第38話 叶わない願い

お題【敗北】

お題提供者・匿名様

ありがとうございますm(_ _)m

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 なんでこんな事に……。


 俺は、俺が一番嫌いなアイツと好きな人が抱き合っているのを、遠くから呆然と見ていた。


 奴が彼女の顎に手を当て、上を向かせる。その姿を見て、俺は奥歯をグッと噛み締めた。

 掌に爪が食い込むのも構わず、強く強く拳を握る。


 絶対に勝てるハズだったんだ。

 何度も何度も奴との対局をシュミレーションしてきた。過去の棋譜スコアを見返し研究もした。

 

 この対局は、絶対に勝たなければならない勝負だった。


 なのに……。


 俺はこれ以上、二人の姿を見たくなかった。ましてや、キスシーンなど。

 だが、敗北によるショックから、その場に根が生えたかの様に動かない。それをどうにか無理矢理動かして、俺はその場を去った。



***



 事の始まりは、数ヶ月前のこと---。



「僕が、次の大会で君に勝ったら、彼女は僕がもらう」


 目の前のイケメン野朗が、俺に向かってそう宣言をした。


「……だから。アイツはモノじゃないし、アイツの気持ち置き去りにして、何言ってんだよ」

「彼女の気持ちは、見ていればわからないか? 僕と君との間で揺らいでいる。どちらかが、彼女に強く働きかければ、彼女は僕か君に落ちるだろう」

「……お前さ……なんでもそうやって分析するの、止めろよ。そもそも人の心なんて、そんな簡単なもんじゃないだろ」


 呆れとイラつきが混ざった感情で言えば、イケメン野朗が、フッと嘲笑いつつ言った。


「僕は、君も彼女に好意があることを知っている。だからこうして正々堂々と、宣戦布告してるんだ」


 何なんだ、コイツ……ほんっと話し通じねぇ。


「お前さ、俺が言った言葉の意味、理解してるか? アイツはモノじゃない。命の通った人間で、感情もある。人形やロボットじゃ無いんだよ。アイツの気持ちはアイツのものであって、俺でも、お前でも無い。もらうとか言ってるけど、選ぶのはアイツ自身だ」


 怒りを抑えつつ言えば、イケメン野朗は、何を気取ってるんだか、外国人みたいに両手両肩を上げ、呆れた仕草をして見せた。


 いちいちイラつくんだよ、コイツ……。


「まぁ、いいさ。どちらにせよ、僕は君を完膚無きまで叩きのめすだけだ」

「随分と言ってくれるじゃないか。今までの対局で、俺とお前は五分五分だ。そのうち一度の対局では、俺が圧勝してる」


 鋭く睨み付け、事実を言ってやれば、残念イケメン野朗は、一瞬、口元を引き攣らせた。ざまぁみろ。お前より、俺の方が優勢なんだよ。


「それでも、僕が勝っている対局もある。何が起こるか分からない。それが、チェスだ」


 さっきから俺たちが話している『対局』とは。


 今、このウザイケメン野朗が言ったが、ボードゲームのチェスの事だ。


 よく、チェスを西洋版将棋だという奴がいるが、チェスと将棋は似て非なるものだ。まぁ、元はどちらもインドのボードゲームが起源だけど。


 違いは多くあるが、目に見えて分かる違いと言えば、まず駒の種類が違う。チェスの駒は6種類に対し、将棋は8種類。さらに、盤の大きさやマスも違う。チェスは8×8マスの盤で、将棋は9×9マス。

 さらに、決定的な違いでいえば、取った駒を使えるかどうかだ。チェスは相手の駒を取っても使えないが、将棋は自分の駒として使えるなど。他にも色々違うが、そこは割愛する。


 そんなチェスは、将棋に比べると、まだまだ日本ではマイナーである。対局したくても、チェス人口そのものが少ないため、近隣の大会だと顔馴染みが揃う。

 練習はもっぱらオンライン対局やアプリなんかを使って海外のプレイヤーやAIと対局する。

 でもやっぱり俺は目の前で駒を触って対局する方が好きだ。あの臨場感は、目の前でやるからこそで、ネットでは味わえない。


 今まで、自分の周りにはチェス仲間がおらず、ネット中心で行ってきたが、大学に入ってチェスサークルがあるのを知り、即入った。


 それからだ。

 このイケメン野朗が、何かと俺に絡んで来る様になった。

 やたらと個人情報を聞きたがり、ウザいなぁとは思っていたが、一度手合わせしてからは、ウザいどころか粘着質とすら感じるほど、絡んで来る様になった。


 俺としては軽くあしらっていたが、勝手にライバル視されるわ、何かに付けて対局しろと言ってくるわ……挙げ句の果てには……。


 俺が好意を寄せている、同じサークルの彼女を『賭け』の対象にするとは……。


 呆れを通り越して、怒りしか湧いてこない。

 コイツは一体、何がしたいんだろう。


 さっきから、枕詞のように奴の事を『イケメン野朗』と言っているが、とにかく見た目が良いのだ。

 背も高く、モデル並みのスタイルの良さから非常に良くモテる。割に、浮いた話は聞かない。

 一方俺は、可も不可も無く、至って普通の日本人顔。それなりに告白もされて来たし、付き合ってきた経験もあるが、モテモテではない。

 そんなムカつくイケメン野朗が、何で俺なんかに? って、何度も思ってきた。


 ただ、今回だけは、何度冷静になろうとしても許せない。

 人の心を、簡単に自分の物に出来るかの様な物言いが。

 確かに、奴が告白すれば誰だって……もしかしたら彼女だって……即答だろう……。


 やっぱ腹が立つ。

 

 こうなったら、今後二度と俺に関わらないように、それこそ、奴の言葉じゃ無いが、完膚無きまで叩きのめしてやる。


 そう、心に誓った。


 

***



 宣戦布告から二か月後。


 8月某所でオープンチェストーナメントが開催。

 試合はスイス式トーナメントで8ラウンド。ラウンド終了後に、得点ごとグループが組まれるのだが、原則同点の者同士が当たる様に組まれるのだ。

 

 俺と奴は、見事に同点だった。

 そして、いざ対局を迎えると、奴は過去、対局した時とは違う手で駒を動かしていったのだ。

 奴の得意な手は知っている。だが、今目の前で繰り広げられた動き。これは、知らない。


 奴が本気だと、すぐに感じ取った俺は、シュミレーションしてきた動きでは勝てないと気付き、すぐさま体制を整え、相手を追い詰めようとした。が、俺は奴の予想外(いや、想定外と言うべきか)の動きに、大いに動揺してしまった。

 チェスは心理戦だ。相手の精神を如何に打ち砕くか。

 俺はまんまと、奴の作戦に嵌められたのだ。チラリと奴の顔を見る。澄ました涼しい顔で盤を見つめている。俺も無表情を心掛けていたが、ハッと気がつく。貧乏ゆすりをしていたのだ。気が付いてすぐに止めたが、焦りが奴にバレただろうと思うと、奴の思う壺の様で自身の行動に苛立った。


 チェスの対局には、暗黙の了解で「引き分ドロー」は極力さける。最後まで戦い続けるか、自ら降参を申し出るかだ。

 序盤、奴に押されたが、徐々に巻き返しを図った。何とか整いホッとしたのも束の間。俺は、大きなミスを犯していた。奴が駒を動かし「チェック」と放つまで、俺はそれに気が付いていなかったのだ。悪足掻きをしても、どうにもならない。それでも駒を動かす。


 次の瞬間。


「チェックメイト」


 凛とした声で放たれた印籠に、俺は項垂れ、震える小さな声で「リザイン負けました」と告げた。


 完敗だ。

 俺の頭の中に浮かんだ『敗北』という二文字。

 悔しさが滲み出そうなのを堪え、握手を済ませたが、その後、自分がどう帰る準備をしたのか記憶がない。


 大会が終わり、ぼんやりとした頭で会場の外へ出ると、二人が抱擁しているのが見えた。ああ、彼女は奴を選んだのだと思った。


 しかし、何故か彼女が俺を追いかけて来て……。


 俺を好きだというのだ。


 状況が全く飲み込めず、俺が困惑しつつ否定すると、彼女は急にキスをして来た。


 柔らかな唇が、俺のそれと重なる。少し拙いキスがゆっくり離れ、彼女の纏う花の香りが僅かに鼻をくすぐる。


「これでも信じられない? 私は誰とでもキス出来る性格じゃない。好きな人にしか、したいと思わない」


 もう何が何だか分かっていなかった。

 なのに、何故か涙が溢れた。この涙が、何の涙なのか。安堵なのか、喜びなのか。分からない。

 ただ。今ここに、彼女はいて。アイツじゃなくて、俺を選んでくれたという事実があること。その事実を、存在を、確かめるように。


 俺は彼女を強く抱きしめ、キスをした。





 会場の外に出ると、彼女が不安げな顔で僕を見ていた。

 来ていたんだ。そう思いながら、僕は笑顔を繕って彼女に近づく。


「僕が勝ったよ。先日の約束、覚えてる?」


 つとめて穏やかに言えば、彼女は泣き出しそうに顔を歪める。


「なんで……」

「僕は全力で戦った。それでいい」


 僕の言葉に、彼女は一筋の涙を溢した。

 僕は彼女を抱き寄せながら、耳元で「次は、キミの番」と囁く。


「彼は、間違いなくキミが好き。彼は全力で僕を潰そうと最後まで戦った。それが何よりの証拠だ」

「ただ勝ちたかっただけかも……」

「違うよ。それは戦った僕が一番分かってる。勇気を出して。ちゃんと告白するんだ」

「……でも……」

「キミは僕と賭けをした。それを反故にするつもり?」


 体を離し彼女を見下ろせば、弱々しい瞳で見上げてくる。

 僕は、そのまま彼女の顎に手を当てて「そんな顔しない。このままキスするよ?」と言うと、彼女は小さく笑った。


「それはダメ」と、やっといつも通りの笑顔を見せる。


「勇気出して。僕だって全力を出し切ったんだから」

「……うん」

「一つアドバイスしてあげる。あのバカは、言葉だけじゃなく、キスするくらいの勢いじゃなきゃ、信じないよ」

「……そんな」

「ほら、そんな顔しない! すぐ追いかけて。気合い入れて行ってこい!」

「……ありがとう!」

 

 彼女の背中をポンと押すと、一度だけ振り返り、アイツの元へ駆け出した。


 僕は、彼が好きだった。


 ずっと隠してきた。誰にもバレる事は無いと思っていたのに、ほんの少しの油断で、彼女にバレたのだ。

 彼女は僕を応援すると言った。でも、それと同時に、僕は彼女も彼が好きなのだと、気が付いた。そうじゃなきゃ、僕の想いなんて気が付く筈が無いから……。


 僕らは賭けをした。


 僕が彼に勝てば、彼女が彼に告白する。

 僕が彼に負ければ、玉砕覚悟で僕が彼に告白する。

 

 僕と彼のレベルは、ほぼ同じ。どちらが勝ってもおかしくは無い。

 だけど、僕は何が何でも勝つと決めていた。

 だって、僕の想いは報われないから。告白する気は無い。なら、彼の記憶の中に、ずっと残り続けること。その方法はひとつ。

 チェスの対局で完膚無きまでに叩き潰す。例えそれが、彼にとって嫌な記憶になっても、彼の中に僕の存在が残り続けるなら、それで良い。


 だから、彼を焚き付けた。

 彼女を僕のものにすると、嘘をついて。


 本気の戦いじゃなきゃ、意味がない。そうじゃなきゃ、彼の記憶に『僕』が残らない。

 

 今日という日の事は、きっと彼の記憶に残る。


 なのに、どうにも胸の奥が痛む。


 どうやったって、彼が僕を選ぶ事なんて、一生無いんだから。これで良いと思っているのに。


 対局には勝ったが、何とも言えないこの『敗北感』は、何なのだろう。ふと、空を見上げると、飛行機雲が。それを目で追う。


「アイツら、今頃キスしてるのかな。……なんか、想像したらイラッとしてきた……。一生幸せになれ! クソッ!」


 悪態を吐くと、なんだか心が軽くなり、笑いが込み上げる。


 僕の笑い声が、晴れた空によく響いた。





×××

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