第18話 嫉妬

 最近の自分はどうもおかしい。

 感情が乱れ、制御不能になるだけでなく、度々胸の動悸もする。発情期を迎えてからは特に顕著だ。


 リィエンの弟たちは、まだこの家にいた頃、十代のうちに発情期を迎えている。

 彼らは、苦しいのは治まるまでの数日の間で、発情期が過ぎればいつも通りだと言っていたように思うが、記憶違いだろうか。


 ――胸が痛い。


 リィエンは胸元をギュッと押さえる。

 じわじわと中身が漏れ出して、そのうち空っぽになりそうだ。


「リィエン、また体調が悪いのか?」


 背後から声をかけられ、はっとする。

 いつの間にか、食べ終えた器を持ったクアンが調理小屋の戸口に立っていた。


「大丈夫。器なら調理台に置いといて」

「調味料のこと、大事おおごとではないという態度をとってしまい、済まなかった」

「別にもういいよ」

「良くないという顔をしている。調味料が高価なものなら私の装飾品を交換に出せば良いが、そういうことでもないのだろう?」


 リィエンは黙ってしまった。クアンの言う通りだ。


 謝罪をされても、新しい調味料を手に入れても、リィエンの気持ちは晴れないだろう。

 理由は少し考えれば分かることだが、リィエンは根本的な原因から目を逸らしていた。


「マイのことが気に食わないのか?」

「……好きとか、嫌いとかの問題じゃなくて。この地では豆鹿は食用で、愛でるための飼育なんてしないんだ」


 食用、という言葉を聞いたクアンは目を大きく見開く。

 軽蔑されるだろうと、リィエンは小さな椅子の上で膝を抱えた。


 太陽はすっかり身を潜め、僅かな月明りだけが二人を照らす。


「そうか。君は食べたいと思って、あの子を眺めていたのだな」

「野蛮だよね。でもここではそれが普通」

「言わなかったのは、私にそう思われるのが嫌だったから。そうだな?」


 リィエンは黙って頷く。

 クアンがどのような表情をしているのか、恐ろしくて顔を上げられなかった。


 もし彼が眉間に皺を寄せ、腕を組んで立っていたのなら、リィエンの心は音を立てて崩れそうだ。


 ――オレも、虎を刈る人間と大して変わらないじゃないか。自分が生きるため、自分の益のため、愛らしい動物を捕食対象として見ている。


 自身の乱れた呼吸と鼓動の音が、やけにはっきりと耳に響いて気持ち悪い。

 リィエンは小さく、丸く縮こまる。


 クアンは鼻からふっと息を吐いた。


 彼はリィエンの前を一度通り過ぎ、調理台に器を置くと、汚い床に膝をついてリィエンの頭を撫でてくれた。


「君を野蛮だとは思わないよ。それがこの地の文化であるのなら、その考えに至って当然だ」

「そうは言っても引いたでしょ」

「驚きはしたが、嫌悪感はない。ただ、飼うつもりで名前までつけてしまった以上、私はマイを食べることなどできない」


 ――流石にオレだって、もう食べる気はないよ。


 リィエンは拗ねた口調で返事をした。


「こっそり食べたりしないから安心して」

「分かってる。リィエンは優しいからな。先程はやきもちを焼いただけなのだろう」

「やきもち!?」


 聞き捨てならない言葉に、伏せていた顔を勢いよく上げる。

 その様子を見たクアンは、狙い通りとばかりに微笑んだ。


 しまったと思った時には、既に彼の手が頰に触れており、リィエンはそのまま硬直してしまう。


「そう。やきもち。私がマイばかりを構ったことが気に食わなかったと見える」

「違う。そんな子どもみたいに拗ねたりしない」


 リィエンはムキになって怒る。

 全くもって説得力がなく、言葉と態度がちぐはぐな状況に、クアンはにこにこ微笑んでいた。


「人のことを笑って。調子に乗りすぎ」

「いや、可愛いなと思って」


 彼の優しい眼差しに耐えられず目を逸らす。


 図星だった。

 リィエンは、無条件に愛を注がれるマイに嫉妬していたのだ。

 

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