第23話 愛されたいと孤虎は泣く

『トゥア?』

『お、丁度良いところに帰ってきた』


 リィエンが息を切らして家に戻ると、戸口でトゥアに出くわした。

 末の弟と共に、何やら大きな木の枠を、家の中に入れようとしている。


 狭い戸口を通すため、トゥアたちは木枠の向きを変えるのに苦労しているようだ。


『それ、どうしたの』

『クアンの滞在、長引きそうなんだろ? 男二人に寝床一つは窮屈だろうと思って、この前嫁に出た妹の余りがあったから持ってきたんだよ。藁も後で持ってくる』


 トゥアは額に浮かんだ汗を、袖で拭いながら言う。


『ありがとう……』


 これが一ヶ月前だったら、ようやく一人で眠れるようになると、手放しで喜んだだろう。


 しかし、今は違う。

 寝床が増えたら、二人で一緒に寝る建前がなくなってしまうではないか。


 リィエンは表情を曇らせる。


『元気なさそうだけど、大丈夫か? 少し前にも体調崩したんだろ?』

『……ああ。走って帰ってきたから、少し疲れただけ』

『あまり無茶するなよ』


 幼馴染はそれ以上、追求してこなかった。彼はリィエンの肩をぽんと叩いて作業に戻る。


「リィエン、これはどういう状況だ?」


 クアンはリィエンの帰宅に気づいたらしく、家の中から顔を出して尋ねた。

 通訳不在のところにトゥアが訪れたので、どうして良いのか分からず、困っていたのだろう。


「オレのとは少し違うけど、寝床の枠だよ」

「なるほど。私も運び入れるのを手伝おう」


 悪戦苦闘の末、運び入れられた寝床に藁が敷かれる頃には、昼を過ぎていた。


 リィエンはトゥアたちを見送った後、新しく出来上がった寝床に転がってみる。


 悪くない寝心地だ。木枠もリィエンが使っているものより大きく、体の大きいクアンにとっては快適だろう。


「リィエン。随分早い帰宅だったが、用は済んだのか?」


 寝床の縁にクアンが腰掛けると、木枠がぎしりと鳴る。


 昨日の今日だ。未だに気まずくて、リィエンは彼と目を合わすことができない。


「意外と早く用事が済んだ。……クアンはさ、オレがいない方が良かった?」

「そんなことはない。ここは君の家だろう。邪魔なのは私の方だ。今日から一人で寝るよ。どちらの寝床がいい?」

「オレ、今まで通りでいいよ」


 思ってもないことを言ってしまいそうになるのを堪え、リィエンは素直な気持ちを口にする。


 それから、自身の鼻先が彼の太腿の付け根に触れるよう寝返りを打って、体を丸めた。


 クアンに触れていると安心できて、心地良い。そう感じる何かが胸の奥で生まれ、脈に合わせてトクトク全身を巡っている。


 これはずっと不思議に思っていた現象だが、クアンに特別な力があるのではなく、リィエンが彼を好いていることでそうなるのだろう。


「二人で寝るということか? 窮屈だろう」

「今更でしょ。お風呂だって狭かった」

「……気持ちは嬉しいが、一人で寝させてほしい」

「なんで」


 凪いでいた心に、突然大波が押し寄せた。

 自制が効かない。リィエンは衝動的に枕を掴んで放り投げる。


「なんで!? 甘えてくれたら嬉しいって言ってたのに!」


 硬い枕が、乾いた音を立てて床に転がる。


 突然の出来事にクアンは大きく目を見開いて、荒ぶるリィエンを凝視していた。

 どうして怒っているのか分からないという顔をしている。


 当然の反応だ。何故激昂しているのか、何故感情を制御できないのか、リィエンにも分からない。考えるよりも先に、口が動く。


「クアンは! 人の心にずかずか入り込んで、踏み荒らすだけ踏み荒らしてそのままどこかに行こうとするんだな! こうなるのが嫌だから人と関わらないようにしてたのに、今さらどうしてくれるんだよ!」

「リィエン……」


 自分勝手なことを言っていると分かっていても、リィエンは止められなかった。

 冷静に話し合いをするつもりだったのに、子どものように癇癪を起し、駄々をこねてしまう。


 部屋の隅で寝ていた豆鹿は、リィエンの怒鳴り声に驚いて外に逃げて行った。


「寂しい。寂しい! こうなったのも全部クアンのせいなんだから、責任取ってよ……」


 垂れてきた鼻水を啜る。視界がぼやけて、クアンがどんな表情を浮かべているのか分からない。


「泣いているのか」

「泣いてない」


 はぁ、とクアンがため息をついたのを聞いて、言い訳できないほど大量の涙がこぼれ落ちていく。

 一度溢れてしまえば止まることを知らず、リィエンは寝床に伏してわんわん泣いた。


 こんなに泣くのはいつぶりだろう。

 母親が息を引き取った時だって、声を出して泣くことはなかった。弟妹の前で兄として振る舞う必要があったからだ。


 本当はずっと泣きたかった。

 一人でいることは寂しく辛くて、誰かの愛を感じていたかった。

 今は誰か、ではない。目の前の男に愛されたい。


「私が悪かった。泣かないでくれ」

「うっ、ううっ……クアンのバカぁっ……」

「ああ。私は本当に馬鹿者だな」


 彼は泣きじゃくるリィエンを抱きしめ、背を優しく叩いてくれた。

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