第22話 社会性

「…始まるのも終わるのも怖いってなんなんだ…」

 ぽろりとこぼした一言に、松本課長がからんできた。

「なにそれ苅田くん、新しいキャッチコピー?にしては何かネガティブだね」

「キャッチコピーじゃないですよ」


 自分でも納得いかない変な企画書。

 凹んで荷物と書類だらけのデスクに突っ伏す。

 栗栖さんの言葉にも凹んでる。

 そのあとの自分にもムカついている。

 俺ってば何がしたいの?

 仕事?

 兄離れ?

 恋愛?


 そもそもさ、広告考えるの、楽しかったでしょ?

 今の仕事、面白がってたじゃん。


 バイトから社員になって、ちょっと面倒くさいって思いつつ、頑張ろうって、思ってただろ?そんで頑張ってたわけじゃん、実際。

 栗栖さんに会うのも嬉しかったでしょ。わざわざ会える時間に外に出たりして、顔見に行ってたじゃんか。何が不満なんだ。何が。あんなこと言われたんだったら、ぐいぐい行けば良いじゃん。何戸惑ってんの。乙女かよ。


 でもやっぱ、どこかで考え甘かったよな。

 当事者意識は低かったんだ。

 バイトから社員になった時、社員になれば異動があるってことも気にしてなかったし、そもそも責任の重さを今ほどには感じてなかったよな。


 栗栖さんの顔を見るために外に出ていた時に、そのあと仲良くなって喋ったりお酒飲んだり、楽しかったり手を握ってほしいとか付き合いたいとか、多分本気で考えてなかったよな。


 …抱きしめられたい妄想はあったけどさ。

 どれもこれもぼんやりとした夢だった。

 実際には、『叶わない方が都合が良い』、そういう類の願望。

 ただの願望。


 結局逃げてるんだよな、俺。

 仕事からも栗栖さんからも。

 そこまで本気じゃ無くって。


 …そんな根性じゃあ、やっぱ始まれないな。




「始まれない」

「CMのこと?」

「仕事含め人生諸々」

 でも、確かに、どれもこれも終わらせられない。終わるのが怖い。


 課長が俺の隣のデスクに腰掛けた。

「なんか悩み?」

「今、悩みしかないです」

「聞かせてもらおうかな。こっちに引き抜いた責任取って」

「そんな責任取らなくていいですよ」

「仕事の他に…女性関係?」

「そんな単純な話でもないんですけど…」

 兄弟関係と男性関係。


 とは言えない。言えないな。





「手を握られて、終わりたくない、でも始まるのも怖いって言われて」

「哲学的な人だね」

 松本課長の冷静なツッコミ、冴えてるなと思いつつ。

「じゃあ俺どうすればって、でも、俺もちょっと強気に出るほど好きか分からなくて」

「少なくとも『終わりたくない』って言ってるんだから相手は気があるよ。押せばいけそうだよ。苅田くん、他に付き合ってる人、居ないんでしょ」


 今の職場の人とこんなにガッツリ話しながら飲むのは初めてだなって、思いながら喋っていた。松本課長と、それから入社8年目、ずっと広報課にいる二宮さんって女の人と3人で居酒屋に来ている。


 ニコニコとビールを置いてってくれたお姉さんも、俺が総務にいた時から広告取りの関係で知り合いだ。店員だからって遠慮しているけど、多分耳をダンボにしているに違いない。


 恥ずかしいな。

 でも、ま、いいっか。

「それが、俺も好きかどうか分かんない。前に好きだった人に似てるって思って、ちょっと良いなって思ってたけど、好きかどうかは」

 今もふっ切れてないけど、ちょっと脚色。

「前に好きだった人に似てる?」

「なんだそれ、だめじゃん」

 この場にいる二人が、俺の発言にガッカリした。

 面白い話じゃないよね、ごめんね。

「自分が相手を好きかどうかって、みんなどうやって理解してるんだろ」


 その言葉で二人が更にガッカリしている。


「好きかどうか分かんないなんて、好きじゃ無いと思う」

 二宮さんの言葉が、心の奥深くに突き刺ささる。

 そっか。

 そうかもな。

「そんなの、相手の人もかわいそう」

 これも刺さる。実はかわいそうなのは栗栖さんなのか。…そうかも。

「まあさ、恋愛でも仕事でもあんまり一人で悩まないで、愚痴もアイデアもなんでも俺に話してよ。いくらでも聞くからさ」

 課長の言葉もちょっと刺さる。

 俺、一人で悶々とし過ぎていた。



 そう思うと、急に原田さんに会いたくなる不思議。原田さんに相談したい。

 何でもニュートラルに受け止めてくれる原田さん。かなり素直に、なんでも話せてしまう。なんか気楽に見えて、こっちも肩ひじ張らずに何でも。

 ……。

 原田さんならどう言うだろう。ここのみんなに話したみたいに、対象が男性ってことを言わずに、相談してみたら、何か自分の中で道が開けるだろうか。

 弟にしたい、かわいいって言ってくれてる原田さんに、本当のことを知られたらどうなるんだろう。失望されるだろうか。でも、あの人は俺に何かを期待していない。そしていつも中立だ。

 …万が一本当のことを知られても大丈夫な気がする。

 彼自身が変人だし。



 栗栖さんを気にし出したキッカケは、兄貴になんとなく似てる気がする、だった。

 そのことに、今でも気が引けている。

 だって、あの人のことはほとんど何も知らない。兄貴と一緒に仕事をすることがあるってことと、やたらアパート近辺のことに詳しいってことと、あとやや秘密主義かなってことくらい。

 それ以外に何も知らないで、この気持ちをとりあえず『好き』ってことにして、彼に会っていいのかな。

 始まるのも終わるのも怖いっていうのは、俺も同じなんだ。自分の気持ちがよく分からないから。



 松本課長と二宮さんに叱咤激励されながら夜は更ける。

 家に帰る頃には、兄貴のことも誰のことも思い出さないくらい酔っていた。

 




 その日の愚痴愚痴の効果が、意外にも仕事に出た。

 なんとなく今までどうしていいか分からなかった広報課での人間関係に、二宮さんが助け舟を出してくれるようになったのだ。それでだんだん課でのコミュニケーションが取れるようになり、ぐちゃぐちゃの企画書もずいぶん整理されてきた。


 人間関係って大事だな…。


 人って、一人で生きているわけじゃないんだって、つくづく感じた。


 二宮さんが言った。

「苅田くんの性格がよく分からなかったから、今までどう助けていいかも分からなかったんだけど、ただの優柔不断って分かったから、これからは私なりに言いたいこと言っていくわ」


 ははは。

 ただの優柔不断、か。

 その通りです。


 そんなことを考えている俺にメールが届く。原田さんからだった。

『週末、どう?』

 この人、断られてもめげないな。この人こそ『ぐいぐい来る』って感じ。


 あいてますよ、どこ行きますか?と俺は返信メールを打った。




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