第19話 家族になりたい
「片付けはすぐに終わりそうか?」
「あとは食器を洗って、炉の燃えかすを始末するだけ」
「そうか。先に寝台で待っている。今日は春にしては気温が低いからな。食事で温まった体を冷やしてしまっては勿体ない。早く寝てしまおう」
「待ってなくていいよ。さっさと寝て」
リィエンは、素気ない態度でクアンを調理場から追い出すと、瓶に溜めた雨水で空の食器を丁寧に洗う。
火が完全に消えたことを確認し、母屋に戻ろうとして、マイに餌をやっていないことを思い出した。
放っておいても、そこらの草を食べて生きていくだろうが、まだ赤子にも見える小ささだ。多少気にしてやった方が良いだろう。
リィエンは大量に余っている山菜と、小腹が空いた時に食べる花の種子を小皿に入れる。
小皿といっても、川の帰り道に拾った欠けた茶碗だ。
カラカラという音を聞きつけたのか、マイは呼ばずとも足下へとやって来た。
辺りを興奮気味に走り回る小さな獣に、悪戯するなよと忠告する。
「きゅるっ、きゅるっ、きゅいっ」
「お前、ご飯の時だけオレにも甘えた声を出すよな」
「はいはい、どうぞ」
皿を調理場の隅に置き、マイが食べ始めたのを横目に、リィエンは藁を準備した。
古くなり、使っていない鍋の中に敷き詰める。あっという間に餌を平らげた獣は、小首を傾げて作業の様子を眺めている。
「きゅいっ?」
「今日は久しぶりに寒いから、ここで寝な。分かるか? お前の寝床だ」
「きゅっ! きゅうっ!」
「はは、大人しくしてれば可愛いのにな」
捕食者が目の前にいるとは知らぬ、無邪気な豆鹿の小さな額を撫でてみた。
マイは気持ちよさそうに目を閉じ、リィエンの指に擦り寄って来たので、抱き上げて完成した藁敷きの鍋に入れてやる。
「あはは、鹿鍋!」
「ギュイ……」
「冗談だって。食わないから、いい子でいるんだぞ」
獣は理解したかのように軽く鳴いた。もしかしたら、言葉を理解しているのかもしれない。
「遅かったな」
母屋に入ると暗闇から声がする。ゆっくり寝台に近づくと、にゅっと手が現れ、リィエンを抱き寄せた。
「マイの餌と寝床の準備をしてた」
「ああ、なるほど。マイが急に飛び起きていったのは餌のためか」
「クアン、さっきはごめん。本当はマイに嫉妬してたんだと思う。素直になれなくて酷い言い方をした」
「いいんだ。私も気づけず悪かった」
いつもなら抱擁を跳ね除けるリィエンだが、今日に限っては彼の首に抱きつき、肩口に顔を埋めた。
「リィエン……どうした?」
「オレが喜ぶと思ってマイを買ってくれたことは嬉しかったよ。ありがとう」
「喜んでもらえたのなら良かった。勘違いしたというのもあるのだが、私がいなくなっても寂しくないようにと思ったんだ」
「いなくならないでよ」
少し前のリィエンなら、余計なお世話だと言い返すことができただろうに。
過ごした時間は決して長くない、それでもいつの間にか、彼のいる生活が当たり前になっていた。
「私も別れたくない」
「本当に思ってるわけ?」
「そんな顔をしないでくれ」
クアンはふっと笑うと、リィエンの頬に手を添える。ゆっくりと重ねられる唇は、柔らかな弾力を残してすぐに離れていった。
二人の間に流れる、なんとも言えないくすぐったい空気に耐えられなくなり、リィエンは再び彼の肩へと顔を伏せる。
「オレの方が歳上なのに、クアンの方が大人っぽくて悔しい」
「いや、リィエンはしっかりとしたお兄さんだよ。これまで甘えてこれなかっただろうから、その分私が甘やかしたい」
「ん」
「本当のところ、私は君をホアダイに連れて帰りたいと思っている。家族になりたいんだ」
「家族……?」
家族になったところで、ずっと一緒にいられるわけではないとリィエンは知っている。
血の繋がった家族でさえ、どこか遠いところへ行ってしまった。
期待して傷つくくらいなら、最初から諦めていた方が良い。
信じて裏切られるくらいなら、正体を知られる可能性の低い、今の暮らしを続けた方が良い。
一歩踏み出す覚悟が持てなかった。
「……オレはこの地を離れるつもりはない」
その言葉を聞くと、クアンは「そうか」と言って寂しそうに笑った。
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