第16話 兄弟愛か甘えか

 急な異動でやってきた広報課に馴染めない。


 地方CMを打とうって話で盛り上がっている…はずなのだが、何故か自分だけ浮いている気がする。

 俺のスタンスは、基本CMには反対、でもやるって決まってしまってるんだったら全力でやろうっていうものだが、広報課の連中の態度は全く逆なのだ。


 つまり、上が言ってるからCMそのものには賛成してるけど、まあユルくやりましょうね(お花畑)、みたいなノリなのだ。


 そんなので大丈夫なんだろうか。

 しかしあちらが多数派で、会社自体もそういう態度を望んでいる。


 俺がギャーギャー言っていると、『そういうふうに苅田くんが頑張ってるから大丈夫だよね(お花畑)』みたいな空気になる。


 決して嫌われているとは思わないし、どっちかというと期待されている気がする。期待というか…やってくれる人がいて助かったな、っていう空気は感じる。

 でもさ、俺って元はといえばバイトで事務やっててただけのニートの若僧なんだぜ。あんたらみたいな『最初っから正社員』で就職活動の時から『広報やります!』って意気込んでた人たちと同列に見ないで欲しいんだけどなぁ…。


 総務が懐かしい。まだ一か月もたってないけど、帰りたい。

 荷物持ちでもお茶くみでも、なんでもしますから…。




 異動になってから生活リズムもなんだか崩れて、隣のあの人にもなかなか会うチャンスがない。

 病院を紹介してもらったお礼も言ってない。

 元気にしてるかな。

 部屋の音は聞こえてくるけど。


 兄貴も結婚してしまうし、あの人にばったり会ってちょっと話すっていうのが俺の癒しかと…。

 ん?

 今、兄貴を好きってだけなら『濃ゆいブラコン』だけど、無関係な隣の男の人を好きになったら『男の人が好きな人』だ。

 良いのかな。

 どうだろう。

 このままで良いのかな。悪くは無いけど、兄貴に似てるところを探しながら隣の人と接してウキウキしてる自分は、『兄貴からの脱却』から程遠い。


 頼むぜ、俺。


 原田さんだったら、こんな時、どうするのかな。女の子たちと遊ぶのだろうか。『女の子』と『遊ぶ』なんて、俺だったら悩みの種になりそうだけど、原田さんだったら飄々としていられそうだ。現に兄貴情報では女性関係が緩いそうだし。

 それで、一時的にでも寂しさから、逃れられるのだろうか。

 …いや、無意味なのかも知れない。

 なんとなく、時々寂しそうに見えた原田さんの様子を思い出す。

 人はどうあがいても完全に寂しい瞬間を消すことはできないんじゃないか。


 一人きり。

 誰かといる時も。


 いつか夜中に見たCMを思い出す。ウサギが友達を奪っていく、子供服のCM。CMではあのウサギは女の子だった。ただ遊んでばかりの子ども時代は終わりを告げて、異性との関わりの中でおしゃれを覚えていくことを暗示していると思っていたけど、実は違うのかも知れない。




 時間の感覚を失いながら仕事をして、ふらふらとアパートにたどり着く。あ、ビール買うの忘れた。今日はいいや、もういいや。


 部屋の鍵を開けようと鞄の中のゴソゴソやっていたとき、隣の部屋の扉が開いて人が出てきた。

 彼だ。

「今日は鍵、ある?」

 ニコニコ話しかけてきた。

「あ、あ、あ…あの」

 思ってもみなかった彼の登場に言葉が出てこない。 

「こんばんは」

 ニッコリと笑う彼だけが余裕だ。

「え、あの、こんばんは…じゃなくて、いや合ってて、じゃなくて、あの、病院、教えてくださってありがとうございました!」

 やっとのことそれだけ言ったら、彼は笑った。

「そんな前のこと」

「お礼言おうと思ってて、なかなか遭遇せず」

 遭遇って、宇宙人じゃないんだから、と彼が言う。

「…すいません」

「元気そうで良かった。で、鍵あるの?」

「はい、多分鞄の奥に落ちちゃってるだけです」

「そう、良かった。じゃあね」


 どこ行くんだろ。そう思って腕時計を確かめたら十一時を過ぎていた。


「じゃあ」

「おやすみ」

 これから出かける人に言われる『おやすみ』って、お子ちゃま扱いされた気になる。でもそれがまた兄貴っぽくてクラッとする。


「…おやすみなさい」


 去りゆく背中にそっと告げる。やっぱ…好きかもしれない。ドキドキしている。ハッキリ言って兄貴よりカッコいい。俺やっぱ男の人のほうが良いのかな。

 まだ自分のことが分からない。

 でも、あの後姿ってずっと見ていたくなるんだ。背が高くて、ちょっと猫背気味で。


 ダメダメ、久ぶりに会ったから、なんか興奮しているだけだ。好きとか、そいうんじゃない。違う。


 でも、ドキドキする。


 最近女の人にドキドキしてないんじゃないか。

 思い出せ思い出せ。


 ……。


 あ、そういやこないだ電車で、同世代の女の人がウトウトしてて、ちょっと胸元が見えそうになっていて、…あれはちょっとドキドキしたかな。


 …かな。


 ドキドキっていうより、ハラハラした…かな。

 見えますよー、起きてーって、そういう気持ちの方が強かった…かもしれない。

 じゃあ、じゃあさ、あの人の、あの隣の彼が服を脱いだところは見たいか。

 いや、それもやっぱり興味ない。でも、ぎゅっと抱きしめられたいかと聞かれたら、それはちょっと興味ある。以前は無かったけど、今はその気持ちが出てきている。

 甘えたいのかな、俺。

 相手が女の人でも良いから、ぎゅっと抱っこしてもらうとか。

 …それって赤ちゃん願望?

 なんか違うな。

 何だろう。ああ、もう何が何だかわからん。


 






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