第26話 質問

 ちょこたんちょこたん。


 原田さんも好きだと言っていたCMが流れる。

 俺は、一番端っこのちょこたんが転ぶのを見届ける。

 一つ前の子を庇って倒れるちょこたん。


「ちょこたん、ちょこたん」


 洗濯物を干しながら口ずさむ。一人きりだけど、寂しくない夜だ。集まった人たちからアイデアが溢れ出て、CMの撮影は無事完了し、今は業者と打ち合わせをしながらの編集段階まで来ている。


 広報課の人たちとある程度仲良くなって、イヤイヤやってたCMの仕事が順調にとは言えなかったけど、何とか進んで…なんだか自分でも自分が社会人になったっていう気がする。なんか、人間関係の山とか、やりたくない病の山とかを越えた感じが。


 仕事の合間合間に、CMに協力してくれた人、協力してくれる人を紹介してくれた人を訪ねて歩いた。元々俺が総務にいた時の広告主さんたちなど。

 ご無沙汰してます~って入っていったら、みんなニコニコ迎えてくれる。


 原田さんの言葉を思い出し、少しでも興味が出たら人に声をかけようと思って活動してみる。


 女性にも思い切って声をかける。

 声をかけて、知り合いになって、電話番号きいて、それからご飯を食べに行ったりしよう。原田さんみたいに…と思ってみるものの、なかなか上手くはいかない。恥ずかしいし、気が付いたら五十歳くらい年上の男女に構われていたり、小学生に気に入られて異様に引きとめられていたりする。


  まあ、それも悪くない楽しさだ。


 そして、少し不安なこともある。

 あれ以来、原田さんから連絡が無いのだ。そうして一ヶ月以上が過ぎていた。

 あんなにマメに連絡をくれていたのに。

 何かあったのか。

 それとも、あの日、俺は何か失言をしてしまったのか。


 ああ、好きになった人に愛されない。

 でも、仕事の忙しさが、そんなローな気分を誤魔化してくれていたのだ。


 だから、まあ、いいか。


 そんなことを考えながら洗濯物を干している。

 四日分溜めてしまって、今日は多い。


「ちょこたん、ちょこたん」

 小声で歌っていたらチャイムが鳴った。


 ん?


 時計を見る。夜の十時。

 誰だろう。

 夜の十時といえば、栗栖さんだけど。


 栗栖さんとも、実はあれ以来会っていなかった。

 いや、会っていないどころか、最近は隣に人の気配が無かった。


 みんな俺から逃げるよね。

 いいよ、もう、別に…。


「はい」

 玄関のドアを開けずに、声だけかけてみた。

「こんばんは。…栗栖です」

 落ち着いた、あの声が聞こえた。


 ドアを、開けた。

 栗栖さんが、ちょっと照れくさそうな困ったような恥ずかしそうな表情で立っていた。


「栗栖さん…お久しぶりです」

「今、いい?」

「はい」

 はい、だって。

 自分でも脊髄反射の勢いで言ってしまってビックリする。はい、だって。ははは。なんだ、俺、この人に会いたかったんだな。

「外、歩く?」

「はい。あ、ちょっと待ってください」


 財布と鍵を取りに戻り、栗栖さんと夜の道を歩く。

 どこへ向かっているかは分からないけど、それはまあどうでも良かった。

「仕事で二、三日大阪に行く予定が、一か月過ぎてしまって」

 栗栖さんがそう言うのを聞いて、謎が解けたと思った。

「…なんだ…。人の気配が無いから出て行っちゃったのかと思ってた」

 つい素直に言ってしまう。栗栖さんが否定した。

「出てかないよ、あのアパート俺のだもん」

 えッ!俺の?

 ギョッとして隣を歩く栗栖さんを見上げたら、ニコニコしていた。

「お、大家さんなの?」

「うん」

「な、なんで?」

 なんで、とかいう話じゃないんだろうけど。

「今より若い時に一山当てたんで買ったんだけど、もう一山当たんないから、建て替えができてなくて」

「はぁ」

「空きが埋まらないから対した収入にはならないっていうより、今はなんか、物件の税金払うために仕事してる時もあるけど」


 なんという無計画。


「その辺の事情は社員に気遣わせたくないから黙ってて、まあいろいろ悟られないように住んでるところも周りの人にはハッキリ教えてないんだ」

「社員?」

 訊き返した。

「…俺、広告制作会社やってんの」

 …社長ってこと?

「社員は俺以外に四人しかいないけど」

 十分立派な社長じゃん。栗栖さん、会社と、古いけどアパート経営してんの?

 なんか意外…。

 意外とアグレッシブ。

「まあ、俺の自己紹介はそんなところかな。歳は三十五で独身です」

 アグレッシブ栗栖さんは、そこまで言ってから立ち止まった。俺の顔をチラリと見てから視線を落とす。兄貴に似た仕草にハッとなる。


「この前は変なことを言ってごめん」

「変なこと?」

「うん。謎の曖昧発言」

 ああ、あれか。終わるのも始まるのも怖いっていう…。

 自分で『謎の』とか言うなよ。

 あれ、結構傷ついたんだぜ。


 今更傷ついていたことに気付いて自虐的な気持ちになりながら、『いや、いいですよ』と、返事をするでもなく呟いた。なんだかじっと止まっていられなくて、またゆるっと歩き出す。栗栖さんがついてきた。

「あのあとずっと大阪から戻れなくて、気になってたけど、直接連絡先聞いてなかったし、バタバタしている間に日が過ぎてしまって」

「…そうだったんですか」

 自分も仕事が忙しくなってそれどころじゃなかったから、『居ないな』と思いつつ深くは考えていなかったけど、ちょうど良かった。原田さんのこともあって、自分を見つめ直す時間ができた。

 でも、やっぱり栗栖さんが今も隣に住んでいることに少しホッとしている自分もいる。恋愛の好きとか嫌いとか以外に、俺は多分、人としてこの人が好きなんだろう。

 チラッと見上げる。

 一瞬目が合う。

「変なこと訊いて良いかな」

 栗栖さんがそう言った。

「何でしょう」

「あのさ…広彦くんはさ、付き合ったことないんだよね、男の人と」

 恐る恐る、という感じです尋ねてきた。

「ないですよ」

「でも俺のこと、気になってた?」

「…ええ。はい」

「今は?」

 おいおい、質問攻め?

 苦笑交じりに見上げたら、栗栖さんはものすごく心配そうに俺を見ていた。






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