第5話 on a fine afternoon


「なっちゃん、ちゅーしよー!」

「うん! いいよ〜」


 よく晴れた平日の午後三時前。

 クライアントとの面談を終えて、少し一休みしようと上司が言うので、天気も良いし近くにあった森林公園へやって来た。


 木陰になる場所にベンチが設定されており、そこでぼんやりとしていると、可愛らしい声が耳に飛び込み、そちらを見遣る。少し離れた場所で、四歳くらいの男の子が同じ年頃の女の子にキスをしている。それを見て、僕はこっそり含み笑いをした。


「なに笑ってんのよ」


 頭上から声が降ってきて、顔を上げる。


 年齢不詳の美人が立っている。僕の上司であり、僕の恋人。

 身体にピッタリなスーツがよく似合う。その美人上司が、缶コーヒーを僕に差し出して微笑んでいる。

 逆光で眩しいのか、はたまた上司の笑顔が美しすぎて眩しいのか分からなくなるくらい、思わず僕は目を細めた。その顔が、笑って見えたのか、上司は「なに?」と笑う。

 僕は「いえ」と、礼を言いつつ缶コーヒーを受け取ると、上司は僕の隣に腰を下ろした。


「いやぁ、なんて言うか。なんだか、懐かしいなと思って」

「懐かしい?」

「ええ。あの子達見てて、何となく」


 僕は顎で見ていた先を示す。

 上司は、チラリとその先に目をやり「意外」と言う。


「君、子供好きなの?」と驚きながら言うもんだから、僕は慌てて「いやいや、そういう事じゃ無くて」と手をひらひらとさせ否定した。


「さっき、あの子達がチュウしてたんですよ」

「チュウ?」

「ええ、キスを。口と口で」

「えぇ〜! すごいマセてるわねぇ」


 上司は、笑いながらも本気で驚いていた。


「え? そうですか? 僕もあのくらいの時、好きな子とチュウしてましたよ?」

「え! うそ!?」

「ホント」


 心底驚いた様子で「えぇ〜」と目を見開いた。


「私の時は、そういう子っていなかったんじゃないかなぁ」

「気が付いて無いだけで、いたかも知れませんよ?」

「そうなのかしら? でも、もし居たら子供なんてすぐ言い回るでしょう?」

「いやまぁ、そうなんですかねぇ」

「ジェネレーションギャップかしら、これも」

「いやいやいや、そんな違わないでしょ」

「違うわよ」


 僕と上司は七歳差だが、彼女が年齢不詳に見えるせいか、時々同年代に感じて話をしてしまう事がある。僕は入社当初から彼女が好きで、ずっとアプローチをしてきた。最初こそ、全く相手にされなかったし、信じてももらえなかったけど、やっと最近。つい二日前に、正式にお付き合いが始まった。もちろん、会社には内緒だ。

 だからこそ、就業時間内は自分の身分を弁えて、上司として接している。


 ふと、上司が「キスかぁ」とポツリと呟いた。


「もう、随分してないわ」


 僕は、その言葉に心底驚いた。

 こんなプライベートな話は、普段は一切言わない人だからだ。


 しばらくの沈黙の後、いつの間やら子供たちと、その親達が居なくなっていた。


 ふとベンチに降ろした手が、上司の手に触れた。


「あ、すみません」と、謝る僕に「いや、大丈夫よ」と、にっこり微笑み返す上司。


 僕は、何となく。自分でも、なぜか急に……。ただ、ただ、何となく。


 この人と今、キスしたい。


 そう思ってしまった。

 その思いが、勝手に口を衝いて出て来た。


「キス……してみます? いま」

「え?」

 

 僕は上司の方をチラッと見る。

 驚いた表情で瞬きを繰り返す彼女が、何だか可愛くて。


「キス、しませんか? 僕と」

「なにを、急に……」


 見る見る顔を赤くし、俯く。

 断らないんだ。

 

「僕が、あなたを好きなのは、本気なんですよ?」

「それは……。わかってる……」

「じゃあ、しても、いい?」

「……」

 

 何も答えない彼女の手に、僕はそっと自分の手を重ねた。


「五秒待ちます。嫌だったら、手を退けて下さい」


 じっと動かない彼女の横顔を見つめたまま、僕はカウントを始めた。ゆっくりと、静かに。


「一……二……三……四……。良いんですか?」

「……」

「五……。冗談では、無いですよ?」

「しゅ、就業時間中よ……」

「もう、遅いですよ。五秒、過ぎました」

「ッ!!」


 僕はまず、彼女の頬にキスをした。「ひゃっ!」と小さな声をあげて、首を窄める。


「しぃぃ……。声、出さないで」と、耳元で囁く。そのまま耳へ。そして、首筋。


「ぃ、くすぐったい……」

「ふふ。かわいい。ね、こっち見て……」


 頬に手を当てると、素直に僕を見た。真っ直ぐな潤んだ瞳。吸い込まれそうなくらい、綺麗だ。


「だ、誰か来るかも」

「大丈夫。ここ、結構死角になる場所だし」

「でも……」

「もう黙って?」と、その唇を塞いだ。


 柔らかく甘い。


 ほのかに香る彼女の香水の匂いが、さらに甘くする。


 唇を離して「気持ちいい?」と訊くと、彼女は大きな瞳を開いて、僕を見る。小さく頷くと……。


「もっと」と、甘く囁いた。


 僕は自然と笑みが溢れ、彼女の要望に応える。


 春の柔らかな風が、心地よく通り過ぎる午後だった。



 

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