第35話 選択した進路④

 

 ユーグが不思議そうな表情を浮かべて、オフェリアのもとに駆け寄ってきた。



「お師匠様が頭を下げるなんて、クラーク先生と何を話していたのですが?」

「クラークさんが見てなくても、ユーグがお世話になりましたって気持ちを、もう一度伝えたくて……それより、本当に立派になったわね」



 改めて、微笑むユーグの姿を目に焼き付ける。落ち着いた雰囲気もあって、実年齢より少し大人に見える。ついに、見た目はオフェリアを追い越してしまった。

 いや、見た目だけではなく魔術師としての知識はユーグの方が上に違いない。

 じっと黙って見つめるオフェリアに、ユーグは首を傾けた。



「お師匠様?」

「その呼び方やめない? 学費の援助も終わったし、魔塔に就職が決まったユーグに、私からもう教えられることはないわ。もうユーグは一人前の魔術師だもの、対等でいきましょう」

「どういうことですか?」

「師匠ではなく、これからは名前で呼んで良いわよ」



 ユーグは少し瞠目して、息を呑んだ。そしてわずかに唇を震わせながら、名前を紡ぐ。



「オ……オフェリア様?」



 たどたどしい口調がくすぐったい。もう少しサービスしても良い気分になる。「様はいらないわ。気軽に呼び捨てで良いわよ」とオフェリアが言えば、ユーグの目はさらに大きく開らかれた。呼吸を忘れて、オフェリアを見下ろしている。

 このまま酸欠で倒れてしまわないか、心配になってしまう。



「ほら、気軽に呼んでみなさい」

「――……オフェリア」

「ふふ、新鮮ね。改めて卒業おめでとう。勉強頑張ったわね」



 名前を呼んだことでようやく大きく息を吸ったユーグを、オフェリアは抱き締めて褒める。ユーグを抱きしめるのは、一緒に住んでいた家を出るとき以来、五年ぶりだ。

 これからは対等な魔術師同士。師匠として弟子を褒めるのはこれが最後になるだろう。だから力いっぱい、ユーグの体を抱きしめる。

 ユーグも、ゆっくりとオフェリアを抱きしめ返した。遠慮がちだった五年前と比べて迷いがない。逞しくなった腕の中に、すっぽりとオフェリアを収めてしまう。

 周囲にいた保護者や魔術師は卒業生に会いに、もう会場の外に出ていて観覧席にはいない。ここに残っているのはオフェリアとユーグのみで、なんだか気分が落ち着かなっていく。

 そろそろ離れようとオフェリアが腕の力を緩めるが、逆にユーグの腕の力が強まった。



「オフェリア、僕が一人前ということは、正式に解呪の協力をする魔術師として名乗り出ても良いのでしょうか?」

「そうね……と言いたいけれど、あなたほどの素晴らしい魔術師に払える対価が私に用意できるかしら」



 高給取りの魔塔グランジュールに就職したユーグには、オフェリアの全財産を貢いでも対価に値しなさそうだ。貴重な魔法書も実験の素材も魔塔の方が揃っているだろうし、新しく教えられる有用な魔法もあるか怪しい。

 ユーグにあげられるものが思い浮かばず、オフェリアは苦笑する。



「心配いりません。オフェリアは僕を育ててくれた師匠ですから、特別に割引しますよ」

「あら、育ててくれたから無償とは言ってくれないのね」

「そう言える無垢な子ども時代は終わりましたから……対価は、時間をください。オフェリアの時間を、僕に」

「時間?」



 緩んだユーグの腕の中から、オフェリアは彼の顔を見上げた。

 ユーグは体を離す代わりに、彼女の手を両手で包み込んだ。



「条件付きで、個人の研究室をいただけることになりました。その条件が魔法陣を用いた時間干渉について研究することなのです。不老にも関係しているので呪いの情報についてもっとあなたと頻繁に相談したいですし、研究に専念したいので身の回りの世話もお願いいしたいのですが」

「助手を飛ばして個人の研究室をもらえるなんて、特別待遇じゃない……って、つまり?」

「また僕と一緒に暮らしましょう。その……またオフェリアのハンバーグが食べたいです。できれば、チーズ入りの」



 立派な青年になったはずのユーグは頬を赤らめ、ご褒美の日によく作っていたオフェリアの手料理を求めた。

 思い出の味を恋しがってくれる姿はなんとも愛らしく、あっという間にオフェリアの母性は鷲掴みにされる。

 突然の同居のお誘いには多少驚いたが、ちょうど今年は訪問を約束している魔術師はいないし、いくらでも融通はつけられた。

 断る理由は皆無だ。まだユーグを支えられるという存在価値があって嬉しいくらいだ。



「良いわ。ユーグとまた暮らせるなんて楽しみね」

「僕もです! ありがとうございます!」



 花が開いたような笑みを浮かべると、ユーグは喜びのままオフェリアを抱き締めた。大きな手のひらが、背中を通って遠慮なくオフェリアの肩と腰を抱く。

 体格差を感じたオフェリアは、ユーグが成人男性だと強く意識させられてしまった。

 こうしてオフェリアはやや混乱したまま、ユーグと五年ぶりにひとつ屋根の下で暮らすことになったのだった。

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