第20話 とても自然に。
あれぇ? どこいったぁ?
デスクの下に潜り込んで、私はお気に入りの万年筆を探していた。
二十歳の誕生日に、筆マメのおじいちゃんが、私のために買ってくれた万年筆。
別に高級品というわけでは無い。有名メーカーの万年筆な訳でもない。けど、私にとっては宝物。
だって、おじいちゃんが私の事を思いながら選んでくれて。私を良く知るおじいちゃんだからこそ、私の手によく馴染んで使いやすい物だった。
「えぇ……。何処で無くしたんだろ……。まずはいつまで持っていたか思い出せぇ、私」
自分のデスクの下から出ると、その場で正座をし腕を組む。
「昨日の夕方には確実にあった。今朝は? どうだった?」
目を瞑り右手人差し指を眉間に当てる。
「なぁに、さっきっからぶつくさ言ってんだよ」
「いでっ!」
コツンと頭を叩かれ、私は顔を上げ叩いてきた相手を見上げる。
「痛いですよ、主任……」
「わりぃ、わりぃ」
全く悪いと思ってない笑顔で言ってくる相手を軽く睨みつける。
「で? こんな所で正座してどうした。みんなもう帰ってるってのに」
私は腕時計に目を向けた。まもなく六時を迎える。
顔を上げて事務所内を見ると、確かに誰もいなかった。いつの間に。
まぁ、本日は「ノー残業デー」だから、みんな定時に帰ってしまったのだろう。一声掛けてくれたっていいのに。いや、私が聞こえてなかっただけか? だとしたら申し訳ない。
「おーい。お嬢さんよぉ、聞いてるかぁ?」
声の主に再度、視線を向ける。あら、主任の質問無視してたわ。
「主任は、こんな時間にどうしたんですか?」
「俺の質問は無視かよっ!……いま、クライアントとの打ち合わせが終わったんだよ」
ああ、なるほど。
こちらの主任様、実はワタクシと同期なのですが、めちゃくちゃ仕事の出来る男でして。クライアントさんからも評判が良く、彼ご指名で仕事の相談が来る事も。入社して三年目で主任になったお方です。同期の中では、一番早く役職名がついた男だ。きっとこの先も出世街道まっしぐらであろう。
「今から軽く書類整理して帰るが……。お前は何をしているんだ? なんか探し物か?」
主任が改めて私に訊ねてきた。
「ええ、まぁ。はい」
「何探してんの?」
「いや、別に大したものじゃ無いので、もう帰ります」
私が、よっこらしょと立ち上がると、主任は腕を掴んできた。
「待て待て、居残ってまで探してるんだ。大事な物なんだろ?」
「残業届けは出しませんから、安心してください」
「いや、そういう事じゃなくてだなぁ」
「至極、個人的な探し物だったので。もう良いんです。すみません、お騒がせしました」
私がペコリと頭を下げて、帰り支度をしようとすると、何故か主任は私の隣の席に腰を下ろし「あのさぁ」と声を掛けてきた。
「なんですか?」
鞄に私物を入れながら返事をする。
「他人には大したモンじゃなくても、お前にとっては大切なモンだったから、みんなが帰っているのにも気が付かないで必死に探してたんじゃ無いの?」
主任の言葉に、私は手を止めた。
「何探してんの? オレも一緒に探すよ」
「いえ、それは」
「じゃあ、オレが書類整理終わるまで、探してていいよ」
「……ありがとう、ございます……」
主任は席から立ち上がると、私の探し物が何なのかも聞かず、自席に向かった。
私は主任の言葉に甘えて、もう少しだけ探してみようと思った。きっと、ここで探すのを諦めたら、後悔する。そんな気がしたから。
私は事務所内だけでなく給湯室、ロッカーやトイレ、コピー機周りなど、思い当たる箇所を探し歩いた。
結局、万年筆は見つからなくて。これだけ探して無いのだから、きっと外で落としたのかも知れないと、諦めることに気持ちが切り替わった。
最後にもう一度だけ、自席周りを探して終わりにしよう。そう考えたとき。
「探し物は見つかったのか?」
私に近づきながら、主任が聞いて来た。
「いえ……。ここまで探して無いとなると、きっと外で落としたんだと思います。すみません……。あ、主任は書類整理、終わったんですか?」
「ああ、終わったよ。最後にもう一度、自分の席、探すんだろ? 何を探してるのか、聞いても?」
私の行動を分かっているかの様に主任は言った。
「万年筆です……」
「万年筆」
「はい……二十歳の誕生日に、祖父から貰った万年筆なんです……」
「そうか。そりゃ、大切なモンだよな」
「……」
なんだろ。何で、そんな優しい言い方するのよ。笑もせず、馬鹿にする事もなく。何でか分からないけど、急に泣きそうになった。
「こっちのデスクとか、見てみたのか?」と、私の前の席の人の机を指差す。
「いえ、他の人の所は」
「まぁ、探しにくいよな。でも、今、本人居ないし。ちょっと見てみるか」
そう言うと、主任は机の下に潜り込んだ。時々「うわ、きったねぇ」なんて声が聞こえる。その声に、思わず小さく微笑みながら、私は自分の席の引き出しや、パソコンの裏など確認するけど、やっぱり何度見ても無い。
「よいしょっと……」
机の下から出て来た主任が、今度は私の席に回ってきて「これ、どかしてみた?」と、引き出し脇のキャビネットを指差す。
「いえ、そこまでは」
「じゃあ、退かすか」
「え、」
「ちょっと退いてて」
主任が「ふっ!」気合いを入れるような、太い声を出してキャビネットを移動させる。
僅かに動くと、その下から細く黒い物が見えた。私は素早くしゃがみこんでそれを手に取る。おじいちゃんのくれた万年筆だ……。
「それ? 探してたのって」
いつの間か、主任が隣に座って私の手元を覗き込んで来る。私の身体の右側が、主任の身体と触れ合ってて。そんなくっついて来なくてもと、思わず左へ身体を移動させようとしたら、足首がグネってよろけそうになった。そんな私の身体を主任が素早く支えてくれて……。
お礼を言おうと顔を向けると、思いの外、近い距離に顔があって。
少し動いたら、唇が触れてしまいそうな距離で……。
「ああ……ごめん……」
主任は私から手を離すと、スッと立ち上がった。
「見つかって良かったな」
「……はい、ありがとうございました」
キャビネットを元の位置に戻し、主任は自席へ戻っていく。その背中に向かって、私は何故か声を掛けていた。
立ち止まって振り向いた主任は、不思議そうに私を見つめる。
私は何で呼び止めたのか、自分でも分かって無くて。でも、何か言わなきゃと思い、思わず夕飯を誘っていた。
主任は一瞬、間を置いてから「いいよ、行こうか」と笑みを浮かべ頷いてくれた。
私はホッとして帰り支度をする。
さっき触れた右側の身体が、今もまだ少し熱い。ほのかに香った主任の香水の匂いが、まだ私の身体を包んでいる気がして、少し恥ずかしい気持ちになる。
新入社員として一緒に研修を受けた、あの日から。私は、彼に少しの気持ちを寄せていた。でも、彼と自分とでは釣り合わないと思わされるほど、その頃から彼は優秀だった。私も頑張ろうって思って来たけど、その差は歴然で。いつの間にか、好意が嫉妬に変わっていた。
なのに。
何で今更、とっくの昔に封印した想いが蘇ってくるのよ……。
「じゃあ、行くか」と、帰り支度を済ませた主任が私の目の前に立った。
私は彼を見上げ、黙ってその形の整ったアーモンドアイを見つめる。
「ん? どうした? 行かないの?」
「主任」
「ん? なに?」
「私、主任が好きです」
突然の告白。自分でも、何で今よ! と、自分の思考にツッコミつつ、もう言ってしまったのだからしょうがない。
主任は大きく目を見開いて、絶句したかの様に黙って私を見下ろす。
「……すみません……突然」
「いや……。それ、本当……?」
戸惑いつつ、訊ねてくる主任は、仄かに頬が緩んでいる様に見える。
笑われてる。そうだよね、私なんか眼中ないでしょうし……。それでも、私は「はい」と頷いてみせた。
主任は口元に左手を当てて「マジか……」と呟く。その顔は、何やら難しそうに眉間に皺を寄せているけれど、その手で隠した口元は、さっき笑いを堪えるみたいに見えたのを、私は知っている。
なんで告白なんてしちゃったんだろ、私。絶対、フラれるってわかってる。その前に、彼女居るかも知れないし。プライベートを殆ど見せない彼だから、彼女の有無を知らなくて……。
「ごめんなさい。変なこと言って。忘れてください」
私は自分の荷物を掴むと「失礼します」とその場を離れようとしたが、すぐさま腕を掴まれた。
「待て待て、食事は!?」
「行きませんよ……」
「なんで」
「何でって……!」
「とりあえず、こっち向いてよ」
「嫌です」
「なんで」
なんでって! だって、情け無くて涙出て来ちゃったんだもん! 見せられる訳ないじゃない!
主任は大きく息を吐き出すと「頼むから、こっち向いて?」と、柔らかな声色で言う。こんな声、初めて聞くから私の心臓は痛いくらい早い動きをする。
ゆっくりと、半分だけ。主任に顔を向ける。
「なんで、泣いてるの?」
子供に訊ねる様な声に、余計に情け無い気持ちになる。
「……だって、フラれるから」
「オレ、まだ何も言って無いけど?」
「どうせ、フラれるから」
「なんで、そう思うの?」
「……主任、なんで星人ですか?」
「なんで星人って」
私の腕を掴んだまま、彼は大笑いする。
「好きだよ。前から」
「え……?」
「オレ、お前に嫌われてると、思ってたから……」
主任の言葉に、私は呆けた。なんて言いました?
私がポカンと主任を見つめていると、彼の顔が視界いっぱいになる。
え?
「好きだよ、オレも」耳元で囁く声と、耳に残るリップ音。
瞬きも忘れて、主任を見つめていると両頬を包まれ涙を拭われる。見た事のない、柔らかな微笑みが私に向けられている。
これは、夢?
再び、唇に押し当てられた彼のそれは、とんでもなく甘い。鼻腔を擽る、彼の香水の香りと耳の奥に響くリップ音に、私は全身の力が抜けそうになる。
「おっと」と、私の腰に腕を回し身体を支えてくれる彼の腕が、逞しくて。
細身の割に、結構逞しいんだな、なんてぼんやりと思ってしまう。
「ごはん、行く?」
私はコクリと声もなく頷く。
「じゃあ、行こうか」
足元がフワフワと覚束ない私を、当たり前に彼は支える。
ずっと前から、そういう関係だったみたいに。とても自然に。
私がそっと彼を見上げると、目が合う。「なに?」と甘い声と、軽い口付けが降ってくる。
主任って、こんな人だったのか? 急に激甘なんですけども!?
私は思う。
きっと今夜、彼に「お食事」されるのだろう。
とても自然に。
×××
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