第28話 雑然
俺の部屋がすごいことになりすぎていて、入ってきた栗栖さんが呆然としている。
ここ一か月あまりのCM撮影やら何やらの結果、部屋は雑誌と映像データの円盤ケースが山積みになり、足の踏み場はテレビの前の一部分とベッドの三分の二、という状況だった。
清潔は心がけているので、食べ物関係のゴミはないし、マメに洗濯もしているのだが。
「同じ部屋と思えないね」
「大家さんには見せたくなかったですけどね」
「…これ…女性誌?」
「仕事の資料です」
「なんの仕事…」
言いかけて、栗栖さんが何かに気付く。
「君も広告関係?」
「…兄貴や栗栖さんみたいにテレビとか全国区の仕事とかじゃないです。この辺の地元誌『よってけ』の広報にいます」
「ああ、『よってけ』、知ってる知ってる」
「広報って言ってもここ一か月くらいで、その前は総務にいたんですけど…」
テレビ前の俺スペースに栗栖さんが座ったので、俺はベッドの隅に陣取った。乾杯する。
「俺、自分の部屋で酔うと結構すぐ寝ちゃうかも。そしたら勝手に帰ってください」
そんな自己紹介をしたら栗栖さんは笑った。
「来るなり帰宅のアナウンス?」
ほんとだな。
「すいません」
「いいよいいよ」
栗栖さんは笑ってる。
笑う仕草が兄貴に似てる。
兄貴より実質顔が整っている。
「酒好きのクセに弱いんで」
言い訳してみる。
「そだね、外でもすぐ酔うしね」
へへへ、と頭をかく。
「栗栖さんに遭遇した時の酔っ払い状態ってのも、缶一本だけの時とかもあるんで」
そんなに量は飲まないですよ、と前置きを重ねた。
「ほんと、今までよく無事だったね」
「それ言うの二回目」
「だって、広彦くんって、なんか」
なんか、で栗栖さんは言葉を切った。
「…なんか?」
「…いや、良い言葉が思い浮かばない」
「広告マンでしょ、良い言葉考えて考えて」
からかってみる。
「だって俺の専門、映像だもん。ライティング機能はほとんど無い」
「そうなんだ」
「うーん…」
栗栖さんはしばらく考えて、それから言った。
「なんか、広彦くんって酔ってるとき持って帰りやすそう」
「なんだそれ」
…そんなふうに見えるのか。
「あるっちゃある。未遂だけど」
「あるんだ」
「一回きり。大学の時」
「それって相手は女の人だよね。そういう時ってさ、ラッキーって思うの?怖ぇッ!って感じ?」
…どうだったかな。
「えーっと、怖ッ!って思った後、これってラッキーって思わないといけないのかなって思い直したかな。それで義務的にラッキーだったことにして、でもしばらくモヤっと女性不信」
栗栖さんが噴き出す。
「なんだかな~って思ったんだね」
「なんだかな〜、ですよ。やっぱ。望んでもない事を、ラッキーとは思えない。でもあの頃は、自分が不幸な目に遭ったと思いたくなくて」
二本目のプルトップを引く。
「いただきます」
「どーぞどーぞ。っていうかさ、マジで俺に警戒心ないね」
「ないです」
「良くないよ、そういうの」
栗栖さんがわざと怖い顔を作る。
「俺、本気で悪い奴かも知れないよ」
「いや、何もしないって自分で宣言してたから」
「そうだけど」
栗栖さんがちょっと不満そうにしている。
「ま、苅田に言いつけられても困るけどさ」
言わないだろうけどね。
「苅田もイヤだし、原田に知られるのもマズイな」
急に原田さんの名前が出てきてドキッとする。
そう言えば。
「どうして二人を呼び捨てに?」
年が下とは言え、別の会社の人なのに。
「ああ、新人研修で一ヶ月くらいうちに来てたことがあったから」
そうなんだ。
「飲みに連れてったりしたよ。苅田はすぐ寝るし、原田は女子と居なくなるし」
……。
「そんなことよりさ」
栗栖さんが身を乗り出した。
「ちょっとは意識してもらいたいんだけど」
「してますよ、もちろん。緊張してるし」
「ホントかな」
疑わしげにこちらを見上げる様子もちょっと兄貴に似てるな、なんて。
栗栖さんは、俺の中で『兄貴に似てる人』を超えないのかな。
いっそ付き合ったら、いろんな思い出が塗り変わっていくのかな。でもそんな付き合いって上手くいくんだろうか。
「広彦くんってさ、それでどうなの。やっぱ付き合うんだったら女の子?それとも、ちょっとは俺にもチャンスある?」
栗栖さんが兄貴と違うところは、こんな風にズバリものを言うところだ。
「気をもたせるようなことはしたくないんで、明言は避けます」
「明言を避けた時点で、かなり気をもたせてると思うけど」
「そう言われても…現在人生迷走中なんで…」
俺が困った顔をしたら、栗栖さんも苦笑した。
「好きになったって男のこと、忘れられないんだろ」
それ、原田さんとも話したな。
「どうでしょう。忘れるって...忘れるってどういうことだろ」
兄弟だもん、忘れたりしない。
でも、ドキドキしたり嫉妬したりしなくなればいいのか。
それならいつかできるようになるのか。
「忘れるって、どうでもよくなること?」
「そうだね、その人のこと、どうでもよくなるとありがたい。その人のことを全く思い出さなくなったらもっと良いね。それで、いつでも俺のことだけ考えるようになれば完璧」
ははは。
「ぐいぐいきますね」
俺がちょっと驚いたら、栗栖さんは良い感じに笑った。
「うん」
潔良いなあ。そういうところは好きかも知れない。
「はっきりしてる」
「うん…いつでも会えたのに、会えなくなって、連絡先も知らないから言い訳もできないなぁって気が付いたら『なんで連絡先も知らないんだ』って自分に腹が立って」
そんなことを考えていたんだ。
「でもその前も毎日会ってたわけじゃないでしょ」
「それはそうなんだけど、顔を見たかったら、だいたい夜の十時に玄関付近にいれば会えるっていう安心感があったから」
……。
それ、俺も思ってた。
十時に部屋を出たら…会える。
栗栖さんもそんなことを考えていたんだ
でも、俺は見ているだけで良かった。その先のことはあまり考えていなかった。
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