第四章

第20話 すれ違う二人

 クアンはこの頃、ぼんやりしていることが増えた。


 朝食を食べながら、静かに物思いにふけっていたり、散歩に出たきり戻ってこないと思ったら、道端の岩に座って遠くの山を見つめていたり。

 故郷を思い出しているのかもしれない。 


 彼がリィエンの家に来てから、およそひと月が経つ。

 茶色だった棚田には稲が植えられ、小さな緑がすくすく育っているが、クアンの迎えは一向に現れない。


 トゥアの父が、市場に出かける度に情報収集をしてくれているものの、未だに目撃情報すら得られなかった。


 これだけ進展がなければ、呑気なクアンも不安になってくるのだろう。


「クアン、クアンってば」

「ああ、済まない。何だ?」


 クアンは座ったまま、意識をどこかへやっていたらしい。

 リィエンが彼の膝を掴んで揺らすと、ようやくまともな反応が返ってくる。


「夕飯、オレもう半分食べたから。食べさせた方が良い?」

「いや、大丈夫だ。自分で食べる」


 クアンはリィエンに「食べさせてくれ」と言うことはなくなった。


 相変わらず、先に半分食べるように言われているが、それはリィエンが食事を抜かないよう見張るためだろう。


「迎え、来ないね」


 食事を終え、寝台に腰掛けてぼんやりしているクアンに、リィエンは何げなく聞いてみた。

 ところが反応は薄く、いつも真っすぐリィエンを見つめていた薄緑の目が、左斜め下に伏せられている。


 やはり、変だ。


 以前のクアンなら、穏やかな笑顔を浮かべて「もうしばらくここに置かせてくれないか」と言っただろうに。

 日に日に素っ気なくなっている気がする。


「……そうだな。なかなか見つけてもらえないようだから、私も探しに出た方が良いかもしれない」


 リィエンの胸はざわつく。

 ある日突然、彼は仲間を探しに行くと言ったまま、姿を消すかもしれない。


「可哀想だから、見つかるまでここにいればいいよ。もう出て行けなんて言わないから」


 早く出て行けとあれほど言っていたのに、いざクアンがいなくなることを想像したら、目頭が熱くなる。


 この感情が何か、リィエンは知っている。


 父親が母を見捨てたと知った時。母が病に倒れ、そのまま帰らぬ人になった時。トゥアが結婚した時。弟妹が出っていった時。


 もう二度と、こんな思いはしたくなかったからこそ、人と関わることを避けていたのに。


 ――置いていかないで。


 クアンの元へ這い寄ったリィエンは、衝動のまま彼に抱きつき、寝床へと押し倒した。


 拒絶はされなかったが、クアンは眉を顰めてどこか困った様子だ。


「リィエン、どうした。眠いのか」

「んーん、何でもない」


 クアンの胸に鼻先をすり寄せる。

 彼はリィエンの背中を優しく叩いてくれて、胸の奥がきゅんと収縮した。


 まだ触れてくれる。嫌われたわけではない。安堵がじわりと全身に広がっていく。

 クアンと触れ合うと、温もりが心地よくて満たされる。


「あれから体は大丈夫か?」

「うん、何ともない」

 

 そう答えた瞬間、彼の首元から僅かにふわりと花の香りが漂った。


 その匂いを鼻いっぱいに吸い込むと、下腹部が熱を持つ。

 理性で抑えられる程度の疼きだが、リィエンは甘えて擦り寄ってみる。


「やっぱり、少し変かも」


 抱き締められ、上下がぐるりと反転する。

 今度はリィエンが押し倒される形になり、自然とこの先の展開に期待した。


 肌を重ね、優しく名前を呼んでほしい。

 そうしたら、心のどこかにある孤独が埋まる気がする。


 しかし、クアンは「今日は早く寝るといい」と言って、寝台を下りようとする。

 昂ったまま取り残されたリィエンは、縋るように上体を起こした。


「この前みたいに助けてくれないの?」

「あれは特別だ。もう自分でどうにかできるだろう。私は少し外の風にあたってくる」


 家を空けている間に、自分で処理をしろということなのだろう。


「行かないで」


 呟いたところで、誰にも聞こえない。

 一人残されたリィエンは寝床で丸くなる。


 虚無が押し寄せてきて、泣きたくなる。熱を持った体は一瞬で萎えていた。


 何も考える気になれず、リィエンはそのまま逃げるように眠りについた。


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