第40話 奈落

 嘘だろって言われたけど、二人でコンビニに歩いて行った。

 ビールを二本買う。

「俺のおごり」

 そう言って、栗栖さんに一本手渡したら、栗栖さんは困ったような笑顔を浮かべた。

「君ねえ…」

 そう言ってため息をつく。

 どこかに飲みに行きたかった、かな。

 だろうね。

 でも、いやいや、だって、俺と栗栖さんの出会いとその後の関係性って、これでしょ。

 これがスタートでしょ。


 コンビニをを出た。


 缶ビールと、空にぼんやり光っている月。

 これこそが、俺と栗栖さんじゃないだろうか。


「三か月間、ホテル住まいですか?」

 訊きながらプルトップを引き上げた。栗栖さんも自然と同じように缶ビールを開ける。乾杯のポーズでお互い視線が絡む。出会った頃ならドキドキしただろう。今も少しドキドキするけど、あの頃とは違う。

 なんか、色々、変わった。

 変わったんだ、俺。

「ホテル借りるほどリッチじゃないよ。マンスリーマンション一室借りてる。他のスタッフも泊まることがあるかも。雑魚寝」

 結構過酷。

「大変そう」

「まあね。でもさ、やってることはだいたい好きなことだから」

「そっか」

 いいな、それって。

「好きなことで没頭して頑張れるのって良いですね」

 なんか、学生みたいな感じ…?

「うん。でも、広彦君も、そうじゃない?」

「そう…かな」

 どうだろう。わかんないや。

 首を傾げて考えていたら、栗栖さんが笑った。

「広告の仕事、すごく楽しそうに見えるけどね」

「苦手なこともいっぱいありますよ」

「苦手なこと?そんなもんでしょ。苦手なことクリアしながら好きなこと、どんどん前に進めるのがさ、面白いじゃん。これぞ『仕事』っていうか。プロジェクトって、何でもそういうもんじゃない?そこに達成感があるし、ゲーム性を感じるというか」

 前向きだなぁ。だから経営とか大家とか、やっていけるんだろうな。

「まあ、こういう性格だし。何でも面白がってしまう。トラブルとかも『よし、やろう』ってなっちゃう。そういうフェチかも」

 なるほど。

「フェチっていうか、Mですね」

 そう返すと、栗栖さんはフフフと笑った。

「Mかもね。だからさ、広彦くんとすんなり進めないのも、大丈夫。頑張れる」

 おやおや。爽やかに話題をすり替えてきた。

「俺はSでもないし、ゲームでも無いですよ」

 言い返す。

「もちろん」

 もちろん、と返した栗栖さんの表情は、なんとも言えないフワッとした笑みのようなもので、これは兄貴には無いと言うか、他の誰にも無い独特の空気感だった。

 やっぱ、かっこいいな。この人の雰囲気は、とても良い。

 他に好きな人がいて、別の人にこういう事を思うのは浮気な事なんだろうか。いや、内心の自由か。

 少し、思ってみただけ。

 ダメかな、別にいいかな、そんな事をぐるぐると考える。黙ってしまった俺の顔を栗栖さんが少し覗き込んだ。

「どうしたの」

「いえ、何も」

 何も。

 栗栖さんって、独特の雰囲気ありますよね。人たらし成分と孤独っぽさが合わさった、凄く独特の。

 いや、今は面と向かって彼を褒めてはいけないんだろうな。

「広彦くんって、捉えどころないよね」

 そうかな。

「栗栖さんこそ、3か月も暮らしていたら新たな出会いがあったりしてね」

 ありそう。モテそう。前向きで良い人だし。

「無いよ、無い」

「そう?」

「うん。それに出会いがあったとしても俺、そんなに惚れっぽくないのよ」

 栗栖さんがそんなことを言う。

「ほんと?」

 想われても、いかないってことか。本当か。

 そう思ってチラチラ顔を見た。雰囲気兄貴に似てる。でももっとシュッとしてる。

「あんまり見ないでくれよ」

 栗栖さんがこちらの視線に気付いて言った。

「惚れっぽくないんだ」

「疑ってんの?」

 だって俺に結構グイグイきたじゃん。

「…いや、まあ」

 ゴニョゴニョと誤魔化す。

「ははは。疑われても。でも本当に俺、すごい慎重よ」

 そうなの?

 いまいち信用できないなと思いながら視線を落とす。

「あのさ」

 不意に、栗栖さんがこちらを見た。

「結構、スローペースなんだよ、俺はさ。でも広彦くんの事は、なんか、坂を転げ落ちるようで。なんか」

 そんな、ドキッとするようなことを言う。ドキッとしたけど、気付かれちゃいけない気がして、茶化した。

「転げ落ちるって…蟻地獄みたいな言い方、やめてくださいよ」

「ああ、蟻地獄って、なんかしっくりくるね。広彦くんは蟻地獄だね」

「違いますって」

「じゃあ、ブラックホール?」

「宇宙ごと吸い込んでませんって」


 栗栖さんが歩き出した。

「まあ、みんな誰かのブラックホールなんだろうけど」

 吸い込まれる。

 兄貴を思い出した。

 ずっと、吸い込まれるように、兄貴だけを想っていた。

 蟻地獄かブラックホールか。

 どっちでもいいけど。

 想うことが喜びであり苦しみだった。

 俺にとっては、それが兄貴だった。

「ブラックホールみたいな人とはうまく行かない気がします」

 呟いた。

 近づき過ぎると飲み込まれてしまう。

 救い出してくれたのは、あの人だ。

 原田さんだった。

 月を見上げる。体調、どうなんだろう。会えないのが辛い。

「好きな人できた?」

 おもむろに、栗栖さんが尋ねてきた。

「え?」

「いや、できたっていうか前からいたよね、そういう人。実は進展した?」

「……」

 黙ってしまう。

 兄貴が好きで、でも今は違って。

「なんか雰囲気変わったって思ってた」

 そうかな。

「いいけどね、別に。俺は待つから」

「待つって」

 俺は眉を顰めた。待って欲しくは無い。栗栖さんが隣でハハハと笑った。

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自分でも変だと思うんだ 石井 至 @rk5

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