第21話 お悩み相談①

「お腹が空いたら野菜を齧るか、朝の残りに火を通して食べて。火のおこし方はもう分かるよね」

「ああ。食事のことなら心配ない。楽しんできてくれ」


 翌朝、リィエンは知り合いに呼ばれたということにして家を出た。

 明らかに不自然な嘘にも拘わらず、クアンは気に留めていないようだ。


 彼が昨日、いつ家に戻ってきたのか、十分な睡眠をとれたのか、リィエンは知らない。

 朝目覚めたら、彼は部屋に置いてある小さな椅子を外に出し、居心地悪そうに座って朝日に輝く林を眺めていた。


 リィエンはただ、一人になりたかった。それがクアンのためにもなると思った。


 霧が出て視界の悪い中、リィエンは集落の外れにある湖まで歩く。

 坂を登りきると美しい湖が現れるはずだが、やはりここも靄がかかっており、何も見えない。


 リィエンは切り株を椅子代わりにして、白い世界を眺めた。


 ――オレが甘えすぎたのがいけなかった? 


 先に踏み込んできたのはクアンのくせに。

 

 いつも優しく触れてくれた。

 撫でられ、抱き締められ、唇を重ね、それ以上のことだってしてくれた。


 もっと周りに甘えた方が良いと、クアンが言うから甘えてみたのに、この仕打ちだ。


 ――あれ。オレ、クアンに甘えて、優しくされてどうなりたいんだっけ。


『久しいな、リィエン』

「わっ」


 突然声をかけられたリィエンは、驚いて飛び上がる。いつの間にか背後に誰かが立っていた。

 湖の主でも現れたかと思ったが、村の人間ならだれもが知るご長寿、物知りババだ。


 リィエンと同じように頭に布を巻き、民族衣装を纏っている。にやっと笑う口元からは、真っ黒に染められた歯が覗いていた。

 女性が歯を黒く染めるのは、この地の古い風習らしい。


『ババ様、お元気そうで何よりです』


 人との接触は極力避けていたので、彼女と話すのも久しぶりだった。

 リィエンは立ち上がり、高齢のババ様に切り株を譲る。


 彼女が何歳なのか知らないが、リィエンが村に来た頃からババ様と呼ばれていたので、百を過ぎていてもおかしくない。

 見たところ足腰はしっかりしていて、まだまだ元気そうだ。 


 ババ様は切り株の半分ほどに腰掛け、空いた場所を叩くので、リィエンも再び腰を下ろした。


『彼との暮らしはどうだ』


 しばらく静寂が流れた後、ババ様は唐突に話を切り出す。

 彼とはクアンのことだろう。村中に話が広がっているので、ババ様が知らないはずがない。 


『最近は上手くいっていません』

『生まれ育った国も文化も違うのだから、すれ違うこともあるだろう』

『……』


 果たしてあれは、国や文化の違いによるすれ違いなのだろうか。

 リィエンは考えれば考えるほど、単に自分が愛想を尽かされただけではないかと思えてくる。


『優しくしてくれるから、甘えすぎてしまったのかも』


 クアンがあまりにも大人っぽいので忘れていたが、彼はリィエンよりも若いのだ。

 歳上に甘えて頼られたら、重く感じるのも無理はない。


『相手にも何か事情があるかもしれぬ。話はしたのか?』

『していません』

『まずは自分の気持ちを正直に話すこと。それから相手の話をじっくり聞きなさい』


 老婆の言葉にリィエンは頷いた。


 説教をされても嫌な気持ちにならないのは、彼女が自分よりもずっと長い時間を生きてきた人であることと、言葉の節々にリィエンを気遣うような優しさが滲んでいるからだろう。


『ようやく好きな人ができたのか』

『好きな人!?』


 あまりに自然な流れでババ様が言うので、リィエンは危うく頷くところだった。

 動揺して切り株から転げ落ちそうになる。


『違うのか? 私には恋をしているように見える』

『恋? 男相手に?』

『男同士でも恋に落ちることはあるだろう。何もおかしいことではない』


 確かに、最近はクアンのことを好ましく思っている。


 寛容で、リィエンの棘々しい部分まで包み込んでくれるところが好きだ。

 誰に対しても分け隔てなく優しく、言葉の通じない人とも、すぐに打ち解けられるところを尊敬している。


 目鼻立ちのしっかりとした顔つき、艶めく黒髪、優しげな薄緑の目。

 彼の美しい顔ならいくらでも眺めていられるが、見つめられるのは恥ずかしい。


 見つめられたらきっと、リィエンは視線を逸らしてしまうだろうが、本当はそのまま「可愛い」と言って抱き締めて、優しく額にキスをしてほしい。


 ――あ。

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