第38話 優しい

 兄貴と俺を切り離してコンタクトしてきたのは原田さんだったな。

『広彦くん』

 って、声をかけてきて。


 あれからどのくらい過ぎただろう。

 声をかけてもらったあの日から。

 


 原田さんとの真の出会いは、俺が一人になった時に追いかけてきてくれて『広彦くん』と声をかけてくれた時。

 あの瞬間から、原田さんは「兄貴の同僚」ではなくて、「意図を持って俺に声をかけてきた人」になった。

 兄貴を介さない兄貴の知人。

 

 どうしてみんな兄貴を避けて俺に話しかけてくるのかな。

 兄貴はガードが固く、俺は隙だらけと思われてるのかなと思う。



 苅田くんの弟。

 今日は、そう呼ばれて振り返った。

 有子さんがいた。

「一つだけ訊きたいことがあって、戻ってきたの」

 彼女は俺に、いきなりそう言った。

 一つだけ。

「…はい」

 頷いた。

 

 俺も聞きたいことがあった。

「場所、移りますか」

 そう言ったら、彼女は少し躊躇った様子を見せた。

「本当に一つだけだし、簡単なことなの」

 そう。

 簡単なこと。この場で済むようなこと。でも、兄貴がいる時には言い出せなかったこと。それは何だろう。


「じゃあ…俺も、訊きたいことがあるんですけど、教えてくれますか?」

 彼女はおや?と片眉をあげた。

「…いいわよ。お先にどうぞ」

 お先にどうぞ、ときた。

 仕方ない、訊こう。


「原田さんは何の病気で、いつ退院するのか知ってますか」


 質問に、彼女の目が泳いだ。


「それは、本人から聞いて」

「兄貴にもそう言われたから、俺、何も知らずに見舞いに来ることになったんです。でも、会えなかったので…結局、分からなかった」

 そう説明したら、有子さんは少し気の毒そうな顔をした。

「じゃあ…。少しだけ」

「はい」

「多分、退院まで半年くらいかかると思う。でもそれまでにお見舞いに来るチャンスはあるはず。体調の良い時もあるし、必ず会えるはずだから、病名は…やっぱり本人から聞いてほしい」

 半年…。そんなに。

「ここまでしか言えないけど」

 有子さんがこちらの様子を伺う。

 俺は頷いた。

「さっきまでよりはマシです。ありがとうございます。で、そちらの質問は」

 促すと、彼女はじっとこちらを見上げた。

「さらっと聞いて、軽く答えて欲しい」

「そんなこと言うと、何か勘繰ってしまいますよ」

「そうかも知れないけど、でも、あなたが勘繰るよりも、たいして私が何も考えずに質問していると思って欲しい」

「…?」

 どういうことだろう。

「ええっと、いまいち意図が掴めないですけど、まあ質問してください」

「うん。気にしないで、単純に教えて。私が訊きたいのはその、セーターのこと」

 意外な角度からの質問だった。

「セーター?」

「それは、原田くんから貰ったか。原田くんが選んだか。それともあなたの趣味か。それだけ知りたい」


 それを訊くという事は、彼が好きな色を知っているという事か。

 部屋に入ったことがある…?

 いや…。


 何も考えず、さらっと、軽く。

 うん。


「原田さんに、貰いました」


 俺の返事を、彼女はじっと聞き取っていた。

「…そう」

 硬い表情が、ほんの少し緩んだように見えた。

「ありがとう。それだけ」

 そう言って、頭を下げて歩き出そうとした。

 おいおい。

「どういうことですか」

 俺は追いかけて、彼女の進路に回り込んだ。お互いに足を止めて表情を伺う。

「その質問って」

「だから何も考えずにいて」

「いや、でも、だって」

「あとは原田くんやあなたのプライバシーの問題でもあるし、私はそこまで聞くつもりはない」

 何?原田さんと俺のプライバシー?

「それって、セーターの遣り取りに、原田さんの好意があるっていう勘繰りですか」

 ストレートに確認した。有子さんは肯定も否定もせず、じっとこちらを見つめた。

「勘繰りとかもないわ。意図は無い」

「これはただ、俺が酔って泊めてもらった時に、朝あんまり俺が汚らしいからって貸してくれたセーターで、そのままくれるって言うから貰った物なんです。特に意味はない」

 付け足した。

 彼女は頷いた。

「分かった」

 分かってない。

「原田さんは、好きな色だけど自分には似合わないからって」

 分かってない。

 原田さんは俺のこと、何とも思ってない。

 セーターをくれたけど、確かに気にかけてくれていたけど、それは恋愛感情じゃ無い。

「原田さんは優しい。誰にでも。俺にだけ親切にしてたわけじゃ無い。原田さんって、そういう人でしょ?」

 俺がそう話す間、有子さんはただじっとこちらを見つめていた。

「…どうしてそんなに必死なの?」

 必死?

「いや、別に、俺は」

 俺は、何?

 胸に手をあててみた。セーターに。

 原田さんの気持ち、知らないから。

 多分、有子さんは、いろんな原田さんを知ってるよね。

 羨ましい。

「俺、原田さんのことほとんど知らなくて」

 素直に、そう言ってみた。

「あなたは…お付き合い、されてたんでしょう?」

 気持ちを切り替えて、訊いてみる。

 有子さんは首を横に振った。

「いいえ」

「でも」

「原田くんは誰にでも優しい。そうでしょ。わたしにもそうだった、というだけ」

「……」

「付き合ったことは無い。過去も現在も。誤解しないで」

 何故か有子さんも必死に弁明しているように見えた。

「じゃあ何でお見舞いに来るんですか」

「付き合ったりしていないけど、大切な人ではあるから」

「大切な人?」

 有子さんは頷いた。

「私がすごく困っていた時に、彼のできる全力で、助けようとしてくれたから」


 彼のできる全力。


 それはどんな事だったんだろう。

「それは」

「それ以上は言えない」

「でも」

 聞きたかったけど、彼女の空気感がこれ以上の質問を拒んでいた。

 それに、原田さんのできる全力で、この人を助けようとしたのだと思うと、羨ましくて、悔しくて、言葉が出てこなくなってしまった。

 泣きそう。

 俯いた。


 


 





 

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