第30話 お前がいい
原田さんと飲んでた頃は結構来てた駅近くの本屋さんでで兄貴と待ち合わせをした。音楽プレイヤーやCDなども置いている大きな本屋さんで、物珍しくてウロウロしてみる。
最近はCM撮影の影響で、効果音的な音楽とか、クラッシックとか、そういうのを山ほど聴いていた。だからなんだか世の中の流行りの音楽についていけてない。メインの通路で流れるポップスが聴き慣れず、異空間に来たようで心許ない。ぼーっと店内を歩いて派手なポスターに目を遣りつつ、好きなデザインのジャケットに見惚れたりして時間を潰す。
気が付くとヒーリングコーナーに立っていた。俺。疲れてんのかな。
「お前、疲れてんの?」
急に声をかけられて飛び上がる。
振り返ったら兄貴がいた。
複雑な、複雑な心境。
この人は俺の兄貴で、こないだ結婚したばっかりで、でもやっぱ好きだ。
でもなんとなく、もうそんなふうに好きでいることや、気持ちが激しく動かされることに疲れてきている自分がいる。
俺と兄貴だけの世界がいつまでも続くと思っていたけどそうじゃなかった。
どうしてこの人を好きになったか思い出せない。
物心ついたときから側にいた。
小さい時から近所でも身体が大きくて、子どものクセにみんなの中でお父さんみたいなポジションで、チビの俺をいつも助けてくれた。
「うん、ちょっと疲れた。でもしんどい時間は過ぎた」
仕事は、多分そうだと思う。
でも、俺の人生は?俺の人生の『しんどい時間』は?
「そっか。まあ、色々あるよな」
兄貴はそう言いながら、CDを手に取ったり、元の場所に戻したりした。
「なんか買う?」
訊いたら、『いいや』と言うので、俺も、と返事をした。その流れでなんとなく一緒にショップを出る。
「この辺り、あんまり来たことない?」
並んで歩く。
「いや、原田さんと飲んでたから」
顔を合わせるでもなく歩く。
「ああ、そっか」
原田さん、元気?って、訊いてみたかったけどなんとなくやめた。
「店、俺決めてもいい?」
兄貴がそう言って、チラッと俺を見た。頷きながら『まかせる』と返事をした。
…そういや、なんの話をするつもりだろう。
自分のことでいっぱい過ぎて、それをあまり考えていなかった。
探りを入れるのも面倒だから、ストレートに行こう。
「兄貴…用はなんなの」
「それは…ヒロに美味い物食わせて、断りにくくしてから言う」
…ふーん、なんか頼みごとがあるんだ。
「俺なんかに、できること?」
率直な感想だ。そうしたら、兄貴から意外な返事が返ってきた。
「お前がいいんだ」
なんって言った?
もう一回言って。
兄貴を想うことに疲れたと思っていたけど、急に胸がザワザワし始めた。
『お前がいい』なんて、ときめくじゃないか。
…わざと言ってんのか?
なワケ無いけど。
顔がニヤケないよう気をつけながら、ご機嫌でついていったら、兄貴は回転しない寿司屋に入って行った。
…まじ、なに?
俺に何を頼もうとしたら寿司屋になるの。
怖いよ。
兄貴と2人、カウンターに並んで座っている。表情が見えない。
「ねえ、俺に寿司を奢ったって、俺は断るときは断るよ。なんなの」
店に入って二十分経っても兄貴が頼みごとを言いださないので、俺はしびれを切らして言った。
「うーん」
それでも兄貴は言い淀んでいる。ちょっと苦しんでいる兄貴が可愛らしく見えなくもないけど。
「あと、頼まないとイエスもノーも言えないです」
「…まあ、そうだな」
やっとちょっと話す気になったらしい。顔を見たら、本当に悩んでいる表情をしていた。
「あのさ…」
「…うん」
兄貴が何を言おうとしているか、本当に全く見当がつかない。結婚は勝手にさっさとしちゃったくせに、今さら俺に何を頼もうっていうんだろう。
「これはお前の人生に関わることだからよく考えてから決めて欲しいんだけど」
「…うん」
ん?人生?
一瞬『ヨメは捨てる。俺と2人で海外で暮らそう』的なメルヘンが頭の中をよぎったけど、そんなわけないや。
何を言いだすんだろうな。
何?
じっと見上げてみる。
栗栖さんにちょっと似ている横顔。兄貴の方が男っぽいというか、骨格がガッシリした感じだ。
「だからもちろん、断ってくれて構わないんだが、できれば断らないでもらいたい。いや、でも…」
こんなモジモジした兄貴は珍しい。
「とにかく、俺が決めなきゃいけないことなんだろ。もう言えって」
本当に最近、骨身に染みている。大人になったら、なんでも自分で決めなきゃいけないんだなって。っていうか、なんでも自分で決めて、決めただけの責任を取って生きていくのが大人なんだなって思う。
俺が開き直ったように言い放ったので、兄貴も覚悟ができたようだ。肩をぐっとこっちに向けてきた。
「今の職場、辞めて俺と仕事しないか」
「え?」
……。
「えええッ!」
兄貴、独立するってこと?
目で訊いたら、そうだ、と頷きが返ってきた。
そ、それ、こんな職場の近くで話していいの?誰か聞いてない?
そう思ってキョロキョロしていたら、『大丈夫だ』と言われた。
…頭の中、読まれてるぞ。
「なんで」
なんで、俺?
「よってけの、ヒロの広告のセンスが好きだってことと、あと社交性。どうしても必要だと思ってる」
よってけの広告センス?なんで知ってんの。原田さんから聞いたのか。それとも別の方法で調べたのか…。
あと社交性って言った?
そんなの無いよ!
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