第34話 変化

 苦しかった。兄貴が好きだと気付いてから。

 ずっと好きだったけど、違う意味の好きだと気付いてからは、誰とも真剣に付き合えなくなった。


 この人は兄貴じゃない。


 兄貴は俺の想いに気付かない。

 どうせ兄貴は手に入らない。

 俺は一生一人だ。

 一人きりだ。

 誰かといる時も。


 自分がいつも周りに、嘘をついているような気持ちだった。何をしていても、本心を隠して生きているという気持ちが消せずにいた。誰にも言えなかった。これからもこの話をすることはないだろう、何故か気付いてしまった原田さん以外は。

 そして今俺は、兄貴への、半ば執着のような憧れと違う種類の気持ちを原田さんに抱いている。この気持ちの整理ができなければ、栗栖さんとも向き合えない。




 翌朝目が覚めると、ぐちゃぐちゃの部屋で一人だった。熱も無く仕事へ行き、日常生活が戻ってきた。

 でも、何かが違う気がした。



 夜になって帰宅すると、前と同じように時々栗栖さんにも遭遇した。

 小さく手を振ってくれる。俺も会釈を返す。

「今度遊びに行こうよ」

「え?」

「デート。どこか行きたいところ、ある?」

 結構ぐいぐい来る。

「うーん」

「考えといてね」

 ぐいぐい来る割には、栗栖さんはそんな感じで、こちらの返事を待たずに去る。



 原田さんからは、想像していた通り連絡が無かった。以前とてもマメだったのは、やはり観察期間だったのだろうと思う。

 あのセーター、もう着ないかも知れないな。そんな状況にならない。

 仕方ないな。仕方ない。

 不思議な人だった。あまり周囲にいないタイプだった。受け止めてくれた。俺の気持ちも、変だと思わずに理解してくれた。自分でも変だと思ってた、この想いを。


 それで、不安やモヤモヤや孤独感は、不思議と半分くらい消えた。


 気付いてくれて、否定しないでくれた。


 いつか、あと一度だけ会って、お礼を言いたい。ちょっとくらい強引にでも約束を取り付けて、そしてそれが真夏でも、これみよがしにセーターを着ていってやればいいんだ。

 どんな顔をするだろう。

 おそらく、いつもの爽やかな笑顔を向けるだろう。本心の見えない笑顔を。俺をちょっと悲しませたことも知らず。


 

 

 数日、いや、もう少し長い間、兄貴が俺に持ち込んだ転職話の事も考えた。

 考えてみたが、やはり今は引き受けられないと思った。

 少なくとも、俺が兄貴を、普通に兄貴として認識できるようになるまでは一緒に仕事は出来ない。兄貴も、無意識にでもこの関係性に気付いているのなら、なおさら。

 対等な関係で仕事ができないから、せめて自分の中の整理はしっかりできている必要がある。


 少し、時間ください。

 そして、もう一つの理由として、今の仲間とも、もう少し、お仕事したいのです。


 わがまま言ってる間に、お前なんか要らないって言われるかな。

 言われたら、まあそれはそれで良いかと思う。運命だ。


 なんて事を考え始めている時点で、兄離れは随分進んでいたのだが、その時の俺は気づいていなかった。




 よってけのテレビCMは意外と好評だった。雑誌の歴史をみんなが感じてくれていたということだろう。CMそのものが単純でも、見た人がそこにストーリーを感じられたら、あれは成功と言える。

 俺のような新参者が手掛けて良かったのか、ずっと気になっていたが、後から来た者からの視点も悪くはなかったのかも知れない。

 総務の大谷課長が会いにきてくれた。

「お疲れ様、見たよ」

「お疲れ様です。ありがとうございます」

「正直、あの時期に苅田くんを広報に取られるのは辛かったし、今も総務は大混乱状態だけど、送り出してよかった」

 俺を放り出しやがって、と恨んでいたけど、この人にも立場や事情があったのだと思った。

「人の補充なしですか?」

「苅田くんの抜けた分は、とりあえずバイトの子に入ってもらってる」

 以前の俺みたいな感じか。

「一から教えないといけないから、大変ですね」

「仕方ない。総務はいつも貧乏くじだよ。また誰かが育って、引き抜かれてくんだろう」

 大谷さんの、笑顔。

「お疲れ様です。やり甲斐ありますね」

「ははは、そんなわけ無いだろ」

 軽口を叩く。かっこいいな。

「初めて見るのに、何だかここに就職してからのことを思い出すCMだった。ありがとう」

「いえいえ」

 送り出してくれてありがとうございます。

 本心からそう思った。


 色々失敗するからお酒を飲まないようにしてた。

 でも、今日は一人でお祝いしよう。

 そう思って、いつものコンビニに寄る。

 缶ビールを一本だけ掴んでレジへ進んだ。家に帰ってから飲むことにして、外に出たら栗栖さんがいた。




「こんばんは」

 栗栖さんがぺこっと頭を下げる。

「こんばんは」

 俺も会釈した。

「今、帰り?」

「はい」

「一緒に帰っても?」

 丁寧に、様子を伺っている。少しの仕草をいちいち兄貴と比べて「似てる」って思ってたのに、今日は似ていないと思った。

 


 


 


 

 

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