第4話 コバルトブルーの空の下で


 机の上に突っ伏して、深く息を吐き出す。


「あ〜もう、鬱陶しさ満載だなぁ! そのため息、今日何度目だよ!」

「うるへー。お前に俺のこの気持ちが、わかるかっての」

「わかりたくも無いね! 女に振られたくらいで、何この世の終わりみたいになってんだよ」


 夕暮れ時の教室。

 沈んでいく太陽の光が、教室内をオレンジ色に染め上げていく。

 もう間も無く卒業だというのに、俺は人生初の彼女と、今日、お別れをした。


「せめて! せめてよ! 卒業式後とかじゃダメだったのかなぁ! なぁ?!」

「知るか! でかい声出すな! そんなもん、本人に聞きゃぁ、良かったろがっ!」 


 俺は一瞬言葉に詰まるが、すぐに反論する。


「だって、カッコつけたいじゃん。最後くらい! 別れたいって言われて、泣きつくより『わかった』って頷く方がスマートだろ?」

「それで今嘆いてたら、同じだろ」


 俺の親友は、俺の英語のノートを書き写しながら、睨み付けてきた。


 俺の! ノート! 貸してるのにっ!

 なのに! 睨み付けるって、酷くない!?


「でもまぁ、卒業後じゃ無い方が、良かったかも知れないぜ?」


 その言葉に、俺は机から顔を上げる。


「何でだよ」


 不貞腐れた声で訊ねる俺に、ノートを書き写し終えたのか、筆記用具を鞄にしまいだす。


「考えてもみろ。卒業式後だと、その後も付き合ってるもんだとみんな思うだろ? でも、卒業式前に別れたという事はだな、新たなるチャンスが巡って来るってことよ」

「新たなるチャンス?」

「そう。例えばよ、お前の事を実はずっと好きだった子が居るかも知れない。その子が、卒業式の日に、最後のチャンスと言わんばかりに告白して来るかも知れないだろ?」


 その言葉に、俺はポカンと口を開けて「はん」と間の抜けた声を出す。


「その告白して来た子が、かわいい子かも知れないだろ?」


 親友は、にやりと器用に片方だけ口角を上げる。だが、俺にはひとっつも、心に響かなかった。


 なぜなら……。


「初恋の人を超えられると思うか? 俺は初恋の人を失ったんだよっ! もし次にかわいい子が来ても、ときめかないかも知れないだろっ!」

「ときめくって……乙女かっ!」


 そんなやり取りをしていると、一人の女子生徒が俺を呼んだ。何やら、怒っている様子で呼ぶもんだから、俺は少し怯えながら「何?」と応える。


「ちょっと、一緒に来てくれない?」


 その言葉に、親友が「ほら! 早速来た!」と嬉しそうに声を潜め俺に言った。


 いや、どうみても告白って雰囲気の呼び出しじゃ無いよね? めちゃ怒ってそうじゃん、あの人。


 口には出さないが、俺は恨めしい顔で親友を一瞥すると、渋々立ち上がり、女子生徒について行った。その間、俺が何か質問しても彼女は無言を貫く。


 ええ〜、怖いんですけどぉ。


 ついて行った先は、屋上。


 え? なに? ボコられるの? ぼく。


「ちゃんと話し合いなさいよ!」


 女子生徒は、そう言い残すと颯爽と来た道を戻って行った。

 

「え……」


 屋上には、半日前に別れた元カノが一人。


「ごめんなさい。呼び出して……」


 空が見事に茜色だ。反対側から、ゆっくり夜がやって来ている。綺麗だな。


「あの……朝のこと……。やっぱり、ちゃんと話しをしないとって……思って……」

「話し?」

「うん……。なんで、別れたいって、言ったのか……。理由……」


 彼女は俯き加減で、ポツポツと小さな声で話し出す。あまりに小さいものだから、俺は数歩近づいて耳を澄ませた。


「ほ、本当は、まだ、好きだし……一緒にいたい……です」

「……え?」

「でも……!」


 空耳かと思ってポカンとしていると、彼女は勢いよく顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。


「全然、手も繋いでくれないし! その……あの……キ……キスだって! しようと、しないし……その、だから……」


 キ、キスぅ〜〜〜!!!???


 俺は彼女の口から発せられた言葉に、心臓があり得ない動きをし出した。


 何か応えなければ! 動け! 俺の思考!


「あの……えっと……」

「本当は、そんなに私のこと、好きじゃないって事なのかなって……」

「いや! それは違う! 全く!」

「じゃあ! なんで……」


 あ、ダメだ。泣き出す。泣かせたく無いのに……。


「嫌いなんかじゃない。むしろ、君は俺の初恋だし……。大事に、したかったから……」

「え……」

 

 涙が落ちそうなくらい、瞳が潤んでる。彼女を見て、綺麗だな、やっぱり好きだと、心から思ったら、言葉が自然と流れ出した。


「本当は、俺だってキ、キスしたかったし! でも! 拒否られたら立ち直れないし! その……ごめん! 不安な気持ちにさせて! ただ、これは本当に信じて欲しいんだけど、君の事は、本当に大事に思ってたし、今も思ってる! 本当に、大好きですから! 俺は!」


 あ、落ちた……。


 君の大きな瞳から、ポロポロと涙が溢れる。僕は心の中で、自分にガッカリしつつ空にふと、目を向けた。

 夕日は、だいぶ沈んでいってて。さっきまで茜色は、ゆるやかにコバルト色に変わっていく。


「拒否なんて、するわけない」


 はっきりとした声が耳に届き、俺は直ぐに彼女へ目を向けた。まだ涙に濡れた瞳は、キラキラと輝いていて、俺はひとつ唾を呑み込んだ。


「拒否しないよ……。だって、私だって、本当に好きだから付き合ってたんだから……」

「あ……」


 そっか。君も、俺を好きなのか。そっか。


 当たり前のことなのに。自分だけが、彼女を好きでいると思ってた。嫌われたくないから、大事にしたいから、触れたくても触れられなくて。


 俺は、恐る恐る左手を伸ばして、彼女の頬に優しく触れた。親指で涙をそっと拭う。


「ごめんな。泣かせて」


 彼女が再び顔を歪め、首を横に振る。


「大好きだ。だから、ここからまた、俺と付き合ってもらえませんか?」


 心からの言葉。

 その告白に、彼女は一瞬だけ目を見開き、次には俺の大好きな笑顔で頷いてくれた。


 俺は……。


 俺たち二人以外、誰もいないコバルト色の空の下。


 俺と彼女は、初めてのキスをした。


 少し濡れた、涙の味がするキスだった。


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