第4話 誤解
トゥアの家から戻ったリィエンは、早速食事の準備に取りかかった。
家の外にある調理小屋に籠り、米をドロドロになるまで茹で、卵と山菜を混ぜ入れる。
質素だが、衰弱した体には丁度良いだろう。
もう一つの大鍋では、薬草を煮た。これは食事のためではなく、傷口を消毒してやるためだ。
「あれ、起きてた?」
リィエンが出来上がった薬草の煮汁を持って家に入ると、男はおもむろに体を起こす。
寝床と小さな竹製の椅子が二つあるだけの狭い空間を、彼は不思議そうに見回した。
トゥアの祖父母の代まで使われていたという、村の中でも古く小さな家だ。
この部屋の両脇にも別の部屋が存在するが、寝床と戸棚を置いたら埋まってしまうほど狭い。
「つい先ほど目が覚めた。ここは、君の家か?」
「そう。ボロ家でごめんね。お兄さん、お金持ちの商人か何か?」
光沢のある衣服や、金色の装飾具を身に纏っていることからして、一般庶民でないことは明らかだ。
「そんなところだ。ここよりずっと南に行った、ホアダイ王国から来た」
リィエンの問いに男が頷くと、首に嵌められた何重もの金の輪がシャラリと音を立てる。
「ホアダイ……聞いたことない」
「小国だからな。それに、こんな僻地に住んでいたら、外部との関りもないだろう」
外部との関わりがないというのは、その通りだ。
村の物知りババならホアダイ王国のことを知っているかもしれないが、リィエンは外の世界に興味がない。
特に知る必要もないと思い、深く追求はしなかった。
「傷の手当をするから、服を脱いで」
「ああ。済まない」
男は右腕を庇うようにして上衣を脱ぐ。
中にもう一枚肌着を着ていたが、冬が明けたばかりの高地に来る恰好ではないだろう、と呆れてしまう。
怪我の具合を確かめるため、リィエンがそっと肌に触れると、男は死体のように冷たかった。
「酷い内出血……骨は大丈夫かな」
「落馬した際に運悪く石に打ち付けた。感覚からして骨までは達していないと思うが、分からない」
「とりあえず動かさないようにして、安静にするしかないね。ここには呪術師はいても、医者はいないから」
薬草の煮汁を染み込ませた布で、そっと患部を拭い、清潔な水で洗った薬草を貼り付けて、その上から布を巻く。
リィエンにできる処置はこれくらいだ。
村の呪術師に頼んで、怪しげな呪文を唱えられるよりはましだろう。
ついでに、薬草汁を染み込ませた温かい布で、体を拭いてやる。
男はされるがままじっとしていたが、唐突に口を開いた。
「君、名は何と言う?」
「聞く前に名乗るのが普通じゃないの」
リィエンは男の偉そうな物言いが気に食わず、冷たく答える。
「済まない。こういった状況にはあまり慣れていなくてな。私はクアンだ」
「リィエン」
「蓮とういう字か」
男は手のひらを指でなぞり、文字を書く素振りをする。
リィエンは華国語を話すことはできても、文字を読むことができない。教養の差を見せつけられたようで、またしても腹が立った。
「まだ幼いのに、リィエンは一人で暮らしているのか? 家族はどうした」
「オレ、もう二十半ばなんだけど」
リィエンはどんどん不機嫌になっていく。
このクアンという男に悪気はないのだろうが、言動の一つ一つがリィエンの心を逆なでた。
「私より歳上とは驚いた」
「うるさい、チビで悪かったね」
「そんなことは言ってない」
クアンは困惑の表情を浮かべる。
彼の年齢を聞くと、今年二十になったばかりだと言う。リィエンの弟妹と同じような歳だ。想像していたよりも随分と若い。
「母親は三年前に病気で死んだ。弟と妹たちは母が死んですぐ、ここへは戻らないと出て行った」
「そうか。一人で寂しいだろう」
「別に、寂しくない」
リィエンはそっぽを向く。
虎は本来、群れを成さない孤独な生き物だ。大人になれば、独り立ちして生きていく。当たり前のことで、決して寂しいことではない。
群れて生きたがる人間の方が、リィエンにとっては不思議だった。
いくら血を分けた家族でも、自分とは別の存在で、自分の思い通りになったりはしない。信じた人に裏切られることだってある。
一人でいるよりも、誰かといて埋まらない孤独を感じる方が辛いのではないか。
クアンにそう告げると、彼はしばらく考え込んだ後、そうかもしれないと呟いた。
「下も脱いで」
上体を拭き終えてリィエンが指示すると、彼は初めて難色を示す。
「……私は女体に興味がないからいいものを、未婚なら尚更、男に対しての危機感を持った方が良い」
男の言いたいことが分からず、リィエンはしばらくその場に固まる。
弟妹が風邪で寝込んだ時と同じように、世話をしてやろうとしただけだ。
――もしかして……こいつ、オレのこと女だと思ってる?
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