第39話 覚悟して
車で行けば二十分程度。
電車で行けば、乗る時間は十分なのに待ち時間で三十分以上もかかってしまう。
それが、いま俺が暮らす田舎だ。
車が無ければバスで、なんて都会の人間は簡単にいうけど、バスなんざ一時間に一本あれば良い方で、無い時間の方が多い。か、路線によってはバスすら走ってない。
元々田舎育ちかというと、そうじゃない。
両親の離婚で、十歳になったその日に、こっちに引越してきた。
俺は、どうやら「いらない子」だったらしく、両親のどちらでもなく、父親の親戚の家に預けられたのだ。
親戚の家に子供は一人。俺の七歳上の娘がいるが、大学入学と同時に家を出ていて、俺は一人っ子の様に可愛がられた。今まで与えられた事のない、暖かい愛情をたっぷり注がれて。
本当の息子の様に、大切に。
最初は、さすがに戸惑った。
俺の両親は、育児放棄とまではいかないが、今思えばネグレクトに近い扱いをされていた様にも思う。だから、親戚のおじさんとおばさんの俺への干渉が、最初はどうしたら良いのか分からず、何度もその手を払い除けたし、逃げ出しもした。それでも、二人は根気強く俺に向き合って、大事に育ててくれたんだ。
だから俺は、この二人の為に、たくさん恩返ししなきゃいけない。
そう思っていたのに。
何だか昔の嫌な思い出を夢に見たのは、きっとコイツのせい。
半分魘された状態で目を覚ました俺は、寝惚けた頭でも、すぐに状況が分かった。
俺の身体に、細い足と腕が巻き付いている。なんなら、豊満な胸が俺の胸に押し付けられて、暑苦しいったらありゃしない。
俺は巻き付いてる主の体を、乱暴に引き剥がす。
「……ねぇちゃん。ちょっと……! 起きろ!」
「んぁ〜ん? なぁにぃ? もう朝ぁ?」
「なんでまた俺の布団ん中に入って来てんだよ! ねぇちゃんの部屋、隣だろがっ!!」
「あぁ〜……ちょっと、もう少しだけ声落として。頭に響く……」
酒臭い息を吐き出しながら、俺の布団に潜り込む。
彼女が、この家の実の娘。俺にとっては従姉弟だ。
悪い人じゃないけど、とにかく酒癖が悪い。悪くて、何度となく布団に入られる。そして、困ったことに、酔っ払った状態で会うと、唇を狙われる。まぁ、つまりキス魔だ。
俺はどうにか絡みつく足を退かすと、布団から脱出した。
「母さん! もう、ねぇちゃん帰って来くんなら教えてって言ったでしょ!」
俺はおじさん、おばさんを「父さん、母さん」と呼んでいる。本人達からの希望だ。最初は戸惑ったが、今ではナチュラルに呼んでいる。
「あら? お姉ちゃん帰ってたの?」
「え、母さん知らなかったの?」
「あの子、最近連絡無しで帰って来るからぁ」
困った子ねぇ、なんて呑気に言いながら朝食の支度をする。
「ねぇ、母さん。なんで、ねぇちゃん俺の部屋に来んのかな? 本当、やめて欲しい……」
「あらぁ、また貴方の部屋で寝てるの? 仕方ない子ねぇ」
「仕方ない子ねぇ、じゃなくて! 多感な年頃の男子部屋に! 勝手に布団に入るの、やめてって、母さんからも強く言ってやってよ!」
「そうねぇ」
「なに、仲良いことは良いことじゃないか」
父さんが大欠伸をしてリビングに入って来た。
「おはよう」
「おはようございます、あなた」
「おはよう、父さん。って! 何とも思わないの!? 年頃の娘が、多感な年頃の男子部屋に来て、一緒に寝てるってこと!」
「うーん。まぁ、寝てるだけだろ? そんな心配する程でも無いだろ……」
俺は唖然としながら、二人を交互に見た。
信頼されてる、と言えば聞こえはいいが……なんか、違う気がすると思う俺は、きっと正常だ。
「とにかく。俺が嫌なの! 後で、父さんも注意しておいてね!」
おぉ、と、本当に注意してくれるのかどうかも怪しい返事であしらわれる。
俺は盛大にため息を吐いて、焼きたてのパンを何も付けず齧り付いた。
♢
「いいじゃぁん、それぇ。ちょーうらやまー」
登校中、同じクラスの友達に今朝の話をすれば、飢えた男共の考えのまま羨ましがられた。
「羨ましく無い! 本当に迷惑だよ。酒臭いし。窓開けてないと、夕方まで部屋の中、めっちゃ酒臭くなるんだよ!」
「それでもよ? お前のねぇちゃん、バリバリにスタイルいいじゃん。そのねぇちゃんに抱きつかれて目が覚めるって……もう、それ天国じゃん」
「お前は……ほんっと、頭の中がお花畑で良いよなぁ」
「褒めてくれてありがとぉー」
「褒めてねぇよ」
そんなやり取りをしつつ学校へ向かう道すがら、その途中ですれ違う他校の女子生徒達。
その中に、毎回俺達に挨拶をしてくれる子がいる。
「おはようございます」と、彼女がにこやかに言えば、俺達は声を揃えて「「おはようございます!」」と、やや大きめな声でお互い張り合う様に言う。すると、毎度可愛らしい笑い顔を見せてくれるのだ。
彼女がだいぶ離れた頃、友達は俺の肩に腕を回して来た。
「あの子さ、絶対、お前目当てだよな?」
「気のせいだろ。お前かも知れないだろ」
「まぁたまた照れちゃってぇ。お前、何気にモテんだよなぁ。良いなぁ、俺もお前くらいにモテてみたいわぁ」
「何を根拠に」
「ほぉんと……その鈍感さ。いつも思うけどさぁ……残念だよねぇ」
やれやれ、と言わんばかりの残念顔をしながら首を左右に振られ、俺は若干ムッとして肩に回された腕を払い除ける。
「でもさぁ、お前って、恋愛に淡白だよなぁ。いや、恋愛ってか人間関係? 俺とは小学校からの腐れ縁だから仲良いけど、あんま周りと仲良くしようとしないし。彼女出来ても、いつもあっさりした感じ?」
「そうか?」
「そうだよ! そういう所も鈍感なのぉー」
俺は苦笑いしながら「そんな事ないよ」と返事したが……。
淡白なのだろうとは、自分でも分かっている。きっと、子供の頃の記憶が影響してるんだ。愛しても、愛されないだろう。また捨てられるなら、愛さなきゃいい。頭の隅で、心の奥で。子供の頃から、ずっと居座っている感情だ。
おじさん、おばさんの事は好きだ。ついでにねぇちゃんも。
でもそれは、ある意味で距離のある『好き』だ。それ以上、深く想ってしまえば、裏切られた時に大きく傷つくから。そんな傷は、もう十分だ。
「お前って、自分から好きになったことって、ある?」
不意に問いかけられた友達の言葉に、何故か瞬時に思い浮かんだ人が……。
自分の意思で浮かべたのではない。完全に無意識だった。
その無意識に、自分で驚いた。
足を止めた俺に、友達は「どうした?」と不思議そうに首を傾げ、その顔がすぐに心配気に変わる。
「お前、顔赤いけど、大丈夫か? もしかして、熱中症とか? ちょっ、歩ける? 学校まであと少しだから、頑張れるか?」
矢継ぎ早に言われて、俺自身も戸惑ったが、何とか「大丈夫」と答える。
「とりあえず、学校着いたら保健室行こ」
「うん……ありがとう」
学校に到着して早々に、俺は保健室へと連れて行かれ、保健医にも「少し休んで行く様に」と言われた。
硬いベッドに横たわり、天井を見つめる。だけど、その目には何も映っていない。映っているのは、脳裏の奥にある、アイツの顔だけ。
「……なんで……。いつの間に」
俺は両手で顔を覆う。顔が熱い。
「帰ったら、どんな顔で会えば良いんだ……」
自覚した、自分の好きな人。初めて、自分から好きになった人。
壊れるのが怖くて。離れるのが怖くて。
初めての感情に、どうすれば良いのかわからない。
どうすれば良いんだろう……。
その日、俺は顔の赤さが治らず、そのまま帰された。
♢
「母さん」
「なぁに?」
ソファでくつろいでテレビを見ている母さんの背中に声を掛けると、母さんは首だけ振り向き返事をした。
「今日も、ねぇちゃん帰って来んのかな?」
「ん〜。どうかしらねぇ? 朝、帰って来るなら電話しなさいよって言ってはおいたけど、今日も来るとは聞いてないわぁ」
「……そう」
「なんで?」
母さんが不思議そうに訊く。
「もう酔っ払って部屋に入って来ない様に、鍵かけたいから」と言えば、母さんが笑った。
「それ前にやって、ドアの前で大泣きしながらドア叩かれてたじゃない。それが嫌で、鍵掛けるのやめたんでしょう? またドンドンやられるわよ?」
笑いながらいう母さんに「笑い事じゃ無いよ」と言い、俺はため息を吐く。
「まぁ、電話きたら、ちゃんと教えるわよ」
「うん。そうして。じゃあ、俺、少し寝るから」
「うん。ゆっくり休みなさい」
俺は礼を言って自室へ入った。
布団を敷いて、横になる。
別に病気な訳じゃない。病気だとするならば、『恋の病』とでも言うのかな。
「これが、恋煩いか……」
自分で呟いて恥ずかしくなり、思わず苦笑いする。
目を閉じると、好きだと自覚した相手の笑顔が映画のフィルムのように、次々と現れる。
次に目を覚ました時には、部屋が薄暗かった。重さと暑さを感じて「これは……」と思い、横を見る。
スヤスヤと静かに寝息を立てる、ねぇさんの顔は、起きている時よりも少し幼く見える。
頬に掛かる髪を指先で退かすと、くすぐったかったのか、寝顔が微笑みに変わる。
「起きてよ、ねぇちゃん……」
小声で言った自分の声に、思わず驚いた。俺は、こんなに甘い声が出せたのか、と。
好きを自覚すると、こんなにも変わるのか……。
「起きて。××……」
名を呼ぶと、ねぇちゃんは長い睫毛を揺らしながら目を覚ました。
「おはよ」
肘を立てて、その手の上に頭を乗せ、上から見下ろすかたちで寝起きのねぇちゃんを見ていると、ねぇちゃんの目が徐々に見開いていく。
「え……えっと……あれ……?」
「どうしたの?」
「……いや……どうしたの、は……私のセリフ……」
何やらえらく戸惑っているねぇちゃんを見て、思わず笑ってしまう。あまり見た事のない顔に、可愛いと思ってしまうのは『恋フィルター』故か。
「また酔っ払ってるの?」
「……えっと……」
「ん?」
「……酔いは、覚めまし、た……」
「そうなんだ。じゃあ、聞きたいことがあるんだけど」
「な、なんでしょうか……」
「なんで、いつも俺の部屋に来て、布団の中に潜り込んでくるの?」
「……そ、それは……」
「俺のことが、好きなの?」
その言葉に、ねぇちゃんは一瞬で顔を赤くさせた。いや、顔だけじゃない。襟元が大きく開いた服のせいで、ふくよかな丸みがチラリと見える。そんな所まで、赤く染まっているのが薄暗い部屋ですら、分かるほどに。
「ねぇ、教えてよ」
そう言いながら、空いている手で、ねぇちゃんの長い髪を指先に絡めて遊ぶ。
「あの、もしかして。酔っ払ってる?」
「誰が?」と問えば、俺の名を言う。その答えに、俺はフッと吹き出した。
「まだ高校生だよ、俺。さっきまで俺も寝てたの、知ってるでしょう?」
ねぇちゃんは、パチパチと瞬きを繰り返して、俺から視線を逸らす。
「好きなの? 俺のこと」
再度、問う。
ちゃんと見てなかったら、気が付かない程に小さく頷く。
「それは、弟として? それとも、男として?」
その問いには、長い沈黙があったが、俺は黙って待っていた。その間、いつも俺の身体に巻き付いてくる、ねぇちゃんの足を、俺の足で挟み込んで逃げない様にした。
「……」
「ん? なに? 聞こえなかった」
「……男性として、すき……」
消え入りそうな声に、俺の胸の奥が何かに満たされてだして、熱くなる。
「……酔っ払ってたら、酔っ払いの奇行で、済まされるかな……って」
「思って、毎回、酔った勢いで俺の部屋に奇襲攻撃をしていた」
ねぇちゃんの言葉に続けて言えば、ねぇちゃんはやっと俺を見た。
その上目遣いは、反則ですよ……。
可愛すぎて、思わず抱き寄せたくなるのを、グッと我慢。まだ、ちゃんと聞いてない。
「いつから好きだった?」
「……子供の頃は、小さ過ぎて……可愛いなとは、思ってた。弟として……。でも、高校生になったら、急に背が伸びて……どんどん男らしくなっていって……気が付いたら、恋、して……」
ました、の声が消えていく。
もう、限界。
俺は寝っ転がったまま、ねぇちゃんを抱きしめた。
「え……! あの、……」
戸惑いながら、俺の名を呼ぶ。
好きな人から自分の名前を呼ばれるのって、こんなに特別な気持ちになるのか。俺は目が潤み、込み上げるものを実感した。
「……俺もね、ねぇちゃんが好きだよ」
「……」
「って言っても、実感したのは最近だけどね」
ちょいとの嘘は、許して欲しい。実感したてだけど、その愛は、堰き止めていたものが外れたせいで、溢れ出しているのだから。
「……うそ……」
「ほんと」
そう言って、ねぇちゃんの顔を上げさせる。その唇に俺のを当てれば、柔らかさが唇から伝わり、互いの熱が交わる。ゆっくり唇を離し、顔を覗き見る。
潤んだ瞳が綺麗だ。
「これで信じた?」
「……はい」
「俺、七歳下だけど」
「……私は、七歳上ですが」
「「大丈夫?」」
お互い声を揃えて言ってしまい、そのシンクロに笑い合う。
「あと三年。大人になるの、待ってて」
「……私は待てるけど……君はモテるから……オバさんになっちゃった私より、若い子に目が行かない?」
「俺の気持ちが、そんな簡単に変わると思ってるんだ。なら、俺がどれだけ好きか、分からせないとね?」
「え?」
ニヤリと笑えば、ねぇちゃんは目を見開く。
「覚悟してよ?」
「……うん」
可愛すぎる返事に、俺は覆い被さる様にしてキスをした。
頭の隅では、父さんと母さんに、なんて言おうかと、考えながら。
×××
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