第30話 嘘つき

 リィエンとクアンは寝巻き姿のまま、トゥアに案内されて村まで下りた。


 儀式に使われる広場では、客人のために薪が燃やされており、平時とは異なる空気を醸し出している。


 たくさんの野次馬が集まる中、異国の人間らしき姿が複数見えた。


「クアンの知り合い?」

「ああ。間違いない。真ん中の一人は私の側近だ」


 クアンはそう言うと、群衆の隙間を縫って、一行の前に堂々と歩み出る。


 クアンの存在に気付いた異国の人間たちは皆、さっと地面に膝をつき、ホアダイの言葉で何かを言った。

 恐らく、王子であるクアンに向かって挨拶をしたのだろう。


「ユン、無事だったか」

「殿下……何故華国語なのです?」

「華国語であれば、この地の言葉に訳せる者がここにいる。リィエン、彼が私の側近だ」


 クアンはそっと、リィエンの背に手を添える。


 ユンと呼ばれた長髪の青年は、品定めをするように上から下までリィエンを眺めた。

 彼がリィエンを良く思っていないことは、不機嫌そうな表情から察して取れる。


 仲間の内でユンだけが、少し容姿が異なって見えた。

 黒髪に切れ長の目、流暢な華国語を話すことから、華国出身の人間ではないだろうか。


「迎えに来るまで随分かかったな」

「それに関しては申し訳ありません。一度国に戻り、体勢を立て直してから来たもので」

「皆は無事か」

「ええ、殿下のおかげで。全く、身を挺して獣の囮になる王子など、貴方様くらいですよ」


 折角の再会だというのに、ユンという男は何故か、喜びよりも怒りの感情を滲ませている。

 クアンは全く意に介していないようで、いつも通りの穏やかな声で無事を喜んだ。


「どうしてここが分かった?」

「我々を華国の行商人だと思った土着の者が、殿下の首飾りを売ろうとしてきたのです」

「そうか。あれが手掛かりになったか」


 クアンがのんびりそう言うと、側近は「あれがどれ程価値のあるものと思いですか」と再び厳しい口調で苦言を呈した。


 何と交換したかを伝えたら、神経質そうな側近は益々激怒しそうなので、黙っておいた方が良さそうだ。

 リィエンは口をつぐんで二人の会話を見守る。


「ところで殿下。華国語を話すというその人間とは、どのようなご関係で?」


 ユンの細い目がリィエンを睨む。


「ああ、そのことでお前に話がある。リィエン、人払いをしたい。皆に家に戻るよう伝えてくれ」

「えっ、この人たちはどうするの?」

「もてなしは不要だ。村の片隅で野宿でもさせ、明日にでも発つ」

「明日!?」


 急すぎる。トゥアの家に別れを言うのが精一杯で、家財を処分する暇もない。


「君が困るというのなら、もう少し滞在を伸ばそう」


 クアンは顔を緩めるが、彼の側近がすかさず口を挟んだ。


「殿下には、一日でも早く帰ってもらわなければ困ります。北へ来ることだって、我々は反対だった」

「そう言うな、リィエンは命の恩人だ」


 言葉を理解できない人間には、揉めているように映ったのだろう。側にいたトゥアが、小声でリィエンに尋ねる。


『おい、リィエン。大丈夫か?』

『大丈夫。クアンの迎えだって皆に伝えて。今日のところは家に帰ってくれとも。野宿で構わないらしい』


 リィエンよりもトゥアの方が村の人間と交流があり、信頼も厚い。

 彼が声を張り上げると、野次馬たちは徐々に姿を散らす。


『トゥアもありがとう。後は何とかするよ』

『分かった。何かあったら呼びに来いよ』


 勘の良い幼馴染は、この場にいることを望まれていないと察したのだろう。

 クアンとその仲間たちを一瞥してから、リィエンの肩をぽんと叩き、夜の闇に消えていった。


 人気がなくなったところでクアンが口を開く。ホアダイの言葉だった。


 何を話しているのかリィエンにはさっぱり分からないが、会話を続けるうちにユンという男の顔がどんどん険しくなっていく。


 ついに彼はリィエンを睨みつけ、華国語で捲し立てた。


「お前は華国の人間か。何故こんなところにいる。逃げてきた囚人、それとも農奴か? どうせこの御方の素性を知り、金をせびろうとしているのだろう」


 偏見極まりないユンの物言いに憤るリィエンだったが、言い返す前にクアンが釘を刺す。


「ユン、止めろ。恩人を貶めるようなことは、私が許さない」

「殿下は自分の立場を全く理解されていない! 子を産めない者を伴侶にしてどうするんです。第一、貴方は虎の子を探しにここまで来たはず。それはどうなったんですか」


 リィエンは彼らが揉めている原因を理解すると共に、『虎の子』という言葉に息の仕方を忘れる。

 全身からさぁっと血の気が引いていき、激しい眩暈に襲われた。


 ――クアンは虎の半獣を探しに来ていた? 薬にするため? それとも、剥製にするために?


「虎の子探しならもう不要だ。何故ならリィエンこそが恐らく、私が探し求めていた虎の――」

「クアン、ずっとオレを騙してたの?」


 何が何だか分からなかった。リィエンは乾いた唇でどうにか声を絞り出す。


 ――嘘だ。嘘だよね。嘘だって言って。


 胸が苦しい。足元から世界が崩れていくようだ。


「リィエン……これは……」

「騙して、連れて行こうとしてた?」


 クアンは、リィエンが虎の半獣であることに気づいていたらしい。

 それもそうだ。獣化した姿こそは見せなかったものの、黄色い髪も、発情した姿も、クアンには無防備に見せてしまっていた。


 彼が、虎の半獣を求めてやって来た人間であるならば、とっくに正体に気づいていただろう。


 優しくして、孤独な獣を手懐けて、伴侶なってほしいと国へ連れ帰った暁には、殺すつもりだったのではないか。


 ――やっぱり、人を信じるなんて無理だ。


 クアンは「違う、そうじゃない」と否定をするが、父親に裏切られた経験を持つリィエンは、その言葉を信じることができなかった。


 深い悲しみと絶望がリィエンを襲い、体から力が抜けていく。


 もう何も考えたくないとリィエンが思考を放棄したその時、一匹の獣が現れた。

 体は小さいが、鋭い歯と爪に、人ならざる俊敏さを持った立派な肉食動物である。


「これが、虎……」


 クアンの側近は、獣に成り果てたリィエンを見て剣を抜く。

 他の仲間たちも同様に剣を抜き、さっと王子を護るようにして前に出た。


「ユン、止めろ。剣を下ろせ!」

「殿下の身に何かあっては困ります」

「彼は私の恩人であり、友人であり、家族となる者だ。リィエンが私を傷つけるはずがない。そして、リィエンを傷つけるくらいなら、食われて死んだ方がましだ」


 ぐるる、と獣は唸る。最早理性はほとんどなく、目の前に立ち憚る人間たちを、敵としか思っていない。


「殿下! お下がりください!」


 ユンはそう叫ぶが、クアンは護衛を掻き分け、虎に向かって身を乗り出した。


「リィエン、私だ。分かるな? 私は君の正体に薄っすら気づいていたが、騙そうとは思っていなかった。話せる勇気が出た時に話してくれれば良いと、それまで知らぬふりをしようとしただけだ。信じてくれ」


 必死の弁解はリィエンには届かない。

 獣は喚き散らかす人間たちを憎らしく思った。 


「殿下、何を言っても無駄です。そいつは化け物なのですよ!」


 うるさい。うるさい。うるさい。

 剣を構えた口煩い男の喉元に食らいつき、息の根を止めてやろうと姿勢を低く身構える。


 ユンに狙いを定めて飛び掛かった瞬間、両手を広げたクアンが横入りする。

 そして、鮮血が散った。


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