第10話 帰りたくない、そんな日は誰にでもある


 帰りたく無い。

 

 そう思いながらも、私は家に向かうバスに乗り込んだ。気が重い。夕暮れ色に染まる窓の空を眺め、深い溜息を吐き出す。

 次のバス停で降りなければいけないのに、降りたく無い……。なのに、心と体は反対で。身体は自然と停車ボタンを押していた。


 なぜ、こんなに私が帰りたがらないか。


 今朝、彼と喧嘩をしたからだ。


 今思えば、本当にどうしようもない、くだらない喧嘩だ。

 私が楽しみに取っておいた豆大福を、勝手に食べられた。それだけのこと。


 私は豆大福が大好きで。それも、どこの店でも良いというわけでは無い。お気に入りの店があるのだ。その店は大変人気があって、タイミングを逃すと売り切れてしまうのだ。

 久々に買うことが出来て、翌朝の楽しみに取っておいたのに。それを、私に何の断りもなく、勝手に食べられたのだ。しかも、二個も!

 優しい私は、自分の分だけではなく、彼の分も買っていた。だから、二個あったのだ。


 ………………。


 普通、二個あったら、ひとつは私のだって、わかりません?!


 はっ! いけない、いけない。思い出し怒りが……。


 皆さま、彼は怒った私になんと言って来たと思います? 


「また買って帰れば良いだけの話だろ」


 ですって!!

 確かにね! その通りですよ! また買えば良いだけの話ですよ!


 でもね? もしその店が、もう閉店で。食べられるのは、これが最後なんだってなったら、同じことを言えますかって話ですよ!


 え? あ、いや例えばの話です。その店は、今もやっております。はい。


 そうこうしているうちに、私は家の玄関前に到着してしまっていた……。


 ああ、このドアを開けるのが憂鬱……。

 今日、彼は仕事が休みだから。絶対、居るのが分かっているから。私は、今日何度目かの深い溜息を漏らした。

 玄関の鍵を開け、ゆっくりとドアを開けると、リビングの電気が付いていない事がわかった。我が家の玄関は、電気を付けないと本当に暗くて、玄関奥のリビングから漏れる明かりが無い限り、良く見えないのだ。

 彼が居ないのだと私は思い、少しだけホッとする。

 玄関の電気を付けようとスイッチに手を伸ばす。


「……ただい……わっ! なに! こわっ!!」


 電気を付けると、靴箱に寄りかかる様にして体育座りをする塊が……。


「……よかった。ちゃんと帰って来てくれて」

「え……、あ、あぁ。うん。ただ、いま」

「……おかえり」


 私は生唾を飲み込み、体育座りをする彼を見下ろす。

 こちらを見上げるその顔は、ご主人様に怒られて、しょんぼりしているワンコそのものだ。

 その顔を見て、私は一瞬、笑いそうになったが、ぐっと堪えた。


「こ、こんな所で何してるのよ」

「……いつもなら、『今から帰る』ってメールくれるのに、来なかったから……」


 そういえば、思い出し怒りでメールするの、忘れてたわ。


「今朝は、ごめんなさい」


 弱々しく言う彼に、私の気は一気に抜けていき。彼の隣に腰を下ろした。


「もういいよ」

「……本当に?」

「うん」

「二個食べたのに?」

「……一個が、私の分って、分かってたのよね?」

 

 彼は、情け無い瞳を私に向けたまま、小さく頷く。頷く……。頷いたな? アンタ、今、頷いたな?! 分かってて食べたんかいっ!


 きっと今、私は笑いながらも、顔に青筋を作っているのだろうな。

 彼の顔が、先程より情け無い表情になっているから。


「ごめんね……。だから、これ。仲直りしよ?」


 彼は白いビニール袋を私に差し出した。私はそれを受け取り、中を見る。


「あ……」


 私のお気に入りのお店の豆大福が、五個。その店で一人が購入出来る上限の個数だ。


「これ……」

「今朝、買いに行ってきた」

「でも、なんで五個?」

「三個は君のぶん。僕が今朝、二個食べたから。もう一個は、僕の分。そうすれば、二人同じ数食べた事になるでしょう?」

「じゃあ、もう一個は?」

「二人で分けて食べる分」


 いくら私が豆大福好きでも、こんなに食べきれない。でも、彼のその心が嬉しくて。


「ありがとう。すごく嬉しい」

「許して、くれる?」

「うん。もういいよ。私こそ、ごめんね?」


 そういうと、彼は安心したのか柔らかな笑みを浮かべた。


「じゃあ、チュウして」

「へ?」

「仲直りのチュウ」


 彼は和かに言う。


 私は呆れながらも、そのリクエストに応えて軽くキスをした。


 可愛い私のワンコ。



 ……と思いきや……。

 

 そのまま押し倒されるとは……ワンコもとい、オオカミめっ!



×××

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