第17話 要注意人物
親の選んだ似合わない黒いスーツに地味なネクタイ。沈んだ心に偽物の笑顔。
数十人集まった客の顔も、誰も目に入らない。心がすっかり閉じてしまっている。
タキシード姿の兄貴、ウエディングドレスを着た花嫁。
夜中に見たCMを思い出す。一緒に遊んでいた兄貴をウサギに持っていかれるんだ。
いや、いいんだ。
結局世間って、そういう認識なんだろ?
…兄貴にだって奥さんが必要だ。
でもさ、兄貴が結婚したところで俺たちが兄弟ってことに変わりはない。
兄貴は俺の大事な兄貴だし、多分俺は兄貴の大事な弟のはずだ。それは生涯変わることはない。
そうだ、あの人は離婚したりして兄貴と無関係になる可能性があるけど、俺らが兄弟じゃなくなる可能性はない。
うん、だから俺の方がハッピーだ。
俺のほうが、今日もハッピーだ。
…わかるか、あの人より俺の方がハッピーなんだぞ。
ダメだ、ウエディングドレス着て満面の笑みを浮かべている人より自分の方がハッピーだなんて、どんなに言い聞かせようとしても言い聞かせきれない。
ふぅ…。
しんどいなぁ。
いやいや、笑顔笑顔。作り物でいいんだから。
はぁ…。
数秒おきに心を建て直し、虚ろな目で世界を見る。
いいや、何も見えていない。
兄貴以外は。
やっぱり好きだ。誰にも渡したくは無かった。
「ヒロくん、ヒロヒコくん」
誰かに名前を呼ばれてハッとした。
目の前に、原田さんがいた。
「似合うね」
笑顔。
似合う?この黒い礼服が?
心はお葬式だけど、似合うって?
複雑な思いがぐるぐる巡る。
でも、原田さんは俺を弟のように可愛がってくれている。珍しい格好の俺を見て、本当に似合うと思って言ってくれてるのだろう。
「…なんか、着慣れなくて」
へへ、と愛想笑いをした。
原田さんが顔を寄せた。
「ストイックさってセクシーだと思わない?今日の広彦くんって、なんか、そんな感じ」
内緒話風にそう言う。
「何言ってんですか」
馬鹿だなぁ、原田さんは。本当にこの人って意味のわからないことを平気で言う。本気っぽく。
そして、不意をつくようなことも言う。
「まあ、2時間くらいかな。辛いだろうけど、頑張って」
そう言われた時、内心『え?』と驚いた。
「今日は俺、職場の人たちと二次会も出なきゃいけないから、すぐ話も聞いてあげられないけど、また近いうちに連絡するから。必ず」
じゃ、と爽やかに去っていく。
…どういうこと?
バレてる?
いや、単に『花婿の弟ってダルいよね』程度の声かけ?
それにしたって…妙だ。俺の気持ちを見透かしているような原田さんの態度。
…俺、酔ってなんかバラシちゃったんじゃないだろうか。
なんかそのことが気にかかって、式の間、原田さんの席の方ばかり見ていた。
原田さんは何をどこまで気付いているんだろう。
あの胡散臭い爽やかな笑顔からは、絶妙な浅はかさしか感じられないのに。
何を、知ってる?
モヤモヤした。式の間中。
お色直しだとかキャンドルサービスだとか、新婦の感動のお手紙とか、通り一遍の儀式を終えて、式が解散になっても、俺はずっと思い出そうとしていた。
彼にこれまで、何を聞かれ何を話したのか。
でも、何も思い出せない。
酔ってないときにも、それらしき話をしたことがない。
やっぱり、気のせいだろうか。
そうして、式の間中考えていて、兄貴の結婚という名の感傷に浸る隙は無かった。
ロビーでネクタイを緩め、暗くなった外の景色を眺めた。
二時間考えたけど…何も分からなかった。
新郎の友人席の原田さんは、一度もこちらを見ることが無かった。
そして、酔って何か言ってしまっていたとしても、どうでもいいや、という結論が出た。
原田さんが何か聞いて知っていたとしても…困らないな。
なんか、あの人ってそういう人だ。口が硬いことが信用できる、とかそういうことじゃなくて、とにかく害のあることをしない気がするのだ。
俺の変な部分を知っても、変だと思ってなくて、わざわざ誰かに言いそうにもない。
…あの人も、十分変だし。
うん。
まあ、いいか。
今日は兄貴の結婚式だから、普通に悲しみにでも浸るか。
帰ったら…一人で飲もう。二人の誓った永遠の愛に乾杯だ。
親族の控室で着替えるか、もうこのまま帰るか…。
もやもやしていたら、「ねえ、きみ」と、また誰かが俺に声をかけてきた。
「はい?」
振り返ったら、彼が立っていた。
「え?」
彼だ。
隣の…彼だ。
「…なんで…?」
俺はそれだけ言うのがやっとだった。彼は『やっぱり君か』と言って笑った。
「君、苅田の弟だったんだ」
「そ、そうですけど…」
「俺に気付いてなかった?こっちは式の間中ずっと気になって見てたんだけど。気付いてなかったんだったら、声かけずに帰ればよかった」
どういうこと?
首を傾げた。
「俺、あそこに住んでること誰にも言ってないから、口止めに来たんだ」
「あの、なんで、どうして」
ハトが豆鉄砲喰らう…とは、このことだ。俺が頭の中をまとめられずにいるのに、彼は平然としている。
「もう帰る?こっそり地下駐車場来てくれたら送るよ。隣のよしみで」
それは助かるけれども。
「あの、あなたは、兄貴の、お知り合いですか」
「うん。今一緒に仕事してる」
「え?ほんとに?」
窓際で二人でそんな会話をしていたら、原田さんが突撃してきた。
「栗栖さん、弟くん口説いちゃダメですよ」
栗栖さんっていうのか。
「男の子は口説かないだろう」
栗栖さんが反論し、原田さんが眉を歪めた。
「本当かなぁ…」
原田さんが疑わしげに彼を見る。
栗栖さんは『何だよ』と笑いながら原田さんの視線を逃れて歩き出した。
「じゃあね、弟くん」
去っていく。『じゃあね』っていうのは、『じゃあ、さようなら』なのか『じゃあ地下駐車場で待ってる』なのか。
どっちかな、と迷っていたら、栗栖さんがエレベーターに乗るときにチラリとこちらを見た。
後者だな…。
少ししたら地下駐車場へ向かおう。
「何喋ってたの」
原田さんが俺に聞く。
「…きみは苅田の弟か、って」
「ふーん」
「あの人、会社の方ですか」
逆に聞いてみた。
「いや、別の会社だけど、組んで仕事をすることが多いんだ。なんとなく貴彦に似てるってみんな言ってて…」
そう言ってから、原田さんはハッとしたように俺を見た。
「広彦くんも…似てると思った?」
「いえ…思いません」
とっさに、嘘を言ってしまった。俺の言葉を信じたかどうか、原田さんの表情は読めない。
「…そう…。うん、顔は似てないよね…。でも、雰囲気とか、後姿とか、何って言うのか…確かに似てる時があって」
栗栖さんが乗ったエレベーターの扉を、原田さんは見つめた。
「…そうですか…」
「いい人だけど、俺は要注意人物とみているよ」
エレベーターホールに、もちろん彼の姿は無いのだが。
「要注意人物?それはどういう」
「何だろうな。とりあえず広彦くんのこと、ちゃっかりナンパしてたしね。目の付け所は良いけど、抜け目ないよね」
「何言ってんですか」
「俺は人のこと、めったにこんなふうに言わないよ。でもこの勘は正しいと思う」
珍しく爽やか笑顔を封印し、真剣な様子の原田さんは少しハンサムに見えた。
「ナンパじゃ無いですよ。何言ってるんですか、ほんとに」
呆れて俺は言った。原田さんが表情を崩して、ごめんごめんと笑った。
「まあとにかく二次会に行ってくるよ。日を改めて連絡するから。次はちょっと良い店行こう」
原田さんの言う『良い店』が、正直怖い。
「いいですよ、良い店じゃなくて。原田さんが来てくれたら」
どうせ酔って愚痴言って甘えるだけだ。本当にそう思って言ったんだけど、原田さんは『お世辞でも嬉しいこと言ってくれるね』と言ってニヤリと笑って去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます