第16話 笑顔のために


 君が笑顔で過ごせるなら、俺はその為の努力を惜しまずやっていくよ。

 

 だから、笑っていて。





 一か月前。


 随分と連絡を取っていなかった高校時代の悪友から、メッセンジャーアプリに連絡が来た。


『お前、今、彼女いんの?』


 久々だというのに、何とも失礼な文言で始まった。俺は現在フリーのため、素直に「居ない」と返信すると、奴は俺が高校時代にずっと憧れていた彼女が、現在フリーだと送ってきた。

 高校時代は彼女に相手が居たので、遠くから眺める程度で終わっていた。まぁ、自分にも何だかんだと彼女が居たのもあり、本当に単に「憧れ」であっただけなんだが。

 それを覚えていた悪友は『同窓会やろうぜ』と言ってきた。


 そして、その同窓会が今日、行われるのだ。


 金曜日の夜七時。


 残業をしない様に、全力で仕事を終えて待ち合わせ場所へ向かう。金曜の夜だ。飲み会をする団体は多い。待ち合わせの場所は飲み屋が多い駅でも有名で、駅前の広場は多くの人が居た。俺は人を掻き分け、悪友を見つけて近寄ると、向こうも俺に気が付いて手を上げる。


「よぉ、久しぶりじゃん」

「おぅ、元気そうだな」


 簡単な挨拶を交わす。それだけで、あっという間に昔の様に会話が出来るのは、それだけコイツと高校時代、ずっと一緒に居たからこそなのかも知れない。

 俺がさりげなく周りを見回していると、悪友は「あそこだよ」と耳打ちしてきた。

 顎を上げ示す先にチラリと視線を向けると、彼女はいた。


 高校時代と何一つ変わりない。とても綺麗で、可愛らしくて。やっぱ好みなんだよなぁと、しみじみ思う。


 気が付けば参加する人間が全員揃い、飲み屋へ移動した。

 飲み屋では悪友がめちゃくちゃ自然な流れで、俺と彼女を隣同士の席にした。あまりに流れる様に誘導されたので、誰も何も思う事なくワイワイと指定された場所へ座っていく。


 飲み会が始まっても、俺はなかなか彼女に話しかけられなかった。なぜなら、彼女は女子生徒からも人気だったからだ。女子が彼女に入れ替わり立ち替わり話し掛けに来ては去って行く。それを、ただひたすらに、落ち着くのを待った。

 一通り挨拶が終わったのか、彼女が小さく息を吐いたのが聞こえた。


「大丈夫? 相変わらず人気だな」


 そう声を掛けると、彼女は俺をチラリと上目遣いで見上げ、困った様に微笑んだ。


「そんな事ないよ。あなたも、さっきからみんなに話しかけられてたでしょう?」

「ヤローばっかだけどな」


 そう言って肩を上げ戯けると、彼女は声を上げて笑う。


 ああ、そうそう。この笑い声が好きだったんだよなぁ。


 そんな事を思いながら、俺たちは他愛ない話を続けていると、他のヤローが彼女に話し掛けはじめて、俺は少し席を空けてトイレへ向かった。

 トイレから戻る廊下で、疼くまる彼女が居た。俺は驚いて急いで彼女の近くへ向かい屈む。背中を軽く摩ると、彼女が僅かに顔を上げた。


「大丈夫か? 気持ち悪い?」

「……うん」

「トイレまで頑張れる? 直ぐそこだから」


 小さく頷く彼女を見て、俺は彼女を抱える様に立たせ女子トイレへ向かった。

 中までは入れないので、入って行くのを見送って、直ぐに飲みの席へ。

 幹事である悪友に、彼女を連れて先に帰る事を伝えて会費を二人分渡す。


「おっ、良いねぇ。上手くやれよ?」と、耳打ちして来たが、そんなんじゃねぇよと言いながら、俺は自分の荷物と彼女の荷物を隠す様に持って、みんなに「わりぃ、仕事の電話来たらか帰るわ」と声を掛けて、引き留められる前に逃げる様にその場を去った。


 トイレ前へ行くと彼女の姿は無く、少しだけ待ってみる。一分もしないうちに彼女がトイレから出て来て、名前を呼ぶと顔を上げ俺を見た。


「今日は、もう帰ろう。荷物持って来た。みんなにも帰るって言ったから大丈夫」


 嘘ではない。俺は「帰る」とは言った。ただ、彼女と、とは言って無いだけ。

 それでも、彼女は少しホッとした様な表情で頷いた。


 店を出て時計を見ると、まだ終電に間に合う。


「近くまで送るよ。家、まだ地元?」

「……ううん、今、一人暮らししてるの……」 


 彼女は最寄駅名を言ったが、それは俺の住む場所でもあった。


「え! そうなの? 一度も会ったことないな」というと、最近引越したばかりで、俺が利用する出入り口とは反対だと、弱々しい消えそうな声で言った。


 俺たちは、一緒に最寄駅まで帰る事にした。車内はガラ空きで、隣に座った彼女に、しんどかったら寄り掛かって良いと伝えると、素直に身体を預けてきた。

 軽すぎず重すぎない。彼女の体の重さを感じながら、俺は黙ったまま自分が映る真っ暗な窓の外を、ぼんやりと見つめていた。


 最寄駅に着くと、俺はタクシーを捕まえて彼女を乗せた。先程聞いた住所付近を伝える。


「運転手さん、彼女お願いします」


 そう言うと、彼女の手に数千円手渡し、運転手にドアを閉めるよう伝える。

 彼女は何か言おうとしていたけど、タクシーは走り去った。



 そういえば……。なんで彼女は、俺が利用している出入り口を知っていたんだろう……。


 そんな事をふと、思いながら家路についた。



 あれから間も無く二週間。

 何事もなく時は過ぎていった。別に映画じゃあるまいし、彼女が俺を訪ねて来るとか、そんなん期待していた訳じゃ無いけど。駅でばったり出会したという演出で、実は待ち伏せされた! とか。または、お礼のメールくらいは、あっても良いんじゃ無いかなぁ、なんてほんの少し頭の隅っこでは思っていた。その間、悪友からは彼女があまり良い恋愛をしていなかった様だと連絡があった。飲み会で一部話題になっていたようだ。ちらりと聞いた限り、本当にそんな恋愛だったのかよと、耳を疑う内容だった。

 

 俺なら、そんな事しないのに。


 そう思ったところで、彼女から連絡が無いのなら俺達は縁が無いのだから、この話は忘れようと、自分に言い聞かせた昼下がり。


 スマホに知らない番号からショートメールが送られてきた。訝しげに見てみると、彼女の名前が。

 メッセンジャーアプリに登録しておらず、幹事だった悪友に自分の番号を俺に伝えて欲しいと伝えたら、奴は俺の番号を教えたのだと、経緯が書いてあった。


 アイツ……。


 悪友のニヤけた顔を思い出しながら、俺は自分の口元も心無しかニヤけているのに気が付いた。口元をそっと片手で隠し、即、返信をする。


『今夜、時間ありますか?』


 数秒後


『はい、七時過ぎなら大丈夫です』


 俺は、急いで仕事を終えると、定時の鐘と同時に職場を出た。

 

「突然、すみませんでした。この間のお礼がしたいのと、飲み会代とタクシー代を借りていたから……」


 どこか他人行儀にいう彼女に、俺は「気にしなくて良いのに」といい、夕食は食べたかを訊ねた。まだだと言うので、俺たちは駅から少し歩いた所にある、ファミレスに入った。


「これ、助かりました。ありがとうございました」


 そう言って差し出した、可愛らしい朝顔柄のポチ袋。


「別に良かったのに」 

「いえ、お金の事は、ちゃんとしないと」


 飲み会で話した時より、どこか硬い彼女に俺は小首を傾げ「何かあった?」と訊ねてみたが、彼女は「いえ、何でもないです」と、オレンジジュースを一気飲みした。


 いやいや、何でもなくないよねっ?!


 俺は別の意味でドキドキしながら、会話もそこそこに食事を済ませ、早々に店を出た。

 彼女を送って行こうと、人通りの少ない住宅街へ、ゆっくり歩き出す。

 

「ここ、なんです。私の家……」


 駅から歩いて十五分ほどで着いたアパートを指差す。


「ああ、そうなんだ。……じゃあ、ここで。またね」

「あの!」


 立ち去ろうとした俺の服の袖を、彼女が掴む。


「あの……」

「……どう、したの?」


 心臓が高鳴る。まさか、部屋に……とか?


「あの……。いま、お付き合いしている方は、居ますか?」


 掠れる声で、彼女がいう。


「いや……。いないよ。……気になる人は、いるけど」


 そう答えると、彼女はどこかショックを受けた様な表情で、俺の服を離した。


「そう、ですか。ごめんなさい、変な質問して。今日は、ありがとうございました。また!」

「待って!」


 今度は俺が彼女の腕を取って引き留める。


「俺が気になっている人は、君のことだよ」


 こちらを向かず、肩をビクリと動かす。


「昔から、憧れてたんだ……。この間、会って。やっぱ好きだなと思った……」


 こちらを見ようともしない彼女。今、どんな風に感じているの? 彼女の顔が見たい。

 付き合っている人が居るのか聞いたってことは、そういう事じゃないの?


 俺は、静かに彼女の名を呼んだ。


「嫌なら、もう君の前には現れない。でも、もし少しでも俺に好意があるなら、こっちを向いてくれないかな」


 数秒後。彼女は、ゆっくりとこちらを向いた。その顔を見て、俺は驚いた。

 顔を真っ赤にして、何故か泣いているから……。


「え……あ、何で、泣いてる……の?」

「……うう……もう、わかんない……」


 ええぇぇぇ……。

 本人も分からない涙なら、俺が分かるわけもない。

 取り敢えず、俺はジーンズのポケットからハンカチを取り出す。


「まだ使ってないヤツだから」と、彼女の頬に当てがう。


「……好きになって、しまったんです」

「え?」

「同窓会で、久々に会って……。ずっと紳士的で。介抱してくれて……。下心なく、送ってくれて……」


 俺は自分の聞き間違いかと、忙しなく瞬きを繰り返す。


「私、こんな風に優しくされた事がなくて……」


 その一言に、俺の心臓がズキリと傷んだ。悪友の話は、本当なのだと。彼女は一体、どんな男と付き合ってきたんだ。


「高校の時から、あんまりいい恋愛してなくて……。あんな風に接してもらえて……あはは、なんかこんな事いうと私、チョロい女って感じだね」


 自虐的に笑う彼女に、どこからか湧き上がる誰に向けようもない怒りに似た感情と、彼女の気持ちが知れて嬉しい気持ちが複雑に入り混ざる。

 気がつくと、俺は彼女を抱き寄せていた。

 腕の中で肩を震わせ声を殺して泣く彼女の背中を、優しく撫でる。

 ゆっくりと俺の背中に手が添えられ、俺は更に彼女を強く抱きしめた。


 暫くして彼女がそっと離れ、上目遣いで俺を見る。思わず、困ったように笑った俺に、彼女も眉を下げて微笑んだ。

 頬に伝った涙を指で拭い、唇に触れる。

 お互い、ゆっくりと近づき唇を重ねた。

 

 そっと触れるだけで、俺の心は満たされた。

 再度、彼女を引き寄せ抱きしめる。

 

 真っ赤に染まった耳に口付けをし、彼女にしか聞こえない声で、俺の気持ちを伝えた。


「ありがとう……」


 かさつく声で礼を伝える彼女を抱きしめながら、俺は思った。

 

 笑っていて欲しい。

 これからは、俺がそうしていけば良い。




 君が笑顔で過ごせるなら、俺はその為の努力を惜しまずやっていくよ。



×××

 

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