第15話 彼の噂

 俺が行ったことの無いような『綺麗なカフェ』で『朝食』。

 いや、朝食じゃないな『ブレックファースト』って感じ。大きな白いお皿に美しく飾られたサンドイッチ、めちゃめちゃ美味しいコーヒー。


 シャワーに入っていなければ、ここには連れてきてもらえてないだろう。あのままの状態、前日泥酔の風呂入らず、では入っていけない場所だ。なんか、洗練された場所過ぎて。

 …それを、常連らしく立ち居ふるまう原田さん。どんなにその爽やかさが嘘くさくても、これはモテるだろう。というか、この人は、モテてきた人の匂いがする人だ。

 でも。

 では。

 …どうして寂しそうなんだろう。



「そのセーター、広彦くんにあげる」

 原田さんがニコニコして言う。

「今日はせっかくだからお借りしますけど、ちゃんとクリーニングに出して返しますよ」

「いや」

 原田さんがヘラッと笑う。

「どうせ俺には似合わないから」

 そんな理由?

「高いでしょ、これ」

 俺は自分の着ているセーターを見下ろした。

「カーテンほどはしないよ」

 そりゃ、二十万もしたらビックリするよ。でもそれでも三、四万くらいしそう。どうしようかなぁと思ったけど、頂くことにした。

「何にもお返しできませんけど」

 そう言ったら原田さんは、

「見返りは求めないのが幸せってもんなの」

と言う。

「なんですか、それ」 

「いいのいいの。似合う人が現れて、セーターも喜んでるよ」

 会話になってない。

「なんで買ったんですか」

 つい訊いてしまう。

「そのセーターが似合う人と出会って、プレゼントするためだよ」

 訊いたこっちが馬鹿だった。


「またそれ着て、遊びに来てよ」

「?」

「好きな色のセーター着てる人と会うの、楽しいから」



 変な人だ。



 昼前に自分のアパートにたどり着いた。原田さんちと比べちゃだめだけど、暗くて狭い。

 暗くて狭いのは仕方ないとして、せめて掃除くらいしよう…そう思って、大きめのごみ袋を引っ張り出していたら携帯が鳴った。


 ん?


 着信表示は…兄貴。


 兄貴?


 珍しすぎて、携帯を落としそうになる。ドキドキして…。


「なに?」

 第一声にふさわしくない怠い声で出てみる。

『ヒロ…?いまどこ』

 良い声。

「どこって…自分ち」

 ダメな俺の声。

『そっか…。あのさ、あの…』

「どしたの」

『原田とよく飲んでるのか』


 ああ…それで電話してきたのか。


「たまに」

『…そっか』

 自分の友達と弟がつるんでるのって、嫌なものかも知れない。

「ごめん。別に兄貴の話はしてないよ」

 してるけど。

『いや、それは構わないけど』

 じゃあ、なに。

『原田、いい奴だけど…』

 言いよどむ。どうしたの。何なの。

『…女性関係が派手っていうか…ユルいっていうか…』

「……」

 どういうこと?

『あのさ、原田とは飲んでるだけ?合コンとか連れて行かれた?』

 心配そうに尋ねる兄貴の声。ああ、そういう心配をしているのか。別にいいじゃん。弟が合コンに行ったって、女の子を紹介されたって。

 あんたは結婚するくせに。


 俺は深呼吸をした。


「…飲んでるだけ。変な遊びを教えられたりとか、ないよ。俺、原田さんが女連れで来たら帰るよ、多分。原田さんとはマジで酒飲んでるだけ。他に飲み友達いないから」

『…そっか』


 ホッとしたような声。


「…そんなに原田さんって派手に遊んでんの?」

 逆に聞いてみた。

『…いろんな合コンのメンバーに入っていて、会社の女の子とは全員知り合い。職場にもよく女性客がきて、…前の受付の子、お腹大きくなって、そのまま退職した』


 は?


 お腹大きくって…食べ過ぎとかじゃ無いよな、もちろん。


「それって…原田さんが相手なの?」

『ハッキリしない。でも二人は確かに仲が良かったんだ。噂が広がって、嘘だろって思って原田に聞いたら、どう思う?実はそうかもねって例の調子で』


 うわぁ…なんか、信じられないけど、『実はそうかもね』は目に浮かぶ。

「そ、その女の人、どうなったの?」

 原田さんのマンションに、女性はいなかったが。

『知らない。田舎に帰ったらしいって』

「……」

『だからさ、原田は友達としてすごく良い奴なんだけど、俺でさえ理解できないところがあって、でもまさかお前と仲良くなるなんて思ってなかったから…。だけど、紹介っていうか、最初に会わせたの俺だし、心配になって。…すまん』

 兄貴が珍しく一気にいっぱい喋った。でも気持ちはよく分かった。

「大丈夫。俺にとっても原田さんはすごく良い人だから。仕事の愚痴とか聞いてくれるし。それに、こっちから話振っても、女の人の話に乗ってくることも無い。…確かによく分からないとこあるけど、親切だし」

 そう言ったら、兄貴が『俺の知ってる原田と同じだ』と言った。

「大丈夫。なんかあったら自然と離れると思うよ」

『うん』

 そしてなんだかとても珍しく、俺が兄貴を励ますみたいな会話になっていた。

「俺、もう大人だぜ」

『…うん。そうだな』

 兄貴の声が和らいだ。

『でも、俺にとってヒロは、いつまでたっても弟だから』

「……」


 いつまでも。


 いつまでも、弟。


 …泣きそう。


『式、頼んどく』

「…うん」


 泣くな、俺。




 通話が切れて、ツーツーと電子音が鳴る。兄貴にとって俺はいつまでたっても弟だ。心配な弟。


 いつまでたっても。


 それが答えだし、それでいい。


 兄貴の結婚式は着々と近づいていた。


 

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