第32話 キャスト

 原田さんの話に、俺は途中から相槌を打つことも忘れて聞き入っていた。

 兄貴が俺に執着している…とは全く思えないのに、何故か彼の話には一つ一つ思い当たるふしがあった。


『…広彦くん?』


 電話の向こうの原田さんの声はあくまでいつも通り淡々としていて優しい。

「はい」

『全部、俺の推測だからね』

「…はい」

『あと、貴彦を悪く言ってるつもりもないよ』

「うん、分かります」

『むしろ尊敬してる。貴彦ってね、天才なんだ』

「……」

『貴彦は、その場にどんなメンバーが集まれば上手く行くか、どんな風に持って行けば会議が目的通り着地するか、そのセッティングが完璧なんだ。しかも本人はおおよそ無意識で人集めをしていてね。正直、広告屋として貴彦より良いアイデアが出せるやつはゴマンといるけど、あいつほどアイデアを実現させられる人間はいないと思う』


 兄貴を褒められるととても嬉しい。嬉しく、くすぐったい。


『その貴彦の新しい仕事に、広彦くんは真っ先にキャスティングされた訳だ。広彦くんだってすごいってこと』


 自分が褒められると違和感がある。


『あいつと一緒に仕事をするのは、いい経験になるよ』

「…はい」

『一つだけ文句を言うとしたら、結婚して家庭もあって、その上仕事で可愛い弟も囲い込もうとしているところが、俺的には癪に障るね』

 笑いを含んだ声。

 本気か冗談か分からない。


 兄貴が俺を囲い込もうとしているようには感じない。でも、原田さんの話が全くのデタラメとも感じない。

 俺にもなんとなく思い当たるふしがあり、客観的にみてそう見える部分があるなら、少なからずそういう一面もあるのか…。


 しかし、そんな話をいきなり聞かされても何の実感も湧かない。 


 兄貴…。


 俺のこと、どう思っているんだろう。

 俺が兄貴を好きだってこと、ばれてんの?

 無意識で勘づいてるってこと?それって兄貴は気持ち悪くないのか。


 分かったことは、原田さんが初めて会ったあの日から、いや、会う前から、俺を観察対象として見てたということだ。

 原田さんにとって俺は兄貴と共に観察の対象で、少しずつ、何もかもばれていたのだ。


 嘘くさく、胡散臭く、薄っぺらな様子で、女たらし、エセ爽やか…に見せて油断させて、邪魔にならないふうでそこに存在して、観察していたんだ。そして多分そのバックグラウンドに、孤独が潜んでいる。


 あの青いカーテンの色が今も忘れられない。


 とても綺麗だったけど、思い出すたびに、見上げたあの時の、なんとも言えない寂しい感じが甦る。


 見惚れて飲み込まれそうになるあの色。

 空のような。偽物の空のような。

 原田さんの孤独を垣間見てしまって、一層切ない記憶になっている。

 なにもかも諦めて全ての欲望を手放せられるなら、人は清らかに存在できるような気がしていた。

 けど今は、もしかしたら、そういう境地に立たされたら、人は、原田さんみたいになるんじゃないだろうかと思う。能面のような笑顔で、人を観察するような人に。


 そしてその時は多分、誰も、決して、清らかではいられないのだ。


 いつかは兄貴と仕事してもいいかな。でも、今じゃないような気がする。

 お互いがお互いに複雑な感情を抱いているなら、多分一緒にいるべきじゃない。兄弟だからこそ、距離を置いた方がいい時もある。


「原田さん」

 会いたい。

『ん?』

 会って話したい。


 でも、あなたにとって俺は。

『どうしたの』

「いえ」

『長いこと会ってないね』

 うん。

 でも。


 観察は、終わりだよね。


 多分職場の同僚の、兄貴に興味があったんだよね。


『次会う時、セーター着てきてね』

 うん。

『今ちょっと忙しくって。落ち着いたら連絡するから』


 うん。





 原田さんとの電話を終え、家に帰る前にコンビニによって、久しぶりにビールを六本まとめ買いした。

 原田さんの話。

 兄貴が俺に執着?そんなバカな。

 バカな話に思えてくる。

 原田さんの妄想なんじゃないか。



 部屋に戻って一人で飲む。テレビのチャンネルをカチャカチャ替えて、最近はコマーシャルばかりに目がいってたけど、たまには普通の視聴者になろうと思ったりする。日曜の夜って、自分的にはあまり見たいテレビがないなって気が付いて、ただぼんやりと眺める。


 早いけどもう寝よう。とても疲れた。

 とても。

 原田さんの発したボディーブローは、強烈じゃないって思ったのに強烈に心をやられる。


 改めて、兄貴のことで頭がいっぱいになってる。

 それも、仕事に誘ってくれた時のドキドキした感じはなくなって、ただ心の中に青いカーテンがひらめいている。孤独。

 そうなると、兄貴のことを考えているのか、兄貴を分析した原田さんのことを考えているのか、分からなくなる。

 この孤独が俺のものなのか彼のものなのか、分からなくなる。



 兄貴が集団の中で無意識に計算高いことは、言われてみればその通りだった。




 ピンポーンと、チャイムが鳴る。




 ああ、多分栗栖さんかな。

 こないだの無礼…っていうか失礼を謝らないといけないな。寝ちゃって。

 …なんか、身体が動かないから居留守を使おうか。

 あれ。

 なんか…おかしい…。

 涙が出てきた。

 身体が痛い。動けない。

 ワケわからんな。


 疲れただけ。疲れすぎた、だけなのだ。


 

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