第23話 ずっと一緒にいたくても
約束の日。
待ち合わせ場所で原田さんが待っている姿を見たら、奇妙に懐かしい感じがした。
遠くから見る原田さんはいつも通りスタイルが良く、近づくと笑顔が爽やかすぎて嘘くさい。
笑ってしまう。
「楽しそうだね」
原田さんの顔を見たからね。なんでそんなに嘘っぽいの。
「元気だった?」
「ええ、まあ」
促されて、歩き出す。
俺、この人の忠告も聞かずに栗栖さんとキスしちゃったんだな…と、少し後ろめたい気がしたりもする。
ごめんね原田さん。弟にしたいって言ってくれてた「広彦くん」は、もうあの頃の「広彦くん」では無いかもです…などと心の中で恐縮しながら並んで歩く。
「忙しそうだね」
「はい。でも、なんか仕事が良い感じに回りだして、だから忙しいけど、そこそこ元気です」
「そっか。良かったね」
「原田さんは?」
「俺?俺はいつもフツー」
世間話をしているうちに原田さん指定のイタリアンに到着した。俺にはあまりにも似合わないオシャレな雰囲気に少し緊張しながら、原田さんの後を付いていく。
個室…とまではいかないけど、ついたてのあるブースに通された。少しホッとする。
そこから、更に炭酸系の食前酒が入ると、何だか一気に寛いだムードに変わった。
「今日は奢るからね」
と言われ、素直に頷いた。
少しずつ運ばれてくる料理。目の前に並んでいるそれらの食事は、金額の見当がつかないほど綺麗に盛り付けられていて、俺に払えるかさえ分からない。
「広彦くんの仕事のブルーは解消、かな」
「完全に解消したわけじゃ無いですが、まあ」
「異動先の職場の人とも打ち解けたんだね」
「ええ…」
ひょんなことから。
「じゃあ、愚痴聞き役の俺はお役御免だね」
原田さん、笑顔のままでそんなことを言う。
「ははは。そうかも」
その冗談に乗っかって、そう返事をしたら、原田さんは笑顔のまま『冷たいなぁ』と言った。
「冗談ですって。俺、原田さん以外に飲み仲間がいないですもん。愚痴があっても無くても、多分こうやって一緒に飲んでますよ、ずっと」
フォローしてみた。原田さんが目を伏せた。
「…広彦くん、いい子だから、これからまた職場の人ともっと仲良くなるよ…。その新しい課長?なんかいい人そうだし。俺なんかと飲んでないで、ちゃんとそういう人たちと仲良くなって、遊ぶんだよ」
どうしたんだろう、大人みたいなこと言って…。
元気、ないのかな。
「原田さん、女の人となんかあった?」
ちょっと、訊いてみた。
「あるよ。ありまくり」
いつも通り言葉が軽すぎて、状況が掴めない。
「お役御免?」
「そう。お役御免。いつもお役御免」
食後に原田さんが頼んだワインを、俺は彼のグラスに注いだ。
「いいじゃん、俺なんか『出会い』も『お役』も『御免』もないよ」
これは本音だ。最近女の子と新たに出会ってない。
原田さんがグラスを傾ける。こんなの彼には水みたいなものだろうと思うけど、でも今日の原田さんは、少し酔っているように見える。
「出会い、ないの?」
原田さんが訊いてきた。
「うん。全然」
「ふーん。…広告取りに行った先の店員さんとかバイトの子には声かけてなかったの?」
「いちいち声かけないよ」
そんなことするの原田さんだけじゃない?と言ったら原田さんは『そうだね、俺はかわいい子には声をかけちゃうね』と言った。
「…声かけるって、どういうふうに?」
「そこのお店に行った時は必ず挨拶する。ちょっと手を振ったり、特別感出して。そうするうちに顔見知りになるから」
「…で?」
「仕事で役に立つように頑張るね。ちょっと困ってそうな時に声かけて、助けたりして。そうこうしているうちに、メアドとか聞けたりして」
「…で?」
「連絡して、そのうちお食事しましょうって」
「…で?」
「ま、食事は行くよね。それから、まあ…いろいろあって、最後はお役御免」
…ダメじゃん。
俺がガックリと肩を落とすと、原田さんは『ま、なんでも経験が大事だから』と言った。
経験かぁ…。俺、経験ってあんまりない。恋愛も、それ以外も。
「お役御免はお役御免だけど、それまでの間に人間関係とかいろいろあって、退屈はしないよ」
「…そうでしょうけど」
「お役御免くらいがちょうどいいんだよ」
そうかなぁ…。
「少なくとも俺にはね」
そんなことを言う原田さんを、まじまじと見つめてみた。なんかかなり男前に見えてきた。
「今、俺のこと男前だと思ったでしょ」
「うん」
即座に頷いたら、原田さんは笑った。
「素直だなあ。なんでも顔に出るし、言うし」
ううん、そんなことない。
俺、誰にも言えない秘密がある。
兄貴のこと。
栗栖さんのこと。
「…あのね、原田さん」
「ん?」
原田さんって、実は俺よりずっと純粋かもしれないと思いながら、相談する。
「俺、好きな人がいたけど完全フラれちゃって」
…兄貴のことだ。
原田さんは『ほぉ』って言って、ニコニコしている。
「でも今、別の人といい感じになって」
「…そっか」
「でも、迷ってて。まだ好きな人のこと吹っ切れてないから」
そう。
俺、兄貴のこと、吹っ切れてない。一生吹っ切れそうにない。
どうすれば。
どうすれば良いですか?
「いいんじゃない。次の出会いに飛びつけば」
原田さんの明快な回答。
「でも、どっちのことも裏切ってる気がするんだ。最初に好きになった人のことも、次の人のことも。それが、なんか嫌で」
俺がそういうと、原田さんは少し考えて、
「…それは、ちょっと違う気がするな。裏切ってるっていうのは」
と言った。
「違う?」
顔を上げる。
原田さんはニコニコしたままだった。
「その二人のことは、どう思っていても良いと思う。それが裏切りにはならないって思うよ。それより、裏切っちゃいけないのは広彦くんの、自分の気持ちじゃないかな。それだけは絶対。自分に素直にならないと」
自分の気持ち?
「でもそれはたぶん、広彦くんの得意分野だと思うけどな」
得意分野?
「その人といて楽しい?ドキドキする?幸せ?ホッとする?ずっと一緒にいたい気がする?そういうのがあるんだったら、悩まなくて良いと思う。次に進むべき時なんだよ」
……。
「せめて今だけは、その人のことを大切にして、一緒に過ごせばいいんじゃないの?それで、その時間を…少しずつ延ばしていけば。だって、ずっと一緒にいたくても、いつかお役御免になるかも知れないんだから」
ずっと一緒にいたくても?
ずっと一緒にいたくても。
原田さんの言葉で。
兄貴を…思い出した。
ずっと一緒にいたかった。
兄貴とは、ずっと一緒にいられる気がしてた。でも、違った。
涙が出てきた。
顔をあげたままだったから、それは頬を伝って顎へと流れた。
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