第29話 お題【遠距離恋愛】
「なんで……。まえ、フったじゃ、無いですかぁ……」
私が泣きながら言うと、大きくて温かな手が、私の両頬を包み込んで「あの頃は、無理だったんだよ」と、困った様に笑う。
その顔が、私の知らない男の人の様で。
困った様な、泣き出しそうな、嬉しそうな。そんな顔で。
「ずっと好きだ。今も、昔も」
そう私の耳元で囁いて、少しカサついた唇を、私の唇に重ねた。
♢
遡ること、二時間前。
私は、都内の大学へ行ってから、一度も田舎に帰っていなかった。
理由は、大好きな人が、この街に住んでいるから。
高校一年の頃。私は自分が通っていた高校の国語教師に恋をした。
教師と生徒だし、恋愛なんて出来ない事は分かっていたから、叶わない恋だと諦めていた。
だけど、高校二年の夏。
地元の花火大会へクラスの友達数人と一緒に観に行ったら、先生方が見回りで歩いていたのだ。その時、友達と逸れてしまった私は、先生と会って。一緒に友達を探してくれて。
その時、先生は、私の手を繋いでくれて……。
私は、先生に告白をした。
日に日に募る想いを、繋いだ手のせいで。どうしても抑えきれなくなってしまったのだ。
「ごめん。付き合えない」
先生は、その一言を言って、私の手を離した。
ちょうど、友達とも合流出来て、それっきり。
学校でも、私は先生を避ける様にして過ごし、多分、それは先生も同じだったと思うけど。
私は、地元の大学へ行こうと思っていたのを変更し、勉強を頑張って。ギリギリ都内の大学に合格して、高校卒業と同時に逃げる様に街を出た。
それから、四年間。何だかんだで実家に帰る事なく、気が付けば私も新社会人として都内で勤めていた。
帰ろうと思えば、いつでも帰れる距離。新幹線でたった二時間なのに。ずっと帰らなかった。
もう、心の傷はとっくの昔に癒えているけど、何となく足が遠のいていたのだ。
そんな、間も無く五年目に入る少し前。
母が階段から落ちて足を怪我したと聞き、久々に地元に帰った。
約五年ぶりに駅に降り立った私の背中に、懐かしい声が当たった。
その瞬間、胸の奥がギュッと掴まれた様に痛くなる。
癒したはずの、昔の傷が疼くみたいに。
「やっぱり! 久しぶりだなぁ! いつ帰って来たんだ?」
私の前に回って来たその人は、少しだけ老けていたけど、私が大好きだった笑顔は変わる事なく眩しく感じた。
「たった今、です」
「え!? ってことは、同じ電車に乗ってたのか! いやぁ、それにしても元気そうだな? すっかり綺麗になったじゃねぇか!」
先生は、笑いながら言う。
あの告白は、きっと先生の中には残って無いのだろう。それなら、それでいい。私は、作り笑顔で「お久しぶりです、先生」と、社会人として挨拶をした。
「そんな堅苦しく挨拶すんなよぉ。なんか寂しくなるじゃねぇか」
そう言いつつ、嬉しそうに笑っている先生を、私は困った様に笑って見上げた。
「なぁ、少し時間あるか? せっかく会えたんだ。どっかでお茶しないか?」
「久々に会った瞬間にナンパですか?」
「あははは! ナンパじゃないと言ったら、嘘になるな! よし。ならば」
そう言うと、先生は少し長い前髪を掻き上げ、キメ顔をした。
「綺麗なお嬢さん、良かったら、そこで俺とお茶しません?」
一瞬、私は目が点になってしまったが、次の瞬間には噴き出して笑った。
「なんだよ、そんな笑わなくても良いだろぉ?」
「先生、それキメ顔のつもりでしょ? なんか見てて恥ずかしいからやめて! あははは!」
「なんだとぉ?」
「まぁまぁ、ここでは何ですから、行きましょう、そこのカフェに。ほら、早く行きますよ」
「え? 良いのか?」
「え? 冗談だったんですか?」
「いや……。行こうか。久しぶりだから、何でも奢ってやる!」
「やったぁ! 何にしようかなぁ。いっちばん高いメニューにしようかなぁ」
「おぅ、何でも来い!」
「あははは!」
私が地元を離れた時には無かった、有名カフェチェーン店に入り、私はフラペチーノをカスタマイズして注文した。そんな私を見て先生は「都会かぶれしやがって」と笑った。
二階席の窓際に並んで座って、街を見る。知らない建物が増えていて、私の知っている街の顔とはだいぶ違っていた。たった五年と思っていたけど、五年は大きいんだな。ぼんやり思っていると、隣に座っていた先生の身体が僅かに当たる。
「それ、旨い?」
「飲んでみます?」
「ん」
「じゃあ、ストローもらって来ますね」
「いや、良いだろ、このままで」
そう言うと先生は、フラペチーノを持っている私の手の上から自分の手を重ねて、飲んだ。
私が使った、ストローで。
「ん。思ったほど、甘く無いな。旨いよ」
先生が悪戯っ子の様にニカッと笑った。
私は……。
「な、なに人の勝手に飲むんですか!」
「え、だって飲んでみるかって聞いたじゃん」
「き、聞きましたけど!」
「あ! もしかして、間接キスだ。とか思った?」
「……!!」
「ごめん、ごめん。新しいストロー貰ってくる」
立ち上がろうとした先生の服を掴む。
「良いです……これで」
「……そう?」
「はい」
それから、私たちは、何てことの無い当たり障りのない会話をして、店を出た。
途中まで、同じ道のりを歩く。
もう少ししたら、分かれ道で。
私達は、止まった。
「じゃあ、ここで。ご馳走様でした」
お辞儀をする私に、先生は「いいよ」と笑う。
「なぁ」
「はい」
「お前、彼氏いるの?」
「……いえ。今は」
「好きな奴は?」
「……そういう先生こそ、どうなんですか? 結婚とかしてないんですか?」
してない。きっと。だって、さっき指輪してなかったもん。
「残念ながら、恋人も居ないし、結婚もしてないよ」
「早くしないと、お爺さんになりますよ?」
「失礼な!……忘れられない
「……。そう、ですか……。その人と、上手く行くと良いですね」
「本気で、そう思ってくれるか?」
先生の表情が変わった。真剣な、突き刺す様な瞳。私の心臓が、また痛む。この痛みは、何の痛みだろう。
「もちろん」
努めて冷静に答える。うそ。強がり。
「じゃあ、俺が今から言う事、ちゃかさず聞いて」
「え?」
「好きだ。ずっと好きだった。忘れられないくらい、今でも好きだ。今日、久しぶりに会って、やっぱり離れたくないと思うくらい、好きだと。わかったんだ」
うそ……。
「信じられないって、顔だな」
先生は、苦笑いしながら私の手を取った。
「今、好きな奴が居ないなら、俺と付き合って欲しい」
私は、自分がどんな顔してるのか、分からない。ただ、涙が出て止まらない。
「なんで……。まえ、フったじゃ、無いですかぁ……」
私が泣きながら言うと、大きくて温かな手が、私の両頬を包み込んで「あの頃は、無理だったんだよ」と、困った様に笑う。
「あの時は、教師と生徒だ。さすがにアウトだって、わかんだろ」
先生は、どこか苦しそうに笑う。
「フった時は、俺だって結構なダメージだったんだ。けど、卒業しても、お前の事が好きだったら。お前が俺を好きで居てくれてたら、今度こそって思ってたんだ。だけど、お前、卒業式の日、終わってすぐに東京行っただろ。アレには参ったよ……」
「……」
「やっぱ、もう遅いか……」
先生の手が離れようとした。その手を、私は強く握った。
「私、東京で働いているんですよ」
「学校行事がない限り、毎週末に会いに行く」
「お金掛かりますよ」
「独身貴族を舐めんなよ?」
私は小さく笑った。
「今度は、離さない。離したくない」
先生の手に、力が入る。少し、痛いくらいに。それが、何だか愛おしくなる。
「私も、ずっと忘れられないくらい、先生が大好きです」
見上げた先にある、その顔が、私の知らない男の人の様で。
困った様な、泣き出しそうな、嬉しそうな。そんな顔で。
「ずっと好きだ。今も、昔も」
そう私の耳元で囁いて。
先生は、少しカサついた唇を、私の唇に重ねた。
少し冷たい、コーヒーの味がする唇だった。
×××
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