第5話 優しい眼差し

「オレ、男だから」

「男?」


 今度はクアンの方が固まる番だ。

 そんなはずがないと、彼の視線は熱心にリィエンを観察している。


「何なら証拠を見せようか?」


 リィエンが明るい紫の上衣とは対照的な、黒のズボンを脱ぐ素振りをすると、クアンは目を反らす。


「いや、大丈夫だ。その布を貸してくれ。自分でやる」

「分かった。服はそこに置いてあるのを着て。弟がいた頃に使っていたやつだけど、ちゃんと洗ってあるから」

「ありがとう」


 男同士であろうと、他人に下まで世話をされるのは流石に嫌なのだろう。もし自分がされる立場なら、激しく抵抗する。

 リィエンは思い直し、絞り直した温かい布を渡して後ろを向いた。


「何か食べられそう?」

「ああ。ありがたい」


 リィエンは、男が服を着終えたことを気配で察して尋ねる。

 肯定の返事があったので、作っておいた粥をよそいに行く。

 それをクアンの前に置くと、彼は難しい顔をして器とリィエンを交互に眺めた。


 食事を床に置いたことが気に入らなかったのだろうか。

 この地では普通のことであり、そもそもリィエンが一人の時は器に盛ることすらせず、炊事場で食事を済ませてしまうくらいだ。


「何、こんなもの食べられないって?」

「いや、違う。君の分がなくなるのではないかと思って」

「オレはさっき食べたところだから平気」


 嘘だ。リィエンは味見のためにしか口をつけていない。

 後で鍋をひっくり返して、僅かな残りを食べるつもりだ。


 弟妹と暮らしていた頃は、彼らに食べさせるため、よくこうした嘘をついたものだと懐かしくなる。


 ぎゅるるるるる。クアンが粥に口をつけようとした時、リィエンのお腹が盛大に鳴った。


 あ、と声を漏らして誤魔化そうとするが、既に手遅れだ。嘘をつけない正直な体の音に、男はくすりと笑う。


「やはり食べていないのか。お腹、空いているんだろう。二人で分けよう」

「大丈夫、山菜ならたくさんあるから、後で食べる」

「君は優しいんだな」

「弟や妹に対してもこうしてた。当たり前のことだよ」


 お前に対して特別優しくしているわけではないと言いたかったのだが、伝わっていないようだ。

 クアンは小さな子を呼ぶように、トントンと床を叩く。


「利き手が痛むから食べさせてほしい」

「はぁ?」

「弟や妹が頼んだら、当たり前のようにすることではないか?」

「まぁ、そうだけど……。仕方ないな」


 先ほど、自力で体を拭いていたではないかと思いつつも、リィエンは彼の要求に応じた。

 隣に膝をついて座り、十分冷ましてから匙を口もとに運んでやる。


「忘れていたが、私は毒見をしたものでないと食べられないんだ」


 クアンの目は優しく笑っていた。

 彼の薄緑の目に見つめられると、何故だか胸の内がそわそわして落ち着かなくなる。


「随分と良いご身分なんだな」

「そうだな。リィエンが半分ほど食べて何ともなかったら。私も食べよう」

「失礼な奴」


 偉そうな態度から傲慢な男という印象を受けたが、どうやらそうでもないらしい。

 クアンの優しさに気づかぬふりをして、リィエンは毒見と称して半分を食べ、残り半分を食べさせた。


 思えば、誰かと食事をするのは久しぶりだ。少しだけお腹が満たされたせいか、体がぽかぽかと温かくなってくる。


 器に残った最後の一口をかき集めていると、不意にクアンの手が耳元のこぼれ毛に触れた。


「黄みがかった目をしていると思ったが、髪も黄土色か」


 リィエンは咄嗟に「見るな!」と手を払う。

 連れてきた以上、普通ではない髪と目の色は遅かれ早かれ気づかれるとは思っていたが、つい過剰に反応してしまう。

 

 布を巻いて極力目に留まらないようにしていることもあり、カウカイの人間は何も言わないが、やはりこの髪色は目立つのだ。


 普通は虎の毛の黒い部分が髪に出るのだが、リィエンの場合は逆だった。

 母親がリィエンを責めることはなかったが、祖母に半獣だと疑いをかけられる原因となったのも、このおかしな容姿のせいだと思っている。


 虎の半獣だと見破られることが怖い。急な動悸に襲われ、体が勝手に震えた。


「折角美しいのに、なぜ隠す?」

「おかしいだろ」


 項垂れ震える姿を目にして、リィエンが容姿のせいで迫害を受けているとでも思ったのだろうか。

 クアンは怪我をしていない左腕でそっとリィエンの腰を抱き寄せると、頭に被っていた布を勝手に外す。


「あっ」


 自分で適当に切ったばかりの、黄土色の髪が晒された。


 しかし、クアンは人とは異なる姿にも、変わらず優しい眼差しを向けている。

 それがくすぐったくて、恥ずかしい。


「私の国で、黄色は幸福の色だ。縁起が良いと喜ばれる。ここでの暮らしが辛いなら、私と一緒にここを出て、ホアダイに来るといい」

「オレはここを出るつもりはない」

「そうか、残念だ」


 リィエンは男の腕から逃げ、最後の一口を自分が食べて器を下げる。


 クアンという男は会ったばかりだというのにやたら馴れ馴れしく、人の心に土足で踏み込んでくる。


 踏み荒らされる前に、追い出さなければならない。リィエンはそう心に誓うのだった。


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