第35話 愛の調べ
お題【音楽】
お題提供者・泪澄 黒烏様
ありがとうございますm(_ _)m
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あれは、私が高校一年の頃。
入学式直前に風邪をひいて、それを拗らせて喘息になり、登校出来たのは二週間後だった。
女の子って、群れを作りたがる生き物なのよね。だから、二週間も居なかったら、あっという間にグループが出来上がっていて、出遅れた私は、既にハブかれていた。
咳がまだ出るのもあり、マスクしていたから、余計に誰も近寄って来なくて。若干、人見知りもある私は、自分から積極的にグループの中へ突撃も出来なくて。
仲良くなれそうな子と友達になる事は、ちょっと難しいなぁ。なんて、一日目から諦めてしまった。
登校して三日目。
昼休み、クラスに居るのが辛くて、チャイムと同時に弁当を持って教室を出た。
移動教室の場所とかも、自分で探さないといけないし。これは、別に逃げているんじゃない。校内探検よ。そう。これは、探検。
そう自分に言い聞かせながら、私は別館へと向かった。四階建て本館は、新しく建てられたばかりで、全学年全クラスがある。三階建ての別館は、移動教室用として使われており、理科室や美術室、視聴覚室やパソコン室、調理室に図書室などがあるのだ。
昼休憩に別館へ来る生徒など、殆ど居ないと気が付いたのは、昨日のこと。
図書室ですら、図書委員が来ていないのか、ドアに鍵がかけられていた。
たまたまだったのか、私が早く来すぎただけなのか、昼休みに開いてないなら、いつ開けているんだ、なんて思ったほどだ。
今日は、三階へ行こう。そう思って階段を上りだした時、私の耳にピアノの音が流れ込んできた。
穏やかに流れる水の如く、しなやかな調べに、私は誘われる様にして階段を上がる。
行き着いたのは、三階の角にある教室。
ドアの小窓から教室を覗き込むと、そこには一人の男子生徒がピアノの前に座り、演奏している。
金髪に染めた髪は、上の方が少し伸びて黒髪になっている。
細身に見えるが、半袖から覗く腕は筋が浮かび逞しくも見える。
音が、ふと止まった。
私はそのまま、そこから動けず、彼を見つめ続けていると、彼がくるりとこちらを向いた。
「誰だ」
若干、尖のある声。
私は、ビクッと身体を跳ねらせ、黙ったまま瞬きを繰り返す。
答えたいけど、声を出してはいけない。そんな気がして。
彼が椅子から立ち上がって、こちらへ向かってくる。
立ち去らないと、そう思うのに、動けない。
だって……。
その人は、格好こそ不良そのもの。髪色だけでなく、制服も着崩しているし、上履きの踵も踏んでて。
なのに、長い前髪から見える少し白いその顔は、とても美しくて。でも、どこか儚げで。目が、離せなかった。
ドアが開く。
目の前に立って、彼が不機嫌そうに私を見下ろす。上から下を見られているのが分かる。そして、私の手に持っている弁当袋を見て、再び私の顔を見る。
「こんな所に来るヤツなんて、そうそう居ないんだけど。なにアンタ、一年だろ? クラスに馴染めないの?」
上履きの色で、一年だと分かったのだろう。彼の上履きの色は私と違う。二年生の色だ。
「入れよ。メシ食う時間、無くなるぞ」
ぶっきらぼうな物言いだけど、優しい。
私はビックリしはしたけど、嬉しくなった。
「お邪魔します……」
「あはは! なんだよ、お邪魔しますって。別にオレんちじゃねぇし」
あれ? なんか、親しみやすい人、なのかな……。
見下ろされた時は、とても鋭い視線で怖さがあったのに、この数分で印象がガラリと変わる。
笑うと、片頬に笑窪が出来て、可愛らしい。
その日以来、私達は、毎日この教室で昼を一緒に過ごした。
先輩は、いつもパンを齧りながらピアノを弾いて、たまに何か楽譜を書いている。
「先輩は、作曲家になりたいんですか? それとも、ピアニスト?」
「んや。調律師」
「ちょうりつし?」
「そ。知らねぇ? ピアノの音の調整をする仕事。俺の叔父さんがピアニストでさ。子供の頃から、俺もピアノ習ったりしてたんだけど、やっぱプロが近くにいると、俺なんか全然だなって」
「私は、すごく好きですよ。音が綺麗な水みたいに流れていく。すごく心地よくて、ずっと先輩の音を聴いていたい」
素直に伝えた言葉だったけど、先輩の顔が真っ赤に染まっていくのを見て、私はハッとした。
今の! まるで、告白じゃない!
「あ、あの! その、違くって! いえ、違くは無いわ、本当に好きなんですよ、先輩のピアノ! そう、ピアノ!!」
「え? あ、ああ、分かってる! 分かってるよ、うん。ありがとう!」
二人で何が面白いのか、顔を同じくらい真っ赤に染めて笑いあう。一通り笑い終え、私はふと、ちゃんと自分の中にある、正直な気持ちを伝えたいなと思って、口を開いた。
「私、本当に好きですよ。先輩のことも。先輩のピアノも」
「え……?」
「初めて先輩のピアノを聴いた時から。最初は、ピアノの音色が好きになったけど。先輩と一緒にご飯食べる様になってから、私、毎日、この時間が楽しみで。先輩と話す他愛無い話も、ピアノを弾く時の先輩の綺麗な指先も。先輩、気が付いてます? ピアノ弾いている時の先輩って、すごく嬉しそうに、楽しそうに弾くの。口角がキュッと上がって、すごく優しい顔してて。そういう姿も、気が付いたら、すごく好きになってました」
驚いた顔で黙り込んだ先輩に、私はなんだか居た堪れない気持ちになって。
「ごめんなさい、忘れてください」
私は急いで弁当箱を片付けると、そのまま教室を出ようとした。
「待って」
手を取られ振り向けば、先輩の顔がどこか哀しげで……。
「忘れないと、ダメなのか? 今の、無かった事にするのか?」
「……」
「好きって言われて、嬉しいよ。ありがとう。俺、あんま人に好かれるような人間じゃないからさ」
「そんな事! 先輩は優しくてカッコ良くて、世話焼きで、お茶目なところもあって楽しくて……」
言葉を続けようとした私の視界は、先輩の胸の中に埋まっていた。ギュッと抱きしめられ、耳元に吐息の様に「ありがとう」と囁かれて。
「俺も、好きだよ。好きって言われたから言ってんじゃなくて。いつか伝えたいと思ってた。本当は、俺から先に伝えたかったのに、先越されたな」
その言葉が、嬉しくて……私は、そっと先輩の背中に両腕を回した。
「先輩の心臓の音、すごく速い」そういえば、先輩は笑いながら「当たり前だろ」と、言った。
どちらからとも無く顔を見合わせる。
小さく、そっと触れるだけのキスが落とされる。
「好きだよ」
「私も好きです、先輩」
「ああ……」
今度は私から。少し上にある薄い唇にキスをした。
♢
「作業、時間掛かりそうですか?」
背後からの声に俺が振り向くと、ホールの関係者が立っていた。俺と同い年くらいの、気のいい男だ。
今日は隣駅にある音楽ホールのピアノ調律依頼を受け、やって来ていた。ここへは、何度か依頼を受け来ている場所だ。
「いえ、もう終わりますよ。もしかして、何か急ぎでしたか?」
「いえいえ、何時もならそろそろ終わる頃だなと思ったんです。調律師さん、調整が終わるといつも演奏されるでしょ? あれ、うちの事務所の子らが好きなんですよ。それで、まだ聞こえないもんだから、何かあったのかって」
担当の男がそう笑う。
「今までも、何人かの調律師さんに来て頂いてますが、お兄さんだけなんですよ。終わった後にしっかり弾いていかれる人」
「ああ、そうでしたか」
俺が笑いながら頷くと、男が「あの、良かったらここで聴いても良いですか?」と言ってきた。別に構わないと思い了承すると、「ちょっと待っててください」と、事務所から数名連れて戻ってきた。
客席に座った彼らを見て、俺は照れ笑いをする。
「プロのピアニストとは違いますけど。じゃあ、一曲。何かリクエストがありますか?」
そう問えば、ひとりの年配の女性が手を上げた。
「いつも弾いている曲をお願いできますか? 私、あの曲が大好きなんです」
「ああ、ドビュッシーのアラベスク第1番ですね。良いですよ」
弾き始めると、俺は曲の中に入り込む。この曲を弾くたび、高校二年から三年まで、最愛の人と過ごした日々を思い出して、心が暖かくなる。
弾き終えると、たった五人の観客から大きな拍手が送られた。
「本当、素敵!」
「弾いている姿、初めて拝見しましたけど、すごく楽しげに弾かれますね!」
「そうそう! 口角が上がって! 嬉しそうに!」
「あはは。ありがとうございます。妻にも、そう言われるんです。私がピアノを弾いている時が、一番楽しそうだと」
笑いながらそう答えれば、「ほら、やっぱり結婚してるわ」「良い男は……」などと、こそこそ話す声が聞こえてきたが、俺は聞こえて無いふりをした。
調律師は、耳がいい。
「それじゃ、終わりましたので帰ります」
「ありがとうございました。またお願いします」
「ええ、こちらこそ。また。失礼します」
何だか、早く帰りたくなる。
今日は事務所へ寄らず、直帰しよう。そうとなれば、即事務所へ電話して時間休を取った。
ピアニストの叔父が作った音楽事務所で、俺は調律師として勤めている。最初は、親族だからという事もあったが、今では調律師としての腕を買われ、そろそろ十年が経とうとしている。
この長くも短い年月を共に過ごしてくれている最愛の人を思い浮かべ、家に向かう足が徐々に速くなり、気がつけば走り出していた。
「ただいま」
「おかえりなさい、あなた」
玄関へ小走りに迎えに来た妻は、あの頃と変わらず愛らしい。
「今日は早かったのね」
「ああ。有給休暇取った」
「あら。何かあった? 体調が良くないとか?」
心配気に俺の額に手を当てる。その手を取って、手の甲にキスをすれば、妻はフワリと微笑む。
「何も無いよ。早く会いたくなったんだ」
「ええ? そうなの? でも嬉しい」
「今日行ったホールでの仕事で、アラベスクを弾いて欲しいと言われてね。高校の頃を思い出して。弾き終わったら、もうどうにもキミに会いたくなったんだ」
「まぁ! アラベスク。私達が初めて会ったときに、あなたが弾いていた曲よね」
「そう。キミが好きな曲だ」
「実は、私も昼間にあなたと出会った時のことを思い出してたの。まるで以心伝心ね」
嬉しそうに笑う顔は、あの頃と何一つ変わらず、俺にとって最高の癒しだ。
「私も久しぶりに、あなたの弾くアラベスクが聴きたいわ。ダメ?」
可愛いおねだりに、俺は笑った。
「ダメなはずない。じゃあ、弾こうか。キミだけのために」
そう言って、妻のぽってりと柔らかな唇にキスをした。
俺たち夫婦の愛の調べは、この先も変わらず、ずっとずっと途絶えることなく、奏で続ける。
×××
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