第6話 出会い
計算通り、俺は食事の場に少し遅れて到着した。初めて入るその店は薄暗く、個室風に仕切りが多く立てられていた。
出迎えてくれた笑顔がかわいい店員さんに名字を告げる。彼女は「お伺いしてます」とニッコリ微笑んだ。
狭い店内を先導されて歩く。奥のブースへ連れて行かれる。
もう腹を決めなくては。
そのかわいい店員さんに案内された席に、兄貴と、ほぼ初対面と言っていい兄貴の彼女、それから完全に初対面の兄貴の男友だち、という妙な組み合わせの三人が座っていた。
兄貴の彼女は、お盆に見たときとは違って、カジュアルなサマーセーターを着ていた。こっちの方が似合っている。
「こんばんは。遅れてすいません」
俺は軽く頭を下げ、空いている席に座った。もちろん兄貴と彼女は並んで座っていて、俺は兄貴の友だちの隣に座ることになった。想像していたとおりのシチュエーション。並んで座る二人を、おそらくこれから一時間以上眺めさせられることになるのだ。
最悪だ。
「夏に、チラッとお会いしました、長田美雪です」
兄貴の彼女が小さく頭を下げる。これから名字が変わろうって人に名字を聞くのも変な話だと思いながら、俺も頭を下げた。
隣に座っている兄貴の友だちさんも、俺に声をかけてきた。
「はじめまして。お兄さんの同期の原田です」
兄貴の友だち、原田さんは「爽やか」な人だった。こんな薄暗がりの中でも、彼は爽やかで、それがとても不自然だった。
出された手につられ、「弟です」と言いながら握手をした。原田さんは「『弟です』だって」と言って笑った。
「貴彦からは想像できない弟だな。かわいい。手が細いね」
「はあ」
まあ、確かに兄貴よりは。
原田さんはあまりにも気さくに話しかけてくる。
俺としては戸惑うしかないが、原田さんはそんな俺を見て楽しんでいる気がする。ニコニコとニヤニヤの間の顔。
彼からは曲者の匂いがする。爽やかさもきっと狙ってやってるんだ。
その爽やかな笑顔を顔に張り付けたまま、彼は質問をしてきた。
「ねえねえ、お兄さんのことどう思う?」
「え?」
急にそんなことを聞かれても。
好きです、とかは言えないし。
当たり障りのない返事をしておこう。
「…デカい…って思います」
そう言ったら、俺以外の三人が笑った。
「『デカい』って、人間的にってことじゃないでしょ」
原田さんがそう言うのに小さく頷く。
「兄貴は身体がデカいんですよ」
兄貴は百八十センチ近く身長があるだけでなく、体重も八十キロを超しており、太っているわけではないが、存在感がすごいのだ。
比べて、俺は身長百七十センチ足らず、体重は五十キロと少し、というチビのやせっぽちである。おそらく、原田さんもその体格差をして「貴彦からは想像できない弟」と言ったのだろう。
『そうだよな、貴彦ってデカいよな』と原田さんは俺に笑顔を振りまき、それから兄貴に『お前ちょっと痩せろ』と毒づいた。
「いいんだよ。俺はこれで」
兄貴はそう言いながらチラッと美雪さんを見た。美雪さんは、兄貴の体格を気にしていない様子で、それでいいのよ、みたいな笑顔を兄貴に向けた。
さりげなく絡む視線、何かがグッと胸に刺さる。
これに一時間耐えろというのか。煉獄ってこのことか。いや、煉獄ならばいい。煉獄なら、この時を過ぎれば俺は浄化される。しかし、俺の長年のヘドロはこの一時間ではどうにもならない。より濁ることは間違いない。
兄貴を他人に譲ることなど、とうてい許せはしない。
自分に言い聞かせる。
この人と結婚したって、兄貴は兄貴だ。俺の兄貴だ。譲らない。
でも、そんなのは表に出せない。
至極普通の弟として、ただ「晩飯」の時間だと思って耐えるのみだ。
耐えろ、俺。
呪いのように絶える俺だったが、エセ爽やかの原田さんが、職場での兄貴のことを色々話してくれて、それはちょっと嬉しかったりして、悪いことだけでもないと思って踏ん張った。
兄貴は職場でも兄貴分で、いつの間にやら決定権を握ってたり、後輩に慕われていたりするようだ。原田さんが、それをちょっと「妬みつつ」って論調で俺に言う。
「かわいい弟さんだな。お兄ちゃんにこき使われてんじゃないの?」
そんなことを言う。兄貴が「かわいくない、かわいくない」と突っ込みを入れる。
「こき使われてないですよ。もうずっと別に暮らしてるし」
「なんか学生時代の貴彦の恥ずかしい話とか無いの?」
「えーそうですねぇ…」
恥ずかしい話より、カッコいいとこばっか思い出す。中学校の時、生徒会で副会長やってたこととか…。
考え込んでいると、
「無い無い、言うな言うな」
と、兄貴が俺に照れた表情を見せた。
その隣で美雪さんが「私も聞きたい~」と言って笑っている。
なんか、二人は似合うなと素直に思った。
「兄貴は大学の頃、正月はコタツに住んでました」
「なにそれ」
「トイレの時以外は出てこなくて」
だから、会いたいときにはすぐに会えた。
「お母さんに『コタツ王子』って言われて」
原田さんがプッと吹いた。
「『コタツ王子』も面白いけど、なんか『お母さん』が新鮮だなあ」
「そうですか?」
「貴彦にお母さんか…美雪ちゃんはもう会ったの?」
「うん。すっごい包容力ある感じのお母さんだった。顔は弟君に似てる」
「弟君に似てるなら美人だね」
原田さんと美雪さんが、うちの母親の話を始めかけて、兄貴に邪魔された。
「はいはい、お前も式に呼んでやるから、俺の親のことはその時じっくり見ろ」
「いいじゃん、今聞きたいな」
「親の話って、なんか恥ずかしいから」
「そう?」
三人で話しているのを聞いていると、俺も居場所が無いけど、兄貴は兄貴で、この席って、なんか居心地悪いんだろうなって気がしてきた。
ご飯食べたし、ある程度座ってたし、そろそろ帰ろう。
「あの…スイマセン、俺、明日早いんで」
そう言いながら頭を軽く下げて立ち上がった。
兄貴の「嫁」ということで全く良い印象を持ってなかった美雪さんは、普通に良い人だった。家に来たときは挨拶だから余所行きの顔をしていたし、それでなんか澄ました人だなあと思ってしまってたけど、そんなことはなかった。それと、すごく聞き上手だった。あの時チラッと見た印象…酷く悪い印象はすっかり修正された。
勝ち負けなんてないけど負けた。
駅までとぼとぼ歩いた。
寂しかった。
兄貴のことを考えると泣きそうになる。
他に家族ができるんだ。
……。
仕方ない。
駅に着いた。切符を買っていたら、後ろから「広彦くん」と呼ぶ声がした。
原田さんだった。
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