第3話 傷に塩

 隣の部屋に、兄貴に似た人が住んでいる。


 似た人っていっても、しぐさだけ。背が高いところも似ているが、兄貴はもっと横幅がある。ずんぐりしているというか。隣の人はもうちょっと痩せていた。一般的な感覚だと、スタイルは隣の人の方がいいと思う。

 顔も似ていなかった。二人とも眼鏡をかけているけれど、兄貴の方が濃い顔をしているように思う。兄貴の方が彫が深くて暑苦しい感じ。ズバリ夏にはモテないよ風味。

 あの人は夏でもモテるかな。どうかな。

 彼女いるのかな。

 部屋に女の人来てるの見たことない。気配も無い。から、いないかもしれない。独り身の人だろうか。


 兄貴は…結婚する。


 あの人は、兄貴には似てない。


 でもなんだか空気感が近い。


 猫背の具合が似てる。

 なんの気なし、の会釈も似てる。

 ほんの少し頬の端ににじむ笑顔が似てる。

 そのあとの素っ気なさも似てる。


 似てる。




 隣の部屋に兄貴に似た人が住んでいるようだ…と思うことは、俺の生活にほんの少し刺激を与えてくれた。

 意識し出したら、なんだか出くわす回数も増えた。

 …いや、違うな。

 いままでも出くわしてたんだろうな。

 ただ、俺が意識して姿を探すようになっただけ。

 最初は「本当に兄貴に似てるかな?」って確認のためにチラ見してて、最近は「今日も元気かな」とか「毎日何をやってるのかな」とか思うようになってきた。

 二、三日に一回、目が合って会釈する。

 お互い、いつも一人だ。

 年齢的に学生じゃないとは思うけど、でも社会人っぽい服装は見たことがない。ヨレたシャツにチノパンなどを着ていた。

 声をかけるほどの勇気は無かった。ただ時々見るだけで、それで良かった。兄貴に似た人がこの世に存在すると思うだけで、気持ちの逃げ場ができたのだ。そんな人、たくさんいるかもしれないし、とか何とか思えるだけでも切羽詰まった感が和らいだ。




 地元情報誌の事務屋というか「なんでも屋」兼、広告取り。それが俺の今の仕事で、アルバイトからめでたく正職員として雇ってもらって一年以上になる。

「苅田くん、CMやってみない?」

 肩にポン、と手を置かれて飛び上がった。

 それから「は?」と聞き返した。

 俺の後ろに、広報課長の松本さんが立っていた。

「『よってけ』のテレビCMなんだけどさ、うちで作ってみようかって話が出てる。やってみないか」

 よってけ、というのは、うちの会社で作っている地元専門誌だ。

「CM流すんですか」

 意外だった。

 正直、『よってけ』はこの辺りのコンビニには必ず置いてあって、知らない者はないという商品だ。なんで広告打つんだ。

 それに、俺は総務課の人間で、仕事は基本「事務」、あとちょっとだけ「広告取りの営業」…なんだけど。

 キョトンとしていると、松本さんが「くくく」と笑った。

「苅田くん、最近企業広告の写真撮ってあげたり、キャッチコピー考えてあげたりしてるんでしょ」

「ええ、まあ。それだったら広告載せてもいいですよって言うから」

「ここ二、三か月じゃない?」

「まあ…。はい」

 松本さんの言うとおり、俺は新規広告を取りに行って、頼まれた写真やコピーは一緒に考えたり、候補を何個か作ってあげたりしていた。

「最近『よってけ』の感じが変わった気がしてたんだよ。広告の写真が良くなったし、コピーも端的なのが増えた。どうしてかなと思ったら、どうやら苅田くんが原因らしいと分かってきたんで」

 そんな大層な…。

「写真を撮るのとCMじゃあ、全然違いますよ。第一、俺はただの事務屋だし」

 俺は正論を述べたが、松本さんはニコニコ笑顔でそれを流してしまった。

「きみのところの大谷課長に打診したら、あっさりOKくれたよ」

 そう言われて、チラッと数メートル先の大谷さんに目をやった。彼もこっちを気にして見ていたようで、すぐに目が合った。

 へへへっと、大谷さんは笑った。これは彼の癖だ。どういうつもりかは全く分からない。頑張れよ、なのか忙しいのにすまんね、なのか。

「いや、無理です。困ります」

 俺ははっきり断った。アルバイトあがりの、なんとか正社員…程度の俺が、こんなにハッキリ仕事を断るなんていけないことなのだろうけど、それでもキッチリ断った。

 地方版であってもCMを作るということが、とても畏れ多い気がしたからだった。

 それは、…兄貴の管轄だから。

「業者に依頼しちゃだめなんですか」

「依頼するほどは経費がね…。いくら地元オンリーでもテレビのCM打つわけだから、広告料だけでも馬鹿にならないしね。社内で作るんだったらなんとか社長のOKもらえそうなんだけどな」

 松本さんが「ね?」とお願いしてくる。俺は反論した。

「でも、『よってけ』は広告する必要ないくらい、地元に浸透してますよ」

「まあ、そうだけどさ」

 ややふわふわした松本さんの話。うまく断れない俺。結局俺はこうやって、この会社で『なんでも屋』になっちゃうんだろうな…。


 まあ考えといてよ、なんて言われて小さく頭を下げる。CMなんて無理だ。数万円程度の小さい広告スペースの、あたりさわりのないコピーを考えるだけで俺の領域は終わっているのだ。



 無理難題を突き付けられた夜、タイムリーに兄貴から電話があった。

『明日、メシ行こうよ』

「え?」

 二人で?と思った俺の淡すぎる期待は見事に裏切られた。

『メンツは俺とお前と、それから嫁さんと、俺の職場の同僚』

 嫁さん、という言葉にガツンと衝撃を受ける。電話の向こうの兄貴は、そんなこと知らずに話し続ける。

『といってもダブルデートとかじゃなくって。俺の同僚ってのが残念ながら男で』

 いいよいいよ、女の子なんていらない。どうせ興味湧かないよ。兄貴に気を取られ過ぎるし。

 なんて考えてから、まてよ、と立ち止まる。

 女の子に、興味湧かないのはまずいな。

「え~、女の子にしてよ」

 そう、言ってみる。言ってみて、俺らしくない気がした。兄貴も妙に感じたのか、数秒間の沈黙があった。

『…ホントに彼女いないのか』

 そんなの、兄貴と喋ったことない話題だな、と思いながら「二年」と答えた。

 兄貴が、電話の向こうで『それはそれは』と呟いた。

「別に良いだろ」

『いや、すまん』

 …そっか、兄貴って、なんだかんだ言いながらずっと彼女がいたのかも知れないな…なんて考えながら、「わかった、行くよ」と返事をした。どうせもうガッツリ傷ついているのだから、そこへ塩を塗りこまれようが辛子を振り掛けられようが平気だ。


 というか、早く目を覚ませよ、俺。




 

 

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