第6話 これには訳が

 断続的に、扉を叩く音がする。

 朝、微睡みの中にいたリィエンは「おーい」という、馴染みのある声を聞いて覚醒した。


 目覚めた瞬間、視界に男の背中が飛び込んできて、リィエンは今自分が置かれている状況を思い出す。


『リィエンいるのか? 入るぞー』

「ん……、トゥア? えっ、あ、ちょっと待って!」


 咄嗟に口から出たのは華国語だった。トゥアが理解するはずもなく、彼は勝手に家の中へと入って来る。


『なんだ、まだ寝てたのか。おお、それが例の異国人か』


 藁の上に布を敷いた簡素な寝床に、男二人が並んで眠っている姿を幼馴染に見られてしまった。


『これは……その、譲り合いの末こうなったというか……』


 頬がカッと熱くなる。リィエンは思わず状況を説明するが、かえって言い訳に聞こえてしまう。


 本当に何もないのだ。


 寂しいから一緒に寝てくれと迫ったわけでも、抱き合って眠ったわけでもない。

 家族が使っていた寝床を既に片してしまっており、リィエン一人分しかなかったのだ。


 怪我人を固い床で寝かせるわけにはいかず、かといって自分も床で眠りたいとは思えず、うじうじ困り果てていたところ、クアンはリィエンを寝床に招いた。

 ――まるでそこが、元から自分のものであるかのように。


 その時一瞬、感謝の念が頭をよぎったが、寝床を提供しているのはリィエンの方だ。

 初めから遠慮する必要などなかったのだと、彼を隅に追いやって眠った。


 そして、二人分の体温でいつもより温かったせいか、寝過ごしてしまい今に至る――。


『一瞬お前が女に見えて、ドキッとしたわ』

『どこをどう見ても男だろ』

『はいはい。肉、どこに置けば良い? 昨日父ちゃんがどっさり鹿肉持って帰って来たから、鶏はやめにした』

『鹿肉⁉ オレ大好きなんだよね』


 寝ぼけていた頭が一気に覚醒する。


 頑なに支援を断っていたリィエンだが、鹿肉と聞いたら素直に受け取ってしまうくらい好きなのである。

 特にこの辺りで捕れる、兎ほどの小さな種の肉が柔らかくて好きだ。虎であった時の名残なのだろう。


 蓄えていた干し肉を冬に食べ尽くして以来、魚ばかりの暮らしだったので、肉と聞いただけで口内が唾液で潤う。


「リィエン、その人は?」


 クアンは、リィエンが飛び跳ねて喜んでいる間に目覚めたらしく、振り返ると肉を吊るすトゥアを興味深そうに見つめていた。


「ああ、オレの幼馴染のトゥア。近所に住んでるんだ」

「初めまして。私はクアンと申します。昨日からお世話になっております」


 クアンは華国語で、リィエンに話すよりも丁寧に挨拶をするが、トゥアには通じない。一度カウカイの言葉に訳してやる必要がある。


『トゥア。改めて、こちらはクアン。初めましてだって』

『おう、こちらこそ。ここらでは見ない顔つきだな』

『南の、ホアダイ王国から来たらしい』

『へぇ。聞いたことないな。南の国は温かいのか?』


 訳して伝えると、クアンは頷く。


『年中夏のような気候で、果物が美味しいってさ』


 しばらくの間、二人はリィエンを挟みながら他愛のない会話を続ける。


 主要な農作物は何か、どのように農作業を行っているのか、トゥアの興味に合わせて話が進む。


 クアンは若いながらも自国のことをよく知っているようで、専門外の分野だろうに、しっかりと受け答えをしていた。


『面白れぇな。じゃ、俺はやることあるし行くわ。二人の邪魔をするわけにもいかないしな』

『その言い方は誤解を招くからやめてくれ』


 文句を言うと、幼馴染は冗談だと言って家を出ていく。


「怪我が治ったらすぐに追い出すからな」

「ああ、まだしばらくかかるだろう」


 リィエンは寝床に座ったままの美丈夫を睨むが、彼は全く気にしていないようだ。


 朝日に照らされ、前髪をかき上げる様子はやたらと美しく、この世の住人ではないように思える。


「どうかしたのか」

「花の匂いがした気がして。匂い袋でも持ってる?」


 ふわりと一瞬、甘い香りがリィエンの側を通り過ぎていった。

 好ましい匂いだが、どこから漂ったものか分からず、鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。


「いや、そのような類のものは持っていない。外から香ったのだろう」

「鼻は良い方なんだけど。気のせいかな」


 狭い部屋をぐるぐる歩き、窓からも顔を出して確かめるが、匂いの元は見つからなかった。


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