙を与えず言葉を続ける。



「それとお師匠様には二度と接触しないでください。お師匠様が許せば、自分たちも許されるとお思いにならないよう。もし反故するようなことがあれば、追加制裁を検討します。くれぐれもお忘れなきようお願いいたします」



 テーブルの上に置いてあったネズミ型のゴーレムを手のひらに載せ、あえてにっこりと微笑んで見せる。

 これでオフェリアには常にゴーレムが付き添い、何かあれば魔塔の耳に届くと思い込むだろう。魔塔の目を盗んだり、出し抜こうという気概は起こらないはずだ。

 ユーグは見送りを断り、さっさとロロット子爵家の屋敷をあとにした。


 そうしてユーグが帰路についたのは日付が変わる頃だった。オフェリアはもう私室で寝てしまっているだろう。その油断が良くなかった。

 ユーグはリビングに入るなり、目を丸くした。

 オフェリアはリビングのソファで眠りに落ちていたのだった。座ったまま背もたれに頭を預け、無防備な寝顔を晒している。膝の上には魔法の本が開いたまま載っており、読書の途中で睡魔に負けてしまったことが察せられる。

 ユーグは引き寄せられるように、足音を立てないようそっと近づいた。軽く腰を曲げ、愛しい人の顔を観察する。

 帰ってから冷やしたのか、それとも不老の影響か、目元に赤みは残っていない。

 こんな時間まで泣くほど引きずっていないことに安堵しつつ、慰めるチャンスが消えたことが少し惜しい。



(一瞬でもオフェリアに付け入れるチャンスだと、浅ましいことを考えてしまい……ごめんなさい)



 心の中でオフェリアに懺悔する。どうしても彼女に一番近い存在でいたくて、わずかでも嫌われたくなくて、本人に告げることができない。二度と同じことは起こさせない――そんな覚悟を贖罪として捧げる。

 贖罪だけじゃない。まだその時期じゃないだけで、もっと捧げたいものはあった。



「愛しています」



 音になるかならないかの声量で呟いた。

 その言葉は寝ているオフェリアに届くことはない。

 ユーグは眉を下げ、そっとオフェリアに手を伸ばして……細い肩を優しく揺すった。ゆっくり瞼がひらき、青い瞳が姿を現す。



「オフェリア、寝るなら部屋で寝た方が良いですよ」

「ん……ユーグ? ……あら、私ったら寝ていたのね。そうだわ、あのね……実は……その」



 オフェリアはハッとしたように何かを言いかけて、途中で詰まらせてしまう。

 迷惑をかけてしまうかもしれないと、帰り道で貴族であるアリアーヌと揉めたことを気に病んでいるのだろう。優しいオフェリアならば、アリアーヌが反省して再び絡んで来なければ、無罪放免でかまわないと考えている可能性もある。

 いたずらに報告して、オフェリアが傷ついたことまでユーグに知られてしまうと、過保護が加速すると予測して言いにくいのかもしれない。

 そう想像しながらユーグは黙って待つが、彼女の表情から続きを聞くことは期待できそうもなかった。彼はできるだけ柔らかい笑みを返し、知らないふりに徹する。



「寝たら、忘れてしまったみたいですね」

「……うん。ごめんね」



 オフェリアはバツが悪そうな、弱々しい笑みを浮かべる。

 謝罪の本当の意味を察しているユーグは、胸のつまりを隠すように努めて笑みを保ち、軽い冗談を言うような口調で応えた。



「謝らないでください。オフェリアになら、どんなことをされても許せます。むしろ面倒ごとすら大歓迎なくらいには」

「そんな大口叩くものじゃないわ」

「だって、僕が子どもの頃にかけた面倒ごとの多さ超えることはないでしょう? それに、そのときもオフェリアは嫌な顔もせず手助けしてくれました。僕も同じ気持ちなんですよ」

「ユーグ――……ふふ、ありがとう」



 オフェリアは軽く瞠目した後、安堵したように顔を綻ばせた。何も取り繕った様子のない、相手を信頼しきった笑みはひだまりのようだった。

 思わず触れたくなってしまう。今すぐ腕の中に閉じ込め、思いの丈を叫びたくなる。

 愛する宝石が手の届く距離にあるというのに、安易に触れられないというのは難儀なものだ。それも毎日、何年も……でも赴くまま行動してしまったら、オフェリアを困らせてしまうだろう。



(でもやっぱり、もう少しオフェリアに近づきたい。もう少し、僕を意識してほしい……僕はもう大人の男ですよ、オフェリア)



 ユーグは切実な想いを隠しながら、私室に向かうオフェリアの背を見送った。



 ***



 後日、アリアーヌは破門の上、特に規律の厳しい国外の修道院に入れるとロロット子爵家から魔塔に報せが届いたのだった。その修道院は労働も課せられるため、監獄よりも生活が大変だと言われている場所だ。

 アリアーヌの修道院入りの理由を『家門の中での問題』と周囲に説明するのを条件に、魔塔はロロット家への技術支援を継続。

 表面上は、魔塔とは無関係のこととして密かに処理された。これでもしオフェリアの耳に入っても、彼女が罪悪感を抱くことはないだろう。

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